『社会を数理で読み解く』は,けっこう推しです

先日,盛山和夫・浜田宏・武藤正義・瀧川裕貴,2015,『社会を数理で読み解く』,有斐閣 をご恵贈いただきました.
アナザー数理社会学入門か,と思ったのですが,これまでの入門書とは違うなという感じがしました.ざっと見た感想を記しておきます.

類書としては,小林・木村編著の『考える社会学』や,やはり小林・木村著の『数理の発想でみる社会』,あるいは数土・今田編著の『数理社会学入門』や,数理社会学会監修の『社会を〈モデル〉でみる』などがあります.
本書は,内容の類似性からすれば,これらのうち『考える社会学』と『数理の発想でみる社会』の流れをくむものと言えるように思います.この2冊と比較しながら,見てみたいと思います.
最も古い『考える社会学』(1991)の章構成は,「予言の自己成就」「社会的ジレンマ」「プロテスタンティズム」「官僚制の逆機能」等々,18章構成,本文部分のみで270ページあまり,その章構成は,まるで『命題コレクション社会学』(1986)の数理社会学版とでもいうような章構成になっています.もちろん,その一部は,現在でも数理社会学会でも続いているテーマもありますが,ほとんど見なくなったようなテーマも含まれており,やはり古さは否めないように思われます.この本が出版された頃,私はまだM1で学会の動向を掴んでいたわけではありませんが,おそらく『考える社会学』は,数理社会学が『命題コレクション』が扱うのと同等の範疇を広くカバーすることを示すことで,数理社会学が狭隘な問題を扱う一分野ではなく,幅広い射程を持つことを示すことを,最も大きな役割としたのではなかったでしょうか? 各章は,各テーマに関わる簡単な導入から入り,その都度問いを立てながら(問いかけながら)理論とモデルを展開するという方式で進められます.数理モデルは最小限で,「前提」「定義」「命題」などを明示し,数理モデルというよりも論理的な思考を展開することを重視しているように思われます.
続いて,『数理の発想でみる社会』(1997)です.これは,『考える社会学』と同じ編者2人が,こんどは著者となっています.章構成は,「階層と友人選択」「マルコフ連鎖と影響過程」「集団目標の実現と集団規模」「個人的合理性と社会的最適性」「職業的地位の分布モデル」「優越関係のネットワーク」の6章構成となっています.本書の特徴としては,『考える社会学』と比べると,数式が多く,本格的な数理社会学入門と言えるでしょう.章立ても,著者2人の専門領域にやや偏っている感もありますが,現在の数理社会学につながる内容を扱っていると言えるでしょう.各章では,その章で使用する数学の中で特に文系の学生たちにとって必要と思われるもの(たとえば,級数,行列,微分など)を最小限度,丁寧に解説しています.しかし,各章の導入は,雑駁すぎるようにも思われます.なぜ,そういった問題を扱うのかという動機があまり強く感じられません.

そして,本書ですが,筆頭編著者が盛山御大,そして,現在の数理社会学会の中でもきらめきのある3人の著者によるものです.各著者が2章ずつ書いていますが,いずれも練られた内容です.上記2冊と比べると,まず,問題への導入部分が簡潔ながらも重厚感があるように思います.いきなり世間離れした感じの導入ではなく,理論的な説明から入り,モデルの導入に必然性が感じられるようになっています.また,『考える社会学』のように,随所に唐突すぎると思われるような問いが挟まれることによって思考がかえって邪魔されるようなこともなく,『数理の発想でみる社会』のように,数式の展開をひたすら追っていくのでもなく,当該トピックについて,じっくりと理論とモデルを織り交ぜて突き詰めていこうという意志が感じられる点が,たいへん優れていると感じました.また,各章の内容は,各著者がすでに論文にしたものを下敷きにして,それを丁寧に解説しようとするものでもあり,初心者向けにわざわざ簡単なモデルを作って紹介したというような感じがありません.とりあえずの入門書として入門書を作ってみましたという感じではないところが,数理モデルを真面目に勉強してみようという読者を引きずり込む力を持っているように思います.実際,私自身も,他の教科書については,特段に感想文を書こうとは思わなかったのですが,これは,なかなかいいんじゃないかと感じます.来年度でも,何かの授業で使ってみるかと思わせるものがあります(年度が始まったばかりなので,まだ来年度の話をすると鬼が笑うと思いますが).
本書をだれに読んでもらいたいかというと,数理社会学の扉を叩いてみたいという初学者もそうですが,むしろ私としては,工学部などで,社会工学とか,社会何ちゃらに関わっているような研究者に読んでもらいたいと思います.『数理の発想でみる社会』だと,おそらく工学者が読むと,これくらいのことなら自分でもできるし,ここから特段に学ぶものはないと思えるでしょう.しかし,たぶん本書は違うと思います.社会学者がどういう問題に挑んできたかを各章の導入部分で感じてもらえるのではないかと思うからです.モデルの展開の作法はそんなに違わないかもしれないですが,モデルに至るまでの問題関心という部分で,社会学らしさが現れており,こういう話ができないと,工学者と社会学者は,深い対話ができないだろうと思うのです.数理社会学は,社会をモデル化するだけではないんだというあたりのアレですね.
そして,見るべきは,やはり著者たちの力量でしょう.最近の数理社会学会を見ていると,若い頃に数理モデルをやっていても,もうほとんどやっておらず,今は計量だけといった人が多いように感じます.私を含めてそうですね.数理モデルを扱う能力が歳とともに低下するのか,計量ができないと就職できないといった現実的な事情からそうならざるをえなかったのか… 何かは知りませんが,わりと残念な感じに成り下がる人も多いと感じています(数理も計量も中途半端という).しかし,本書の著者たちは,計量もするけれど,やはり数理の人だよなと思わせるような人たちばかりです.言ってみれば,最強メンバー,スター集団ですね.残念な人がくっついているという感じがありません.そして,数理モデルだけではなくて,上述のとおり,ちゃんと社会学的な問題の面白みを伝えられる人たちでもあります.

