在外研究 in スイス…第6週(5月13日~5月19日)

もはや,1週間というスパンで何か新しいことを書く必要もないような状態になってきた.いわゆるルーチン状態になってきたという感じだ.まあそれでも,何もないわけでもないので,少しでも書くことにしよう.

ジュネーヴ大学でのパレスチナ連帯デモ

ジュネーヴ大学の社会科学系の学部が入るUni Mailでも,アメリカからのパレスチナ連帯の動きが飛び火してきて,いっときスイス国内の最前線となった.数日間,グランド・フロアの真ん中を占拠していた.いっとき,親イスラエルを主張する数人が入ってきて一触即発状態になったりしたようだ.最終的には,警察が入ってきて退去させられた.
日々の様子を横目に見た感じだと,結構,イスラム系の学生もいるようで,そういう身なりをした人たちがいた.Free Palestineという文字が書かれた紙が貼られ,あちこちにパレスチナの旗が掲げられていた.ときどきシュプレヒコールが,吹き抜けの校舎全体にとどろいていたのが印象的だった.フランス語が分からないので,何を主張しているのかは分からなかったが.
退去させられた日,校舎の入り口でIDの確認が行われていた.学生はないと入れず,私はその日は財布を忘れてIDを持っていなかったが,教員だということで入れてもらえた.結構緩いなという感じはした.
日本の様子は知らないが,旧twitterなどの様子を見る限り,そういう動きはなさそうだ.自分のこと以外は無関心という国民性(和の精神って,何かを協力して行うという精神ではなく,人に迷惑がかからないようにするという精神になってしまっていて,そのため,迷惑がかからないようにしさえすれば,個人が何をやっててもいいし,他の人に関心を持たなくてもよい=無関心みたいな感じになってしまっていると,自分の信頼や寛容の分析からは思っている)は,学生にも受け継がれているのだなと思う.

家族で初めての病気

5月18日(土)から20日(月)は,聖霊降臨祭の休みといわゆる振替休日で3連休.それを利用して,観光でもと思っていたが,ついに19日(日)未明に長女が発熱.こちらに来てから,家族が病気でダウンしたのは初めてだ.というわけで,私と次女が外出.妻が看病という形になってしまった.

レマン湖クルーズ

18日(土)の夜に,「明日は,レマン湖クルーズに行こう」ということになり,クルーズ船を予約した.ところが,上述のとおり,日曜日未明に長女が発熱した.返金不可ということだった.さてどうするかということになったが,妻が,私と次女とで行っておいでというので,出かけることにした.本当なら,こういうときには,全体をキャンセルするものなのかもしれないが,夏に日本から家族が来たりするので,内容の下見ということもあり,やや無理矢理に行くことにした.

当日は,よく晴れた.このところ,晴れてもときどき傘をさすほどでもないくらいの雨が落ちてくるような天気が続いていたが,そういうこともなかった.
乗船場まではうちから30分ほど,そこでしばらく並んで乗り込んだ.まずは,テーブルに案内され,飲み物(次女にアップルジュースと,私はロゼワイン)と料理を注文した.

価格の感覚はかなり麻痺しているのか,船の中だから特別に高いようには感じられず,まあこんなものかなという感じだった.ただし,本格的なランチか軽食かをチケットを取る時に選択するようになっていたので,軽食を選んでいた.そのため,メニューもいわゆるコースなどではなく,プレートを注文するような感じだった.ひとまず,魚にポテトの付け合わせというものを1つ注文し,シェアすると言ったのだが,プレートが2つ運ばれてきた.注文したのは1つということもできたが,まあいいかという気分になり,何も言わなかった.

魚料理はおいしかった.分量も適量だった.ポテトは,少し多かったかな.それでお腹を膨らせるという意図がわかる分量だった.次女は,さすがにそんなにポテトばかり食べたくないというので,デザートを取った.私は,赤ワインを注文した.

船の航路は,ジュネーヴを出たあと,レマン湖をフランス沿岸に沿って進み,2,3の港に立ち寄って,人を乗せた.食事が終わる頃,ちょうどイヴォワールYvoireという街に停泊した.港のすぐ近くにイヴォワール城が建っていた.
 
