在外研究 in スイス…第6週(5月13日~5月19日)

もはや,1週間というスパンで何か新しいことを書く必要もないような状態になってきた.いわゆるルーチン状態になってきたという感じだ.まあそれでも,何もないわけでもないので,少しでも書くことにしよう.

ジュネーヴ大学でのパレスチナ連帯デモ

ジュネーヴ大学の社会科学系の学部が入るUni Mailでも,アメリカからのパレスチナ連帯の動きが飛び火してきて,いっときスイス国内の最前線となった.数日間,グランド・フロアの真ん中を占拠していた.いっとき,親イスラエルを主張する数人が入ってきて一触即発状態になったりしたようだ.最終的には,警察が入ってきて退去させられた.
日々の様子を横目に見た感じだと,結構,イスラム系の学生もいるようで,そういう身なりをした人たちがいた.Free Palestineという文字が書かれた紙が貼られ,あちこちにパレスチナの旗が掲げられていた.ときどきシュプレヒコールが,吹き抜けの校舎全体にとどろいていたのが印象的だった.フランス語が分からないので,何を主張しているのかは分からなかったが.
退去させられた日,校舎の入り口でIDの確認が行われていた.学生はないと入れず,私はその日は財布を忘れてIDを持っていなかったが,教員だということで入れてもらえた.結構緩いなという感じはした.
日本の様子は知らないが,旧twitterなどの様子を見る限り,そういう動きはなさそうだ.自分のこと以外は無関心という国民性(和の精神って,何かを協力して行うという精神ではなく,人に迷惑がかからないようにするという精神になってしまっていて,そのため,迷惑がかからないようにしさえすれば,個人が何をやっててもいいし,他の人に関心を持たなくてもよい=無関心みたいな感じになってしまっていると,自分の信頼や寛容の分析からは思っている)は,学生にも受け継がれているのだなと思う.

家族で初めての病気

5月18日(土)から20日(月)は,聖霊降臨祭の休みといわゆる振替休日で3連休.それを利用して,観光でもと思っていたが,ついに19日(日)未明に長女が発熱.こちらに来てから,家族が病気でダウンしたのは初めてだ.というわけで,私と次女が外出.妻が看病という形になってしまった.

レマン湖クルーズ

18日(土)の夜に,「明日は,レマン湖クルーズに行こう」ということになり,クルーズ船を予約した.ところが,上述のとおり,日曜日未明に長女が発熱した.返金不可ということだった.さてどうするかということになったが,妻が,私と次女とで行っておいでというので,出かけることにした.本当なら,こういうときには,全体をキャンセルするものなのかもしれないが,夏に日本から家族が来たりするので,内容の下見ということもあり,やや無理矢理に行くことにした.

当日は,よく晴れた.このところ,晴れてもときどき傘をさすほどでもないくらいの雨が落ちてくるような天気が続いていたが,そういうこともなかった.
乗船場まではうちから30分ほど,そこでしばらく並んで乗り込んだ.まずは,テーブルに案内され,飲み物(次女にアップルジュースと,私はロゼワイン)と料理を注文した.

価格の感覚はかなり麻痺しているのか,船の中だから特別に高いようには感じられず,まあこんなものかなという感じだった.ただし,本格的なランチか軽食かをチケットを取る時に選択するようになっていたので,軽食を選んでいた.そのため,メニューもいわゆるコースなどではなく,プレートを注文するような感じだった.ひとまず,魚にポテトの付け合わせというものを1つ注文し,シェアすると言ったのだが,プレートが2つ運ばれてきた.注文したのは1つということもできたが,まあいいかという気分になり,何も言わなかった.

魚料理はおいしかった.分量も適量だった.ポテトは,少し多かったかな.それでお腹を膨らせるという意図がわかる分量だった.次女は,さすがにそんなにポテトばかり食べたくないというので,デザートを取った.私は,赤ワインを注文した.