若干,無い物ねだりをするならば,サブタイトルが「不平等とジレンマの構造」となっているように,ネットワーク分析に関わる章がありません.自称ネットワーク屋さんとしては,ちょっと残念です,現在,数理社会学会の大会では,ネットワークに関わる報告数はけっこうたくさんあるのですが,シミュレーションやウェブ・マイニングなどではなく,数理系のネットワーク・モデルをバリバリ展開するという感じの人が少ないように思います.お前がやれよ,という声が聞こえてきそうですが,それは華麗にスルーして言うと,やっぱりネットワーク・モデルの章がほしかったですね.この著者たちに堂々と挑めるだけの人材という別の条件を満たすことも,なかなか困難ではあるのですが.

紀要論文「口承文芸のヴァリアントの類似性と通婚圏との関係:新潟県旧栃尾市で採取された「三枚のお札」の分析」が発行されました

今春発行された紀要論文「口承文芸のヴァリアントの類似性と通婚圏との関係:新潟県旧栃尾市で採取された「三枚のお札」の分析」が,大学のレポジトリで公開されました.

何でこんなものを,と思われるかもしれません.
まず,「三枚のお札」という物語が,とても魅力的です.幼稚園の頃,昔話を覚えてきてみんなの前で発表するというのがありました.そこで選んだのが,「三枚のお札」でした.学研の雑誌の付録のソノシートがあり,これを口調から何から覚えて発表しました.(まさか,YouTubeにソノシートがあがっているとは! 驚いたなぁ.テキストが瀬田貞二さん,語りが宇野重吉さんだったらしい)他の子たちが,桃太郎や浦島太郎やといったものが多かったので,とてもウケて,先生にもほめられて,いい気分になったのを覚えています.(この頃から,読むよりも聞く方が,アタマに入ってくるような気がしていましたが,それは今も変わっていません.)
時は下り,2004年10月,中越地震が発生しました.私は,被災地の1つである栃尾市(現,長岡市)で研究をすることにしたのですが,このとき,『栃尾市史』の1巻として,水沢謙一氏が市内で収集した「三枚のお札」だけを集めた資料集があることに気づいたのです.「三枚のお札」が大好きだった私は,それを1部買い求め,これを社会学的に処理することはできないかと考え始めました.
ピンときたのが,社会ネットワーク分析における情報伝播の理論です.昔話って,どうやって伝播するんだっけ? おばあちゃんたちが,孫に伝えていくという話は聞いたことがあるな.とすれば,地理的な分布と関連があるかもな.ということで,あとは,関心のある方は,本文を読んでみてください.

私としては,たとえば,文学研究者なら,こうはしなかっただろうな,と思えるものにしたいという気持ちがありました.結構うまくいったのではないかと思っています.
ただ,言語学(日本語学)の作法を知らないので,こういうコーディングの処理で納得してもらえるのかどうかについては,あまり自信がありません.だいたいこんなもんだろうという感じで処理をしてしまったところがあります.私は常にオープンマインドなつもりですので,何か問題があればご指摘いただけるとうれしいです.
すでに何年か前に,論文としては形になっていたのですが,粗削りなのはわかっているので,投稿論文にするのを躊躇しているうちに,年月が経ってしまいました.そのようなわけで,今回とりあえずこのような形で出すことにしました.楽しんでもらえればと思います.

