在外研究 in スイス…第3週(4月22日~4月28日)

4月22日(月),この日から娘たちの学校が始まる.前日・前々日の夜は,長女が不安を覚えてなかなか寝付けなく,まだまだ小さいとはいえ,杞憂と思われるようなことも含めて彼女なりにいろいろと心配しているようで,とてもかわいそうだった.
当日朝も,長女は不安そうでおびえているようだった.
朝学校まで送っていき,長女を私が,次女を妻が,教室まで送ることにした.午前8時から8時45分までに登校するようにとのことだが,この日は8時に来るように言われたので,少し前に校舎の前で待った.8時に校舎が開くと,ぞろぞろと校舎内へ.子どもたちは,教室の前で並んでいた.いろいろと聞きながら準備をした.ここで,靴を脱いで上履きに履き替える.そして,教室の前に設置されたおやつ入れの箱に用意してきたおやつを入れるなど.そうしている間に,子どもたちは並んで教室の中へ.娘も後から教室に入った.特段に「今日から新入生が来ました」と紹介されたりするふうでもなく,ふつうの一日が始まるかのような感じだった.ぼくは,もしかすると,何か紹介でもしないといけないのではないかと緊張していたが,何もなくて,肩すかしをくらった感じだった.娘の隣の席には,先ほど子どもたちが並んでいるときに「おはようございます」と声をかけてくれた男の子が座っており,ああ,この子が,ハーフの子なんだなとわかった.
ともあれ,それ以上はすることはなさそうなので,次女の教室に行ってみた.次女の方では,妻が来たときの準備について教えてもらっており,ぼくも妻から簡単に伝え聞いた.韓国系の子がいるようで,その父親と妻が挨拶を交わしていた.帰宅後もらった名刺をよく見てみると,日本の某広告会社のこちらの支店勤務らしい.片言の日本語をしゃべったりするようだったので,そういうことかとわかった.翌日は,私が長女も次女も送りに行ったので,そのときに彼と少し話をしたが,韓国系とはいえ,生まれはロンドンでずっとそちらで育ったなどと言っていた.いろんな人たちがいる街だなと,改めて思った.
昼食になると,子どもたちが帰ってきて,うちで昼食をとる.来週からは,GIAPという団体がやっている昼食サービスを受けることになったが,今週いっぱいは手続きが間に合わず,こういう形である.11時40分に娘たちを迎えに行くと,楽しそうな表情をしていた.長女は開口一声「お友だちができたよ!」と.長女も次女も,何かずっと遊んでいたらしい.お勉強は?と聞いたら,してない,とのこと.何をしていたのか,どういう教育メソッドなのかよくわからないが,とにかくいわゆるお勉強的な感じではなかったらしい.長女は鬼ごっこをしたとのこと.次女は絵を描いたりしていたらしい.長女に,お友だちのお名前は?と聞いたら,わからないと.これは,いつものパターンではある.日本にいるときも,公園ですぐに見ず知らずのこと遊べるという得意技を持っていた長女にとって,名前はともかく一緒に遊べるようになることが,まず何よりもお友だちへの第一歩なのだろう.
昼食を終えて子どもたちを再び学校に連れて行き,16時にお迎えに行った.やはり,楽しかったらしい.次女はともかく長女も宿題もないらしく,特にカバンの中にもそれらしいものもなかったので,本当にないのだろうと思われた.逆に,何もないというのは,大丈夫なのだろうか?とも思ったが,しらばく様子見である.
子どもたちは,初日から思った以上に学校に溶け込めたようで,しゃべれない(しゃべってない)状態でも,それほどそのことを苦にするわけでもなく,すーっと入っていっているようだった.
しかし,この日は,私が夕方に買い物に行って,帰ってきて袋からものを出しているところで,手がすべってワインの瓶を落としてしまい,1時間以上もかけて掃除をする羽目になってしまい,その傍らで,妻の銀行口座の不正使用が発覚して,妻はその対応で悲壮な様子であり,子どもたちは「お腹すいた」と叫んでおり,最悪の状況になってしまった.年に数回,こういった不幸が重なる日というのがあるが,こちらにきて最初のそれが,この日に来てしまった.本当は,ゆっくりと子どもたちに学校の様子を聞きたかったのだけど,夕食が終わる頃には,もうみんなが疲労困憊といった状態で,ともかく,全ては明日といった感じで,その日はもうシャワーを浴びて寝るしかなかった.
しかし,よかったことは,子どもたちが,穏やかな顔で寝てくれたことである.長女も昨日までの不安げな様子が嘘のように,穏やかだった.これが,「もう学校には行きたくない」とかだったら,この日は,さらに悲惨な状況になっていただろう.