その対岸が,以前行ったニヨンNyonで,そのあたりからジュネーヴに引き返すようなルートだった.イヴォワールからジュネーヴまでは,どこにも立ち寄らずに帰港した.とてもよい天気だったので,甲板に出た.海のように潮風がベタベタする感じもなく,爽やかでよいクルーズが楽しめた.次女は,フランス沿岸の景色を見ながら,あのおうちに住みたいなどと言っていた.大人になって頑張って働いてお金を貯めて買ったら,と言ってみたら,嬉しそうな顔をしていた.
ちなみに,チップを求められた.これは,食事代のクレジットカードでの支払いとは別に現金でということらしく,下船時に他のテーブルに現金が置いてあったのを見て,そういう払い方をすることに気づいた.もっとも,それが本来の払い方だが,現在のアメリカだと,クレジットカードで一括するので,やや戸惑った.現金を持っておいてよかった.小さいのがなかったので,両替してもらって,10フラン置いてきた.

ジュネーヴに着いてから,観覧車に乗りたいとせがまれて,沿岸にある観覧車に乗った.小さな観覧車で何周かはしたが,2人で15フラン(4人だと28フラン)だった.これは高いなと,正直思った.

帰ると,長女がディズニーの動画を見ながらおとなしくしていた.お昼にジュースを飲んだけど,戻してしまったらしい.その後,夕食は軽く食べたが,まだ熱は続いていて心配だ.明日までは学校が休み
なので,明日までに快復してくれればよいのだが….
楽しさ半分,心配半分で,ちゃんと楽しめなかった感じだが,今日の憂いがなければ,3時間のクルーズ,景色を楽しみながらゆっくりするにはちょうどよいと思う.
ただ,景色は同じような景色が続く.東京湾クルーズなどとは違い,変化には乏しい.これだったら,レマン湖とモンブランが見える景色のよいレストランで食事をするというのでもいいかなという気はした.まあ,そういうレストランがどこにあるのかを見つけないといけないが.

研究

こちらに来て最初のミッションは,実は,今年度中に出版することになっている一般書の原稿を仕上げることである.科研費のプロジェクトでのアウトプットだが,私が筆頭編集者になって,全部で4人の共著をまとめることになる.先週までに,日本で仕上げられなかった章の原稿を何とかまとめた.今週は,方法に関わる章をささっと書き,続いて,まえがきを書き始めた.
このあたりまで書くと,自分が担当する章は終わることになるが,あとは,他の人たちの進捗状況を尋ねながら,早くしてねとときどき言って回る仕事になる.
その一般書は,長野県諏訪地域の御柱祭に関わる調査の結果を示すもので,スイスに来て諏訪の御柱祭の原稿を書くというのは,何かしら奇妙な感覚ではある.

長女のストレス

日本では小学校2年生の長女だが,19日(日)の未明に発熱した.うちの家族は,比較的病気をしない方だが,弱い方から言うと,長女が一番風邪をはじめいろんな病気をもらってくることが多い.今回も風邪をもらってきたが,それよりも心配なのは,彼女の精神状態である.これもまた,こういうふうに書いてしまうと大ごとな感じがしてしまうのだが,ちょっとした私の気づき程度のことで,そんなに深刻な話ではないことを断っておく.
通い始めて以来,学校は楽しいらしく,先週は,○○君のことが好きとか言ってみたり,親の想像以上に適応しているふうで,こちらも目を細めながら話を聞いている.その一方,今週初めて,寝かせつけているときに,「日本に帰りたい」と言った.単なる望郷の念くらいであればよいが,いろいろとストレスがありそうではある.心理学では,苦しいことや悲しいことだけでなく,楽しいこともストレスだというが,陰に陽にストレスがかかっていることは想像に難くない.長女は,英語は3歳頃からそれなりに馴染んできているのだが,やはりこちらではフランス語である.あまり英語は役に立ってはいないようだ.プライドが高い子なので,学校の勉強が分からないのは仕方ないにせよ,先生の言うこと,周りの友達が言うことが理解できないというのは,辛いことなんだろうと思う.
次女や私を,かなりの力で殴ったり蹴ったりすることもあり,こないだは,バスルームのドアを倒した.押したのか蹴ったのかは分からなかったが,すごいパワーだったので,こちらがびっくりしてしまった.
振り返れば,自分も中2の1年間,ミシガンのアナーバーの現地校に入れられ,勉強は分からないし,馬鹿にされてからかわれるし,喧嘩をすると叱られるし,だけどお兄ちゃんだからしっかりしないといけないし,とストレスがずっとたまっていた.あのとき救いだったのは,数学ができたこと(3つあるレベル別のクラスの一番上で,常に成績もよかった)でプライドがかろうじて保てたことと,ボロで調律もしてもらえなかったけど,ピアノを買ってもらえたので,それがストレス発散になったことだった.今になって思えば,父や母も,当時1ドル270円くらいでやりくりはたいへんだったと思うが,いろいろと考えてくれていたんだなあと感謝するばかりだ.もう少し子どもたちのことをちゃんと聞いてやって,慈しんでやらないといけないなと反省した.まだまだ先は長い.だましだましではなく,ちゃんと向き合ってやらないとなと思う.
ピアノを習っていた長女に,音が鳴るものがほしいかと聞いたら,ほしいというので,日本にも持って帰れそうなものということで,巻き取り式の鍵盤のキーボードを購入した.火曜日くらいに届くと思う.ディズニーや動画を見るよりも,自分で音が鳴らせる方がよいのではないかと思っている.
こちらにきて比較的すぐに買った片足でこぐスクーターは,長女・次女とも上手になった.平坦なところだとすごいスピードで行ってしまう.1つのストレス解消にはなっているかなと思う.
中2の自分は,ある程度ストレスを言語化できていたのでよかったのかなと思うが,何せ長女は小2である.なかなかストレスを言語化することは難しいだろう.ちゃんと注意して見ていってやる必要を認識した.