Sunbelt会議で発表することになりました

昨日連絡が来て,アブストラクトの審査の上,6月下旬,英国ブライトンで行われるSunbelt会議(社会ネットワーク分析の国際会議)で発表することになりました.
タイトルは,”Museum Visiting Networks: Differences in Visiting Patterns between Citizens and Visitors”,これを,”Networks in Arts and Cultural Organization”というセッションで口頭発表します.
ちょっと前にやった安曇野市の美術館・博物館利用調査の結果報告です.
Sunbeltは,2010年のイタリア以来かな.久しぶり.
楽しみたいと思います.
しかし,今年も資金がない.全て自分持ちかな.何とかしないと.

数理社会学会第59回大会

3月14日(土)~15日(日),久留米大学で行われた数理社会学会第59回大会に参加してきました.
久しぶりのポスター発表でした.
タイトルは「寛容性尺度の構成と妥当性の検討」で,ずっとやってきている「寛容性」尺度のさらなる改変といったもの.なので,口頭発表にはそぐわないなと判断し,ポスターにしました.
いくつかのポイントがありました.

  • これまで作ってきた寛容性尺度を,対個人ではなく,対集団の形にしてみた.これは,ウォルツァーの寛容理論を参考にしたため.具体的には,ワーディングを,「人」→「人々」,「意見」→「価値観」とした.
  • 「不愉快な意見への耐性」にかかわる項目作りを工夫した.以前は2項目で聞いていたものを1項目で聞くようにしてみた.質問文が長くなったが,対象者の反応を見る限り,無理解という感じはなかったので,まずまずのものになったように思う.
  • 外国人にかかわるさまざまな変数を従属変数としたときに,一般的信頼は一貫して全く効かず,寛容性3因子のどれかが効くことが多いという結果となった.これは,ウォルツァー理論を支持する結果と言えるのではないか.
  • 全体として,改変した寛容性尺度の構成概念妥当性は,まずまずということになるだろう.

というところでしょうか.発表に来ていただいた方,それぞれに応じて,力点を変えながら説明できるというのは,ポスターの利点ではありますね.

自分以外の発表やシンポジウムは,なかなか刺激的だった.
数理モデルと実証とを常に結びつけようとしているF山さんの報告には,いつもながら説得性が感じられるし,経済学領域でのネットワークのモデルのレビューもしてもらえるので,いつも収穫が多い.
潜在クラス分析を用いた研究が増えてきているという印象だった.社会学はカテゴリカル変数を扱うことが多いし,クラスター分析よりは潜在クラスの方がいろいろな点ではるかに優れているので,こういった傾向は,これからも続いていくのだろうと予見させるものだった.しかし,そもそも数段階のスケールで聞いていたものを,わざわざカテゴリカル変数に落とすというのは,しばしば恣意的になるので,注意すべきだろうと思った.しかしそれでも,欠損値や「わからない」といった反応が多い場合には,それらをカテゴリとすることで,そういった反応をある程度きちんと取り込める点で,利用価値はあるものである.
シンポジウムは,これから自分が踏み出していこうと考えている方向のものだったので,特に理論的側面で,自分に欠けていると思われる点がいくつか発見できた点で,有意義だった.