船の航路は,ジュネーヴを出たあと,レマン湖をフランス沿岸に沿って進み,2,3の港に立ち寄って,人を乗せた.食事が終わる頃,ちょうどイヴォワールYvoireという街に停泊した.港のすぐ近くにイヴォワール城が建っていた.
 
その対岸が,以前行ったニヨンNyonで,そのあたりからジュネーヴに引き返すようなルートだった.イヴォワールからジュネーヴまでは,どこにも立ち寄らずに帰港した.とてもよい天気だったので,甲板に出た.海のように潮風がベタベタする感じもなく,爽やかでよいクルーズが楽しめた.次女は,フランス沿岸の景色を見ながら,あのおうちに住みたいなどと言っていた.大人になって頑張って働いてお金を貯めて買ったら,と言ってみたら,嬉しそうな顔をしていた.
ちなみに,チップを求められた.これは,食事代のクレジットカードでの支払いとは別に現金でということらしく,下船時に他のテーブルに現金が置いてあったのを見て,そういう払い方をすることに気づいた.もっとも,それが本来の払い方だが,現在のアメリカだと,クレジットカードで一括するので,やや戸惑った.現金を持っておいてよかった.小さいのがなかったので,両替してもらって,10フラン置いてきた.

ジュネーヴに着いてから,観覧車に乗りたいとせがまれて,沿岸にある観覧車に乗った.小さな観覧車で何周かはしたが,2人で15フラン(4人だと28フラン)だった.これは高いなと,正直思った.

帰ると,長女がディズニーの動画を見ながらおとなしくしていた.お昼にジュースを飲んだけど,戻してしまったらしい.その後,夕食は軽く食べたが,まだ熱は続いていて心配だ.明日までは学校が休み
なので,明日までに快復してくれればよいのだが….
楽しさ半分,心配半分で,ちゃんと楽しめなかった感じだが,今日の憂いがなければ,3時間のクルーズ,景色を楽しみながらゆっくりするにはちょうどよいと思う.
ただ,景色は同じような景色が続く.東京湾クルーズなどとは違い,変化には乏しい.これだったら,レマン湖とモンブランが見える景色のよいレストランで食事をするというのでもいいかなという気はした.まあ,そういうレストランがどこにあるのかを見つけないといけないが.

研究

こちらに来て最初のミッションは,実は,今年度中に出版することになっている一般書の原稿を仕上げることである.科研費のプロジェクトでのアウトプットだが,私が筆頭編集者になって,全部で4人の共著をまとめることになる.先週までに,日本で仕上げられなかった章の原稿を何とかまとめた.今週は,方法に関わる章をささっと書き,続いて,まえがきを書き始めた.
このあたりまで書くと,自分が担当する章は終わることになるが,あとは,他の人たちの進捗状況を尋ねながら,早くしてねとときどき言って回る仕事になる.
その一般書は,長野県諏訪地域の御柱祭に関わる調査の結果を示すもので,スイスに来て諏訪の御柱祭の原稿を書くというのは,何かしら奇妙な感覚ではある.