下ネタ(追記)

ちょっと下ネタなので,嫌な人は読まずにスルーしてください.

土曜日,買い物から帰るときのことだった.今度,いま住んでいるカルージュの町で住民投票がおこなわれるらしく,娘たちの通う学校の前には,たくさんの立て看板が掲げられている.フランス語が分からないので内容はわからない.そこで,写真を撮って帰って,後でグーグル翻訳でチェックしようと思い,1つ1つ写真を撮っていた.少し離れる必要があるので,道路の向かい側から撮っていた.
そこに,かなり太い50代くらいとおぼしき女性が,道路の向こう側(立て看板のある側)を通りかかった.そして,私の正面当たりに来たときに,数秒間,ものすごい音でおならをしたのだ.いやぁ,その音といい長さといい,これまでこんなおならを聞いたことがあっただろうかというほど,ものすごいおならだった.そして,おならが終わると,小さく一言,Pardon と言って去って行った.
あまりの衝撃に,笑うこともできず,ただ呆然として立ち尽くすだけだった.女性も立て看板の方を向いていたので(お尻はこっち向きだったということでもある),私のことを気づいていたかどうかはしらない.しかし,Pardon とは言ったので,気づいていた可能性は高い.
Pardon という言葉の用法がわかった.ちょっとぶつかったりしたときに発せられる Pardon と同様,Pardon は,いかなるときにも,小声で発すべき言葉のようだ…知らんけど.
それにしても,何を食べたら,あんなおならが出るのだろうか.私にはとても理解できない.
それからもう一つ.やはり,欧米では,おならよりもゲップの方が嫌がられる,逆に言うと,おならはそれほど忌み嫌われるものでもないということなのかなと,身をもって知った.ある意味,Pardon で終わらせられるわけだから.日本だと,街中で(たとえそこにいるのが一人でも)巨大なおならをするというのは,ちょっと考えられないと思う.一生忘れられない光景になったと思う.

在外研究 in スイス…第5週(5月6日~5月12日)

イミグレーション関係について

入国後2週間以内に,住所が定まったという書類をOCPM(Cantonal Population and Migration Office)に提出するように言われ,4月16日(火)に駆け込んだ.その後しばらく連絡がなく,5月3日(金)に郵便が届いた.一家で総額CHF738,1フラン170円換算だと,125,460円を支払うようにという通知だった.あまりに高額でしばらく躊躇していたが,5月7日(火)にWiseという国債送金の専門業者(銀行間送金よりは手数料が安い)を通じて支払った.それと並行して,同じ郵便物に指示されていた,生体検査 biometorique の申し込みを行った.しかし,日程が空いていない.結局6月5日(水)になってしまった.子どもたちの学校もあるし,水曜日しかうまく都合がつかないのだ.内容としては,指紋などを採られるだけだと思う.とりあえず,生体検査を受けてから,おおむね1週間から10日くらいで,ようやく滞在許可証が発行されることになるようだ.今からまだ1ヶ月以上も先ということになる.何年も住む人ならば,2ヶ月くらいかかるというのも短く感じられるかもしれないが,1年しかいない者にとって,2ヶ月は長い.それがないと,いろいろ不便もある.

昇天祭にともなう休日

5月9日(木),子どもを学校に送っていったが,誰もいない.どうしたことだろうと思って妻に連絡したところ,昇天祭の祝日ということだった.祝日については,ノーマークだった.学校は6月いっぱいまでなので,それまでは何もないだろうと勝手に思い込んでいた.とりあえず,ウェブで検索して,ジュネーヴ州の休日として認識した.

翌日の10日,子どもを学校に送っていったが,誰もいない.あれ? 今日は祝日ではないはずだが….仕方ないのでうちに帰って調べてみたら,ジュネーヴ州のウェブサイトで祝日等の一覧があるのを発見した.確かに祝日ではないが,学校は,もう1日休みになると書いてあった.