4月23日(火),昨夜の衝撃もあって,子どもたちを学校に送っていったが,何か長女のクラスの様子がおかしい.誰もいないのである.向かいの教室の先生と話ができたので聞いてみると,別の学校にあるプールに出かけたとのことである.「あ,しまった! 火曜日はプールだと言われてたわ」と急ぎ帰り,持たせ忘れた水着を用意して,教えてもらった学校名をたよりにグーグルマップを使って走る.徒歩9分とか書いてるけど,これって走って9分の間違いじゃないか.ともあれ,隣の学校に到着.入り口を見つけ中に入るが誰もいない.どこにプールがあるかもわからない.しばらくさまよったが,自分が不審者みたいで,ここで捕まったりしないかと不安になる.ようやく,教室移動する先生を見つけて事情を話し(後で考えると,小学校の先生,ちゃんと英語でやりとりできる.日本ではこのレベルはちょっと無理かもしれない),子どもたちを待たせてプールまで連れて行ってもらった.プールに着いたは着いたで,更衣室の入り口を間違って開けたりすると,女子更衣室だったりしないかと心配したが,えいっと開けたところは男子更衣室で,そこで担任の先生もいたので,水着をわたし,何とか事なきを得た.男の子たちは,「[長女の名前]のお父さんじゃないのか?」などと笑っていた.帰宅後,昨日もらってきたプリントが2枚あって,よく見ると,その日からプールがあることが記されており,また持ち物としてスイミングキャップ(髪の毛が中程度より長い場合は必須)とあった.えっ,もしかして,水着を届けたけど,キャップがないから入れませんとかいうことになってるのか?と脱力したが,後で娘に聞くと,ちゃんと水着をわたしてもらい,プールに入れたそうである.男の子はキャップは付けておらず,自分も髪の毛が短いからよかったのかなと言っていた.他の女の子たちは付けている子が多かったようである.この午後,とりあえずキャップはあった方がよさそうだということで,買ってきた.
朝からバタバタで,疲れてしまった.妻もまだ,銀行口座の件でやり取りしていた.こちらは,何とか出口が見えてきたようである.
昼食で子どもたちが一時帰宅しているときに,荷物が届いた.先週注文していたスクーターだ.すぐに開封して組み立てた.大喜びだ.学校から帰ったら乗りに行こうと言って送り出した.
帰宅後,近くの広場に行って,子どもたちはスクーターに乗ってみた.長女はすぐにかなり自由に乗れるようになったが,次女は今ひとつといった感じだった.しかしともかく,一時間ほど遊び,とても気に入ったようだった.帰宅後,次女の持ち手の位置が少し高すぎたかなということで,少し位置を低くした.また,その翌日,よく見ると,実は前輪がロックされていて自由に動いていなかったことがわかり,ロックを解除した.基本的すぎるミスだったが,次女もこれでちゃんと乗れるようになるだろう.
この日の夜は何も起こらず,穏やかだった.

4月24日(水),この日は学校はお休みで,2回目の補習校である.長女の開始時刻の方が早いので,ランチを補習校近くの公園で食べて,補習校に送った.
この日,補習校から帰ってきた娘たちに,学校と補習校とどっちが楽しい?と聞いてみたら,学校だという.素晴らしい! 補習校は,確かに日本語で何もかも理解できるのだろうけど,お勉強をしないといけない.それに対して,学校は,何やら遊んでいるようで,どちらが楽しいかというと,学校らしい.言葉なんていらない,のだろうか?

4月25日(木),昼食に帰ってきた次女が,「今日はフランス語で歌を歌ったんだよ!」と.長女も「わたしもフランス語で歌を歌ったんだよ!」と.次女は,メロディラインで,次のフレーズがだいたい予想できるので,そのように歌ったら合ってた,みたいなことを言っていて,この子はそういう才能があるのかもしれないと,一瞬,バカ親っぽいことを考えてしまった.長女の方は,保育園の頃に歌ったことがある歌だったようで,すぐに歌えたとのこと.