長女のストレス

日本では小学校2年生の長女だが,19日(日)の未明に発熱した.うちの家族は,比較的病気をしない方だが,弱い方から言うと,長女が一番風邪をはじめいろんな病気をもらってくることが多い.今回も風邪をもらってきたが,それよりも心配なのは,彼女の精神状態である.これもまた,こういうふうに書いてしまうと大ごとな感じがしてしまうのだが,ちょっとした私の気づき程度のことで,そんなに深刻な話ではないことを断っておく.
通い始めて以来,学校は楽しいらしく,先週は,○○君のことが好きとか言ってみたり,親の想像以上に適応しているふうで,こちらも目を細めながら話を聞いている.その一方,今週初めて,寝かせつけているときに,「日本に帰りたい」と言った.単なる望郷の念くらいであればよいが,いろいろとストレスがありそうではある.心理学では,苦しいことや悲しいことだけでなく,楽しいこともストレスだというが,陰に陽にストレスがかかっていることは想像に難くない.長女は,英語は3歳頃からそれなりに馴染んできているのだが,やはりこちらではフランス語である.あまり英語は役に立ってはいないようだ.プライドが高い子なので,学校の勉強が分からないのは仕方ないにせよ,先生の言うこと,周りの友達が言うことが理解できないというのは,辛いことなんだろうと思う.
次女や私を,かなりの力で殴ったり蹴ったりすることもあり,こないだは,バスルームのドアを倒した.押したのか蹴ったのかは分からなかったが,すごいパワーだったので,こちらがびっくりしてしまった.
振り返れば,自分も中2の1年間,ミシガンのアナーバーの現地校に入れられ,勉強は分からないし,馬鹿にされてからかわれるし,喧嘩をすると叱られるし,だけどお兄ちゃんだからしっかりしないといけないし,とストレスがずっとたまっていた.あのとき救いだったのは,数学ができたこと(3つあるレベル別のクラスの一番上で,常に成績もよかった)でプライドがかろうじて保てたことと,ボロで調律もしてもらえなかったけど,ピアノを買ってもらえたので,それがストレス発散になったことだった.今になって思えば,父や母も,当時1ドル270円くらいでやりくりはたいへんだったと思うが,いろいろと考えてくれていたんだなあと感謝するばかりだ.もう少し子どもたちのことをちゃんと聞いてやって,慈しんでやらないといけないなと反省した.まだまだ先は長い.だましだましではなく,ちゃんと向き合ってやらないとなと思う.
ピアノを習っていた長女に,音が鳴るものがほしいかと聞いたら,ほしいというので,日本にも持って帰れそうなものということで,巻き取り式の鍵盤のキーボードを購入した.火曜日くらいに届くと思う.ディズニーや動画を見るよりも,自分で音が鳴らせる方がよいのではないかと思っている.
こちらにきて比較的すぐに買った片足でこぐスクーターは,長女・次女とも上手になった.平坦なところだとすごいスピードで行ってしまう.1つのストレス解消にはなっているかなと思う.
中2の自分は,ある程度ストレスを言語化できていたのでよかったのかなと思うが,何せ長女は小2である.なかなかストレスを言語化することは難しいだろう.ちゃんと注意して見ていってやる必要を認識した.

下ネタ(追記)

ちょっと下ネタなので,嫌な人は読まずにスルーしてください.

土曜日,買い物から帰るときのことだった.今度,いま住んでいるカルージュの町で住民投票がおこなわれるらしく,娘たちの通う学校の前には,たくさんの立て看板が掲げられている.フランス語が分からないので内容はわからない.そこで,写真を撮って帰って,後でグーグル翻訳でチェックしようと思い,1つ1つ写真を撮っていた.少し離れる必要があるので,道路の向かい側から撮っていた.
そこに,かなり太い50代くらいとおぼしき女性が,道路の向こう側(立て看板のある側)を通りかかった.そして,私の正面当たりに来たときに,数秒間,ものすごい音でおならをしたのだ.いやぁ,その音といい長さといい,これまでこんなおならを聞いたことがあっただろうかというほど,ものすごいおならだった.そして,おならが終わると,小さく一言,Pardon と言って去って行った.
あまりの衝撃に,笑うこともできず,ただ呆然として立ち尽くすだけだった.女性も立て看板の方を向いていたので(お尻はこっち向きだったということでもある),私のことを気づいていたかどうかはしらない.しかし,Pardon とは言ったので,気づいていた可能性は高い.
Pardon という言葉の用法がわかった.ちょっとぶつかったりしたときに発せられる Pardon と同様,Pardon は,いかなるときにも,小声で発すべき言葉のようだ…知らんけど.
それにしても,何を食べたら,あんなおならが出るのだろうか.私にはとても理解できない.
それからもう一つ.やはり,欧米では,おならよりもゲップの方が嫌がられる,逆に言うと,おならはそれほど忌み嫌われるものでもないということなのかなと,身をもって知った.ある意味,Pardon で終わらせられるわけだから.日本だと,街中で(たとえそこにいるのが一人でも)巨大なおならをするというのは,ちょっと考えられないと思う.一生忘れられない光景になったと思う.