2日間も休み,そして,そのまま週末になだれ込むことになるので,4連休だった.全く想定外.4月に学校に面接に行ったときに,注意してほしかったし,休日一覧はほしかったな.おかげでずっとうちに子どもがいる状態になってしまい,ディズニーを見たり,喧嘩したりと絶え間なくうるさいので,全く仕事ができない.ずっと籠もっているわけにもいかないので,木・金とも,午後からは,近くの公園に連れて行ったりした.早く原稿かかないといけないんだけど,諦めモードである.とにかく,休日は敵だ.

日系のスーパーマーケットとマルチクッカー

5月8日,子どもたちを補習校に送り出してから,かねてより一度行ってみたかった,日系のスーパーマーケットUCHITOMIに行ってみた.ある程度高いのは予想していたが,安くても日本の3倍くらい,ものによっては6倍くらいの値段が付いていた.

アメリカのヤオハンの感覚(90年代の留学時や2016年のサバティカル時)に慣れていると,べらぼうな値段に思える.ぼく自身は,もう何も買わなくてよいと萎えてしまったが,妻は,子どもたちに何か食べさせたいというのと,食事のバリエーションもあった方がよいというわけで,日本風のお米(生産地はイタリアらしい)など数点を買った.

買ってきたお米を,一度これまでのように鍋で炊いてみた.妻も子どもたちも喜んでいたが,わたし的には,何かイマイチ.カリフォルニア米の方がうまいなという印象だった.とりあえず,炊飯器を買ってみようということになり,米だけでなくいろいろ炊けるマルチクッカーをその日のうちにネットで発注.土曜日に到着,日曜日の夜に,初炊きをした.説明書には,何合について何mlという記述がなく,水加減がよく分からなかったが,だいたいこれくらいという感じで炊いてみた.やはり米自体は標準価格米といった感じもするが,鍋で炊いたときよりはおいしく炊けていた.やや水が多すぎた感じもしたが,少し実験を重ねれば,よい水加減がわかるようになるだろう.

シヨン城観光

5月11日(土),シヨン城に行ってきました.

シヨン城 Château de Chillon についての概略は,ここ(日本語)にあるとおりで,行く前から魅力的な城であることが分かります.こんなお城がジュネーヴから1時間ちょっとというところにあるなんて,行ってみない理由はありません.「リトル・マーメイド」のアリエルが恋したエリックの居城のモデルなのだそうで,教会などはもう見飽きた子どもたちも,行ってみたいと興味津々でした.
また,シヨン城は,モントルー Montreux にありますが,モントルーといえば,モントルー・ジャズ・フェスティバルですね.世界的に有名なジャズフェスです.これも,今年は,7月5日から20日に行われます.
https://www.montreuxjazzfestival.com/en/programme/

ローザンヌまで特急,そこからは各駅停車に乗り換えて,1時間半程度で到着.駅からは遊歩道を通って,10分ほど.アクセスはとてもよかったです.遊歩道の途中からは,シヨン城が見え始め,確かに湖の中に浮かんでいるように見えます.

入場料は,ファミリー料金35フラン,日本語のオーディオガイド1人分6フランで41フランでした.まあまあかなというところです.セルフガイドツアーは,全部で40以上の箇所に分かれていて,数字の順番を追いながら見ていくことになっています.

いきなり,地下室に入り,そこが監獄だったとか処刑場(首縄もつるしてある)だったというような殺伐とした感じで始まりました.子どもたちは,怖がりながらも興味を持って見ていたようです.無教養なわたしは,城を出るときにお土産売り場に行って,そこで,バイロンの詩にシヨン城が詠まれていたことを知って,そういうわけで,まずは地下室からだったのかと思った次第.そこで,日本語訳の「シヨンの囚人」が入ったブックレットを買ってきました.
よくありがちな,王様などエラい人の居室だけを見て回るツアーではなく,トイレから使用人が使っていた部屋,食堂などもくまなく見ることができました.トイレは,穴が深く,最後は湖に直接垂れ流されていたようです.牧歌的な時代だなと思いました.最後は,天守閣にのぼります.中を駆け足で見て回るだけで,1時間半ほどもかかってしまいました.

思いのほか時間がかかり,お昼も食べずに入ったので,出た時にはお腹がぺこぺこ.近くのカフェ・バイロンでキッシュやサンドイッチを食べました.値段は,もう驚かなくなったかな.デカンタサイズの白ワインを引っかけました.日本人の女性が働いていました.
その後は,沿岸の遊歩道をモントルーの街まで歩きました.このあたりでジャズフェスをやるのかなと思ったりもしましたが,最後列車時刻に間に合わせるために駆け足だったので,あまり街中をじっくり見ることはできませんでした.