4月26日(金),傘をさすほどでもないが,朝から雨天.もはや学校に通うのは日常のことになりつつあり,早く早くと言いながらも,何とか送り出す.娘たちも,ごく当たり前のように通うようになった.思い返せば,自分も,中2でミシガンの中学に通ったが,2,3日もすれば,日常のことになったかなと思う.言葉が分からなくても,文句も言わずに学校に通うようになるのは,不思議なことである.
学校は,朝送って行くと,校舎が開く時間まで,長女と次女の教室に近い入り口付近でそれぞれ別に待たされるのだが,長女は身振り手振りでクラスの子と何か話しているようであり,校舎に入るときには,列になって入っていくのだが,他の子たちと同様に,隣の子と手を繋いで入っていく.すっかりやり方には慣れてしまったようだ.子どもの適応というのは,素晴らしいものだなと思う.親が心配するよりも,簡単にやってのける.
昼休みに迎えに行くと,長女が,今日はお勉強したよと言う.フランス語が第2外国語の子たちが集まるクラス(9人らしい)で,みっちりと午前中は勉強したらしい.Je m’appelle … と Je viens du Japon. を習ったらしく,美しい発音で披露してくれた.次女も,今日はお勉強したとのことだった.これは,フランス語はやらないで済ませられればと思っているわたしとは違い,2人とも帰国する頃には,わたしの通訳として,たくましく育ってくれそうである.
夕方帰宅すると,2人とも手紙をもらってきていた.文面は同じものだったが,5月にコンサートに出るらしい.昨日,歌を歌ったと言っていたが,おそらくそのことだろう.日本の自宅では,わたしが,一日中(一晩中)クラシック音楽をかけていて,うちの子たちもピアノを習っているだけのことはあって,音程はかなりいい(もちろん,同学年くらいの子を基準だが).また長女は,妻の発声のよさと滑舌のよさを受け継いでもいて,保育園の年長のときにやった劇では,最も音程の難しい曲を担当したし,1年生の時には,運動会で選手宣誓もやった.5月のコンサートまでにフランス語にどこまで馴染むかわからないが,父としては,すでにかなり期待している.
今日から,ディズニー映画「ウィッシュ」の公開である.夕方帰ってきて,娘たちは早速見ていた.日本では,映画館に2回行き,こちらに来る飛行機でも,それぞれ見ていたように思う.次女よりも長女の方が,これは好きそうだ.
今日は,午後から2週間ぶりくらいに大学に行った.コーヒーを買ってすすりながら,2,3時間ほど.科研費の報告書の仕上げをやった.ついでに,このウェブサイト上の業績のアップデートと.研究はまだできていないが,来週からは,子どもたちのランチもGIAPという団体が提供しているサービスを受けることになり,昼の時間を気にしなくてよくなるので,研究はこれからというところだろう.
ところで,大学のコーヒーだが,コーヒーショップで入れ立てのコーヒーがCHF7.30である.うち,容器代CHF5.00で,容器を返すとこれが戻ってくるという仕組みである.コーヒーそのものはCHF2.30.やや高い感じもするが,まずまずというところだろうか.帰りに返却しようとしたら,4時過ぎだったがすでに閉まっていた.金曜日だからか,いつもそうなのか知らないが,ちょっと早すぎないだろうか.

4月27日(土),妻がジュネーヴ市から離れたニヨンNyonという街で,無料のガイドツアーがあるから行こうということになり,前々日くらいに突如決まったツアーに出かけた.このツアーは,世界各地からジュネーヴにやってくる各国の政府関係者や駐在の人などを対象とした活動などを行う CAGI (le Centre d’Accueil de la Genève Internationale) が主催しているものだった.
ジュネーヴの中心にあるCornavin駅に行き,そこから15分ほど高速電車に乗った.車内からは,レマン湖と,その周辺の景色,レマン湖の向こうのモンブランなどが見え,短時間だがスイスの車窓を楽しんだ.Nyon駅に到着すると,そこから数分歩いてChateau de Nyonに到着した.ここが,ツアーの出発点である.

30~50人くらいが集まっていたが,シャトーの中に入れてもらい,最上階で朝食のレセプションがあった.最初にNyonの市長が挨拶し,コーヒーや飲み物と,クロワッサンなどのパンをいただいた.さすがに各国の「偉い人」という感じで,皆さんカジュアルな服装ではあったが,社交が繰り広げられていた.
シャトーからのルマン湖の景色は絶景で,諏訪湖みたいなものかと思っていたが,はるかに美しかった(諏訪湖の景色って,高台から見るとイオンの赤い看板とかあって,全く興ざめだ).湖自体の美しさ,湖の向こう側に見えるフランスのモンブランや,水でおなじみのエヴィアンまで見通せた.
モンブランが見える
1時間ほどしてツアーが始まり,英語のグループとフランス語のグループに3つくらいに分かれた.Nyon の街の成立(ローマ帝国のこの地の支配から始まって,サヴォイア(サヴォワ)公国の支配下にあったこと)の話を含めながら,各所で説明を聞いた.泉,ルソーの父が一時いたという建物,教会,洗濯場所(ランドリー),旧市街地など,2時間ほどで回った.子どもたちがいたので,集中して話を聞けなかったが,それなりには街のことがわかった.町並みは,ローマ時代の遺跡を一部残しながら,サヴォイア公国時代からの雰囲気を残しており,ヨーロッパの田舎町という感じで,いい街だなと思った.NHKの世界の街歩き番組に出てきそうなところだった.

昼食を付近のビストロでとり,子どもたちは,ツアー途中で見つけた公園で遊びたがったので,ぼくが公園で見ながら,妻はマーケットなどでの買い物に出かけた.