さて,裏話的なことをいくつか.
今回,編集委員会と理事会との間の時間帯に,久留米大学の目の前を走っている久大本線で,日田まで行ってきました.ローカル線についつい乗りたくなるのです.全くの衝動的行動でした.しかし実は,日田まで行けず,1つ手前で降りました.というのも,日田での折り返しで2分しかなく,行きの列車が遅れていたので,日田に着くやいなや帰りの列車が発車という予感がしたからです.日田まで行きたかったw
懇親会の後,『ソーシャル・キャピタルと格差社会』が日本NPO学会で優秀賞を受賞したことを祝って,共編者の佐藤先生と,同書の執筆者のFさんと祝杯をあげました.後から数名も合流し,楽しいひとときを過ごしました.普段はやけ酒が多くても,たまには,歓喜の酒が飲めるというのは,人生にとってよいことです.
そう,そして,私の数理社会学会における理事職3期間を全うしました.まあ,ぼくは会長になることはないでしょうから,これで事実上気楽な立場になりました.これからは,テキトーなことも言えるなと思います.理事会の後の懇親会では,本当に解放された気分を味わいました.
編集委員会・理事会の前日(木曜日),編集委員会に間に合わないからということで,福岡市に前泊することにしました.松本から飛んでいる2路線の1つが福岡行きで,初めて乗りました.伊那谷と木曽谷の広さ(狭さ)が分かるとか,その向こうに富士山が見えるとか,なかなか楽しいフライトでした.
また,福岡では,中学時代の吹奏楽部の同期で,糸島市でお店をやっている何十年ぶりに会って飲みました.まさに時空を越えた出会いでした.こういった再会にしては不思議なことに,思い出話というよりも,現在までのそれぞれの遍歴とか,現代社会での渡り方といった話になりました.とにかく,まっすぐ一本な道なんてものが,絵空事に過ぎないと再認識するひとときでした.
というわけで,裏話の方が多くなりました.また,その都度飲んで,飲み過ぎたかも.
その後も,月曜日は,来年度の実習先への挨拶,火曜日は,卒論生の聞き取り先へのお礼など,バタバタしています.3月って,師走じゃなかったよな,と思わざるをえない感じです.

辻竜平・佐藤嘉倫編著,2014,『ソーシャル・キャピタルと格差社会:幸福の計量社会学』(東京大学出版会)が,第13回「日本NPO学会優秀賞」を受賞しました

辻竜平・佐藤嘉倫編著,2014,『ソーシャル・キャピタルと格差社会:幸福の計量社会学』,東京大学出版会 が,第13回「日本NPO学会優秀賞」を受賞しました.
選考していただいた委員の方々,共同編者の佐藤先生,執筆者の皆様にお礼申し上げます.

佐藤先生を通じて,内々のお知らせが入ったのが3月2日(月)の夜でした.その夜,編集者・執筆者にメールを回し,みんなで健闘をたたえ合いました.
いつもの勝手知ったるメンバーで科研費(基盤研究(B))「地域間格差と個人間格差の調査研究:ソーシャルキャピタル論的アプローチ」(2010~12年度)をいただき,かなり精力的に調査を進めました.その3年間に他のファンドでの調査も含めて3つ(本書での数え方としては4つ)の調査をやりました.本書はその成果です.科研代表者としては,かなり無理なスケジュールながらきちんと調査を遂行でき,また,その後も各人が分析と執筆を進めてもらうことができ,何とか本書を上梓できた2014年6月には,それなりに大きな達成感を得ていました.
今回,こうしてさらに賞をいただくことができ,たいへんうれしく思っています.東京大学出版会の編集者の方々を含め,本書に携わっていただいた方々に改めてお礼を申し上げたいと思います.

若干の恨み言を言えば,アマゾンでは,まったく言いかがりとしか思えないようなひどいレビューを付けられ,私も黙っておれずにコメントを付け返すなど,かなり憤慨し落ち込んでもいました.しかし,こうやって過分とも思えるほどの評価もしていただき,真面目にやっていれば,拾い上げてくださる人もいると認識を新たにしました.
また,某所に書いたことでもありますが,本書は,クラシック音楽で言えば,ショパンのソナタ第2番のようなものかなと思っています.この曲に対して,シューマンは,「ショパンは乱暴な4人の子供をソナタの名で無理やりくくりつけた」と評したと言われています(文は,ウィキペから).この本は,まさにそういう類のものだったと思います.全体の構成はある程度考えていたものの,各人に自由に書いてもらった各章は,かなりバラバラ(言いようによっては,多様)で,12個のベクトルは,あっちを向いたりこっちを向いたり,一見とりとめがないように見えます.それを編者2人の力業で一まとめにしたという感じがしています.それでもなお,お行儀がとても悪いように思われます.そんなお行儀の悪いものを高く評価していていただけて,本当にありがたく思っています.

それにしても,間抜けではあります.実は,本書の授賞式は3月14日.日本NPO学会の大会にてというご案内をいただきました.しかし,当日は,本書の執筆メンバーのほとんどが出席する数理社会学会ともろかぶり.やむなくというか無理を申し上げて,東京大学出版会で本書の編集を担当していただいた編集者の方に,授賞式に出ていただきました.ああ,受賞なんて,この先もうないんじゃないか.そう思うと,卒業証書とかではない賞の授賞式で授与されるという体験をしたかったなとも思います.
そんなわけで,同日夜,学会が行われている久留米では,共同編者の佐藤先生と,おしゃれなバーで夜遅くまで祝杯を酌み交わしました.おいしいお酒が飲めて幸せでした.