在外研究 in スイス…第4週(4月29日~5月5日)

第3週までは,日々更新してきたが,だいたい生活も落ち着いてきたし,毎日の更新は面倒でもあるので,ここからは,その週の大きなトピックごとに書くこととしたい.

学校給食が始まる

今週の最大のイベントは,子どもたちの学校で昼食サービスを受けられるようになったことだ.昼食は,給食ではない.ジュネーヴ州では,GIAPという団体が請け負っている.先週までは,昼になると子どもたちがうちに帰ってきて,うちで食べたが,手続きが完了して,学校に行き始めた翌週にあたる今週からサービスを受けることになった.費用は,昼食代と人件費で,2人分の割引が少しあって(ただし,所得による割引の上乗せはない.うちは,単独では,いずれもスイスの最低賃金を下回る給料しかもらっていないが,ダブルインカムなので,そうすると,世帯所得によるさらなる割引の適用からは外れてしまう範囲に入ってしまうのだ.何というか,2人で1馬力という感じだ.)それで,試算では月々370フラン(約63,000円)くらいだろうと思われる.
ところで,GIAPという団体,なかなか融通の利くような利かないようなところがあって,われわれのような学期途中からの受け入れは通常はしてくれないらしい.大学の秘書さんを交えた校長先生との面談に行ったさいに,「今スイスに着いたばかりだ」ということを強調するようにと言われた.たぶん,そうしないと,学期中は無理とか言われてしまうのだろう.ジュネーヴに来る人は,参考まで.
ともあれ,子どもたちが昼食時に帰ってこなくなったので,はるかに時間の融通が利くようになった.これは,大きい.料金は,日本の給食費と比べると1桁違う感じになってしまうが,研究するために1年間来たのだと思えば,昼食時に中断を余儀なくされるよりは,多少の費用を払う方がよいだろうと判断した.
初日と2日目は,子どもたちが,並んで近くにある昼食の施設に連れて行ってもらっていることを確認しに行ったが(本当は初日だけの予定だったが,次女が連れていてもらっている姿を確認できなかったので,2日間となってしまった),3日目からは,お任せすることにした.
今日は,ハンバーガーだったとか,今日はカレーだったとか言っている(スイスでカレーが提供されるとは思わなかった).量はあっても,それだけなんだろうか? 野菜とか栄養バランスはどうなっているのかなと気にはなるが,夕食で妻にいろいろとバランスを考えたものを作ってもらうことで,何とかなるだろうと思っている.
ところで,GIAPは,昼食だけでなく,放課後の子どもの預かりもやっている.昼食時と放課後と,そして登下校時・昼食時の学校周辺の交差点での旗振りなど,学校を取り巻くさまざまなことがらに関与している.日本のシステムにも参考になるところは多いだろう.
まず,教員の業務負担が減る.給食なしになれば,2時間の間(昼食時間が2時間もあるのだ),休んだり授業の準備をしたりすることができるだろう.交差点での旗振りもPTAに任せる必要がない.旗振りを無視して,親の判断で子どもを連れてわたると,「自分が来るまで待たないといけない」と親が注意される.プロである.また,昼食サービスも学校内ではなく,近くの建物で提供されるのだが,学校に給食室を作る必要がない.また,市内の近所の学校数校が1つの施設を使ったり(施設は,同じ市内に複数あるようではある),昼食時間が2時間もあるので,時間を分散させたりすることによって,効率性もある程度追求されている.放課後の預かり教育は,見た感じだと,学童のように3年生までとかいう縛りはなさそうだが,実際には,比較的低学年の子どもたちが利用しているようだ.それを利用しない場合には,16時になると親が迎えに行かないといけないのだが,ある程度学年が上になると,一人で帰ってよいことになっているのかもしれない.スイスは,比較的安全な国だと思うが,小学校低学年くらいまでは,登下校の送り届けとお迎えなど,ある程度親が関与しないといけないようになっている.日本から来た身には奇異に感じられるところも多いが,各国いろいろ知恵を絞っているのだなと思う.