1時間ほどして,頃合いを見て帰路へ.再び,短い時間だが風景を楽しんだ.
帰宅後,子どもたちは,先日買ってもらったスクーターに乗りたいと言いだし,近くの広場に付き合った.

4月28日(日),今日はうちでのんびり.
長女の補習校の宿題をやらせるのがたいへんだ.勉強する習慣,継続して粘り強くやるという習慣がなくなってしまっている.たいした量ではないのだけど,丸一日かかる.なだめたりすかしたりしながら.
日本の補欠選挙の開票結果が昼過ぎから入り始める.予想どおりの展開で,3選挙区で立憲民主党の候補者が早々と当選確実となった.野党はこれを弾みにしたいだろうが,今回については,自民が裏金問題で躓いたことが大きく,野党でなければという2000年代後半のあの勢いがあるかどうかは,まだわからない.日本にいないということもあるが.野党は勝って兜の緒を締めよだと思う.

今週は,何といっても,子どもたちの学校が始まった1週間だった.子どもたちの学校が始まったので,1週間が終わるとさすがに疲れているが,そろそろルーチン生活が始まったという安堵感はある.ルーチン生活というと,否定的なニュアンスもあるが,落ち着いた日々を送れるということは,まずもってよいことである.

今週は,イミグレーション関係は,進まなかった.もう一度行って,指紋を採られたりしに行かないといけないはずだが….とりあえず,連絡待ちだが,来週中には,一度連絡を入れた方がいいのかもしれない.

学校は,なかなか小うるさい.時刻はかなり厳守が求められ,校舎が開くときに,どこで待つということも,徹底される.朝・昼・夕方と,一日3回学校に行くが,今週は,毎日2回平均くらいで何か一言言われ,週後半になると,毎回ビクビクするようになってしまった.実は,登校拒否になりそうなのは,娘たちではなく父である(苦笑) 中越地震の被災地に入ったときに,お世話になった小学校の校長先生から,学校教育は,子どもたちの教育であるが,実は,大人の教育でもあるという趣旨のお話を聞いたことがあるが,今,わたし自身が,スイス・スタンダードを学習させられているのだと思う.日本の学校とはいろんなところが違っていて,時折,こんなんで大丈夫かと思うところもあるが,こっちが,ただダラダラしているのではなく,こちらはこちらの考え方・やり方に従って真面目にやっているのだと思うので,最初からあまりテキトーに対応するのではなく,ある程度,合わせてみようとすることも必要かなと思う.それに慣れた上で,比較したり文句を言ったりすることにしよう.

このところたいへんなのが,ウェブショッピングだ.ドイツやフランスのアマゾンが,使えるカードが限られているために,実質使い物にならないことがわかり,また,スイスでは,いわゆるヤフーショッピングや楽天市場みたいな総合サイトがないので,必要なものに応じてウェブサイトを物色することになる.1つ1つのウェブサイトに癖があるので,なかなか思いどおりの商品にたどり着かないのと,多言語対応になっているとはいえ,英語を選んでいても,遷移した次のページではドイツ語に変わってしまうなど,あまり徹底していない.このように欲しいものを選ぶのに時間がかかるが,欲しいものにいきついても,アマゾン同様,使えるクレジットカードと使えないクレジットカードがあったり,また,あっちのサイトではこれは使えてあれは使えないが,こっちのサイトではこれもあれも使えないとか,サイトにカードの登録はできても,いざ使おうとしたらはねられるとか,どういう規則性があるのかもわからず,とにかくさっと行かないので,消耗する.日本では,基本アマゾンユーザーだったが,アマゾンの楽さを痛感した.とりあえず,先週のスピーカーに続き,家で使用するためのモニターを何とか注文した.

追記:

学校の登下校および昼食時間帯には,学校周辺の交差点に黄色とオレンジ色のベストを着た人が来て交通整理する.ある日,家の前の交差点を,わたしが手を繋いで娘2人とわたったら,呼び止められて,(言葉が分からないので詳細は分からないが),自分が車の制止をするまでわたってはいけないということが言いたいようだった.日本だと,親がいればそういうことを言われることはないが,かなり徹底しているようである.これも小さなカルチャーショックだ.細かいレベルで常識が決まっている.その細かい違いが集まって,独特の文化となるのだろうななどと考えた.
ところで,このベストを着ている人たち,子どもたちを昼食に連れて行くGIAPの人たちの出で立ちと似ている(同じ?)なので,彼らは昼食に連れて行くだけでなく,それに関わるさまざまな業務を請け負っているのかもしれない.
そうだとすると,彼らは,日本のPTAの見回りといったボランティアではなく,かなりプロ意識を持ってやっている人たちなのかもしれない.だから,自分が来るまでわたってはいけないなどと言われたのかもしれない.