イミグレーション関係について

しばらく動きがなかったイミグレーション関係だが,5月3日(金)になってようやくOCPM (Office cantonal de la population et des migrations) から郵便が届いた.が,内容物を見て驚いた.滞在許可証の発行手続きのために,妻とわたしは,CHF232,子どもたちはそれぞれCHF137払うようにとの通知だった.合計すると,CHF738,1フラン170円換算だと,125,460円である.何それ,滞在許可証を4人分取得するのに,公的機関が12万円も取るの? 信じられん.このようにTwitterでぼやいたら,欧州の他国でも,そんな費用はないとかごく少額だったとの返事をもらった.日本でも,おそらく在留外国人の人が,許可証をもらうのに自分たちが準備する身分証明書以外に,発行手数料的な名目でこれほど費用がかかることはないのではないだろうか? アメリカに入国するときには,ESTAの手数料が$21取られるが,3000円ほどである.ソーシャル・セキュリティ・カードの発行は無料だし,実質的に必要不可欠な運転免許証発行手数料も45ドル(カリフォルニア州の場合)で,これらを合わせても1万円ちょっとくらいのものである.12万円というのは,あまりに高額で,ぶったまげてしまった.

わたしの232フランの内訳だが,以下のようになっている.括弧内は,子どもたちの費用.

Extra UE – Arrivée, retour ou changement de canton/statut(州の到着・帰着・変更/ステータス)95(47.50)
Extra UE – Assurance permis d’entrée / Assurance permis de séjour(入国許可証保険 / 滞在許可証保険)95(47.50)
Extra UE – Production de permis de séjour(滞在許可証の作成)22(22)
Extra UE – Collecte de données biométriques(生体情報の収集)20(20)

詳しいことは分からないが,以下推察である.
1つ目の項目について.まず,このOCPMという機関だが,州の機関である.スイスは連邦制を取っているが,わたしがやってきたジュネーヴ州には,このOCPMという機関があり,他州では,また別の機関があるのだろう.この4文字のPは人口を意味しており,もしかすると,スイスでは,移民(4文字のうちM)だけではなく,他州から移動してきた人が,住民登録するのにも同様に,この費用を支払わないといけないのかもしれない.ただし,金額まで同じかどうかはわからない.日本でいえば,他県に住民票を移すのに費用と取られるといったイメージだ.日本だと,そんなもん当然タダだし,そんなもんで1万6千円も取ったら暴動が起こるよなと思う.細かいことだけど,ジュネーヴには,各国の政府機関から来ている人たちがいるが,もしかすると,彼らに対してはタダなんだろうか? まさか,金は取らんよなと思うけど,どうなんだろうか.また,知り合った人に聞いてみよう.
2つ目は飛ばして,3つ目の項目について.これは,難しいことはなにもないが,物理的な滞在許可証を作成するための費用ということになるだろう.
4つ目の項目について.その滞在許可証を取得する前に,指紋などを採取されるらしい.スイスの入国審査時には,パスポートのチェックだけで,指紋採取はなかったが,大学の秘書さんの話だと,どうもそういうことらしく,実際,この間OCPMに書類を出しに行ったときに,それらしい機械が見えた.入国審査時に指紋採取とかをしないのは,スイスに到着するときには,滞在する州に到着するとは限らないので,空港では採取しないということなのだろう.各州に落ち着こうとするときに,こうやって採取費用を取られるわけだ.
戻って2つ目の項目について.これが一番謎.入国許可証や滞在許可証の保険(assurance)とのことだが,よく分からない.許可証を落としたときの再発行のための費用を先に取られるということか? それに95フラン(1万6千円)は高すぎないか? 単に物理的な許可証の再発行以外に,何か保証されるものがあるのだろうか? とにかく謎である.

このこと,大学の秘書さんにぼやいたら,スイスでは,政府も何かにつけてお金をとるのよ,と言われた.
しかし,ここでハッとした.他国も含め日本でも,なぜ役所・役場の費用は安いのだろうか? たとえば,住所変更をするとき,基本的には入転出届を出すだけで,費用はかからない.しかし,その登録作業をするための人件費等は,どこかでかかっているはずである.おそらく,その費用は,地方交付税の中からまかなわれているのだろう.公共サービスとは,そのようなものだという気がしている.しかし,それを情報処理代として,たとえば住民票を発行する程度の手数料(300円くらい)取るとか,登録作業の方が手作業になるから千円とか徴収するという手もなきにしもあらずだ.そういう方法を採っている国もある(それにしても,スイスは桁違いだが)ということだ.
ただ,こういったかなり高額の費用が必要な場合,州内の移動は,かなり抑制されるのではないだろうか? 日本だと,首都圏とか関西圏で都府県をまたいだ移動を妨げるものはあまりないように思うが,一家で何万円レベルだということになると,ちょっと躊躇するだろう.
ただ,別のところで聞いたところだと,スイスは,ウクライナからの難民を数多く(およそ6万6千人)受け入れているらしいが,まさか難民からこういった費用を取ることはないだろう.それは,国や州レベルで補助されているのだろうが,われわれが支払う10数万円も,直接・間接に,一部が彼らに還元されていればいいかな,などと想像した.具体的な支払いがあることで,どうやって国や地方政府を回していくかをぼんやりと考える機会になった.アメリカにはもう何年も住んで,こういう驚きもあまりなくなったが,未知の国に住むと,年を取っても,社会学者であっても,カルチャーショックというものはあるものだなと思う.

Amazon.de(ドイツのアマゾン)とのトラブルについて

4月21日の項にも,その冒頭部分だけを記したが,その後も,ドイツのアマゾンとトラブルが発生し,結局解決できないまま,泣き寝入りになった.4月21日付けの記述から,その時点での様子を簡単に述べるところから始めよう.
まず,スイスでは,スイスのアマゾンが存在しない.ドイツかフランスのアマゾンを利用することになる(他も可能かもしれないが,とりあえず,隣接しているところで確認が取れたのがこの2つ).
安めのアクティブ・スピーカーを買おうかとドイツ・アマゾンとフランス・アマゾンに登録した.ところが,支払い段階になって,日本のクレジットカードやデビットカードの中に,使えそうなものと使えなさそうなものがあることが分かってきたのだ.また,ドイツ側ではダメそうでも,フランス側では登録できたものもあった.しかし,在庫状況と早く入手でき総意ということから,ドイツ・アマゾンで買いたいと考えた.カードの登録についてあれこれやっているうちに,フランス側では登録できたが,ドイツ側ではねられていたデビットカードが登録できた.よし,ということで,ドイツ・アマゾンで購入しようとしたが,支払いの最終段階になって,これまでになかった奇妙なアクティビティが検出されたとかいうことで,アカウントが凍結されてしまった.そして,それを解除するために,名前・現住所・デビットカードの現住所付近における使用実績を示す書類の提示を求められた.何とかそれらしい書類を3つほど集めて,書類をアップし,凍結は解除された.ともあれ,それでようやく,その商品を購入できた.しばらくして,念のためと思って購入履歴を確認したら,購入履歴がなかった.不思議に思って,さらにカードの登録を見たら,先ほど登録していたデビットカードがドイツ側からもフランス側からも登録が消えていた.そこで,再び,デビットカードを登録しようとしたが,できず,そのうちトライの制限回数に達してしまい万事休す.カスタマー・サービスに要望を出して,検証してもらえることにした.すぐに,カスタマー・サービスから,不便についての丁寧なお詫びと,前向きな対応をするという内容の返事が届いた.4月21日は,ここまでだった.
しかし,その後のカスタマー・サービスとのやり取りは,最悪だった.向こうから指示があることをその通りにやってみようとしたが,何度も試みたことばかりで,やはりそれではどうにもならなかった.それでも,どうにかならないかと食い下がったが,結局,どうにもなりそうになかった.
ところが,デビットカードの記録を見ると,引き落としが行われていることがわかり,慌てて発行元であるSMBC信託銀行に問い合わせた.すると,ドイツ・アマゾンへの支払いの依頼があったが,依頼段階と確定段階の2段階があり,その時点で第1段階だが,最終的な支払い依頼はないので,保留されているとのことだった.記録として「未払い」ともなっていたので,そういうことなのだろうと思った.また,その時点で,表向きには支払いとなっているが,最終的に引き落とされない場合は,20日後に支払いの記録は削除され,何事もなかったようになるとのことだった.
そういうわけで,再度,ドイツ・アマゾンでは,購入記録もなく,アマゾン側が支払い請求もしていないことを確認したのち,ドイツ・アマゾンからの購入は諦めて,イギリスにある音響機器のネット通販会社から購入することにした.通常のスイス・ポストの配達になるので,数日後に到着するとのことだった.他に,より早く届くオプションもあったが,送料も高かったので,通常でよしとした.
その翌日,その商品が届いた.送り主がスイス国内のようだったので,在庫がスイス国内にあったから,早く届いたのかなと思い,特に気にせず,使い始めた.
ところが,数日して,もう1つ,同じ商品が届いた.わけが分からなかった.いろいろと可能性を考え,お金の流れについても調べてみた.すると,先日,引き落としが保留されていたSMBC信託銀行から,ドイツ・アマゾンに対する支払いが成立していることがわかった.しかし,相変わらず,ドイツ・アマゾンのサイトには,商品の購入履歴は全く残っていない.それなのに,商品が届いてしまい,引き落としも行われてしまっている.そこで,これは困るということで,何度かドイツ・アマゾンと交渉しようとした.SMBC信託銀行から教えてもらったアマゾンからの請求に対して支払いをしたという取引に関わる番号を告げて,こちらが商品を購入した履歴もないのに,引き落としだけしたことについて,きちんと調べてほしいと言っても,きちんと調べたのかどうかもわたしには言わず,のらりくらりとかわすような返事ばかりが来るようになった.腹が立つが,これ以上,交渉しても埒があきそうにもないと思い,諦めることにした.貴重な時間を,こんなことばかりに注ぎ込んでいるのもバカバカしい.
これは,あくまでも趣味のもので,大学の研究費などから落とすものではないということもあり,届いた同じ商品を返品することにした.30日間の返金保証がうたわれていたので,送料のみ自己負担で返品した.あっけないほどすぐに手続きは完了し,数日後,UPSが荷物を取りにきた.
さて,ここでいくつか,ドイツ・アマゾンについて分かったことなどを書いておく.
まず,ドイツ・アマゾンもフランス・アマゾンも,実態としては,ヨーロッパ・アマゾンという傘の下にある.品揃えは違うが,その上にヨーロッパ・アマゾンがある.これが,日本のアマゾンとの大きな違いである.しかし,それぞれのウェブサイトには,微妙な違いもあって,上述のように,あるクレジットカードやデビットカードが登録できたりできなかったりという違いがある.瞬間的・短期的にはそのように見える.しかし,実態としては同じヨーロッパ・アマゾンの傘下なので,しばらくすると,一方で登録でき,他方で登録できないようなカードは,どちらかも登録が抹消されることになっているようだ.だから,何らかのはずみで,これまで登録できなかったカードが登録できるようになったとしても,喜び勇んではいけない.しばらく様子を見る方がよい.しばらくすると,やはりダメということで,カードが登録されていない状態に戻ってしまう可能性が高い.
しかし,もしある瞬間に,これまで登録できなかったカードが登録でき,それで商品が購入できたとしても,喜んではいけない.しばらくして購入履歴を見ると,購入したはずの商品が,全く購入されていない(履歴がない)状態になっているかもしれない.しかし,銀行口座をちゃんとチェックしてみよう.もしかすると,支払いが保留になっているかもしれない.また,数日後,購入履歴がなくても,支払いがなされ,商品が届くことがあるかもしれない.
ヨーロッパの各国のアマゾンがある場合,そしてその国のアマゾンがある場合,当然,その国のアマゾンを使うだろう.しかし,どの国にもアマゾンがあるわけではない.スイスにはない.そうすると,ヨーロッパの最寄りの国のアマゾンを使うことになるし,実際,登録もできるし購入もできる.しかし,複数のアマゾンを使うのは,ちょっと考えた方がよいかもしれない.その上にはヨーロッパ・アマゾンがあり,各国のアマゾンは,それにぶら下がっている.ヨーロッパ・アマゾンがカバーする人口は大きく,全体としても巨大なサイトである.しかしそのために,情報の遅延などが生じる可能性がある.そういった可能性について,知っておいた方がよいだろう.わたしのような,全く非生産的なことを何日も続けるのは,消耗するし,時間の無駄だ.こういうことを繰り返さないためにも,スイスなど,その国のアマゾンがない国で他国の複数のアマゾンを利用するときには,注意してほしい.記録として,残しておく.

ゴミ捨てについて

ゴミの分別は,やや細かいが,日本とだいたい同じような分け方だ.アパートの中に,生ゴミ,紙類,いわゆる普通のゴミを出す入れ物がある.ゴミは,だいたい日本と同じくらいの頻度で回収されるようだ.それはそれでよいのだが,問題は,いわゆる資源ゴミだ.瓶は色つきと色なし(透明),アルミ缶(他の種類の缶はどうしたらよいのかわからない…笑),ペットボトルの色つきと色なし(透明)に分けた上で,地域の集積場に持っていって,所定の入れ物に入れないといけない.集積場までは徒歩3,4分ほど.これが意外に面倒くさい.特に,瓶類は重いので,ビールなんかを買うときには,瓶よりは缶のものを買おうかということになる.ともあれ,このために,少しでも資源ゴミを出さないようにしようかなという気になるのは確かかなと思う.

今週全体を振り返ると,ドイツ・アマゾンとのトラブルが,解決しないままでも,見切りを付け,他の懸案事項も,お金で解決という形になって,生活全体として,ようやくスタートラインに立てたという感じだ.気がつけば,もう到着して1ヶ月経ってしまった.研究らしい研究もできておらず,こちらもようやくという感じだ.見知らぬ土地で生活基盤を何とか整えるまでに1ヶ月.よく見知ったアメリカとは,やはり全然違うなと感じる.