在外研究 in スイス…出国前のさまざまな混乱について

本務校の計らいで1年間の在外研究が取れることになり,2024年4月から1年間,スイスのジュネーヴ大学に行けることになりました.4月3日に日本を発ち,4日にジュネーヴに到着しました.これからどれだけの頻度で更新できるかはわかりませんが,なるべくその様子を記録しておきたいと思います.Facebookでは,もう少し私生活的なところも公開するかもしれませんが,ここでは,そういったことは,やや控えめになることでしょう.

在外研究に至るまでの若干の経緯を説明すると,時は遡って30年ほど前の私のUC Irvine留学時,スイスのジュネーヴ大学でPh.D.をとり,UCIに来ていたポスドクのEric Widmerに出会ったのでした.彼は当時,私が開発しようとしていたネットワークの並べ替え検定(permutation test)のプログラム(1998年頃に,一応,PermNetというプログラムとして世に出した)や,私が当時取り組んでいた人々の信頼についての研究にコメントをくれたりと,アカデミックな交流があったのはもちろんですが,彼のホームパーティに誘ってもらうなど,私生活での交流もありました.

彼とは,その後,2010年にイタリアのガルダ湖畔で開催された,社会ネットワークの国際会議Sunbelt会議で出会ったり,細々とではありますが,交流を保ってきていました.
そんな中,在外研究を取れることになったのでした.

とはいえ,近畿大学での在外研究の学内手続きは,遅々としたものでした.妻(関西学院社会学部教員)は,早々と2年ほど前にサバティカルを認めてもらい,それ以降は,新規ゼミの募集も行わないといった待遇だったのですが,近大では,在外研究の募集が出るのが,前年の5月,ようやく学部内で候補となるのが8月から9月頃で,理事長決裁が出たのは,12月下旬(それも,ジュネーヴ大学側から,もうこれ以上待てないと言われて,急ぎ決済してもらった)でした.スイス側は,滞在許可が出るのに最低8週間はかかるとのことで,アパート探しは,事実上それ以降でないと難しいとのことだったので,在外研究に出るまでの1年間ほどは,薄氷を踏む思いで何とか在外研究にこぎ着けたという感じでした.もっと言うと,在外研究前の1年は,3年ゼミを持っていたので,それを解体して,専攻の他の先生方に振り分けないといけないという苦渋の決断もありました.(私のゼミは比較的少人数だったので,まだ振り分けは容易だったとは思いますが,ゼミ生が多い場合は,よりたいへんなことになるだろうと想像されます.)

近畿大学には,自分と他の先生方から事情聴取して,よりよい在外研究にむけてのスケジュールのあり方を,在外研究後に提案する文章を書こうと思っています.みんなが,薄氷を踏む思いをせずにすむように.

ともあれ,事前に,なかなか直前まで決済が降りないようだということは分かっていたので,全く知らない人や,学会でちょっと出会った人などには,在外研究の受け入れをお願いすることは難しいことは承知していました.そのため,いろいろと考えた結果,Eric Widmerにお願いしたのです.お願いの連絡を始めたのは,1年半ほど前でした.Zoomで何度か話をしました.このあたりは,コロナ禍で身につけたコミュニケーション手段が活かされたと言えるでしょう.その頃,妻は,すでに在外研究を得ることが決まっていましたが,私はまだ全く何の保証もない時期でした.ぼちぼち感触を探りながら,少しずつ進めていきました.前年5月頃には,ジュネーヴ大学では受け入れの決済が降りていたので,まだ学部での募集開始ごろというタイミングでしたが,ここで何としてでも実現しないと信義に関わることなので,慎重かつ大胆に決めていく必要がありました.

しかし,そろそろ理事長決裁かというタイミングで,国会でいわゆる「裏金問題」が発覚し,その理事長が矢面に立たされるという状況になり,12月頃は,毎日がドキドキでした.しかも,12月中旬になると,とにかくスイスがクリスマス休暇に入ってしまう前に,決済が降りないと,4月からの在外研究開始は事実上難しいなどと言われ,非常に落ち着かない日々でした.

年が明けると,なかなか降りないスイスでの滞在許可で気を揉みました.かなり最速でやってもらえたようで,2月下旬になるかと思っていた許可が,1月下旬頃に降りました.しかし,その後は,アパート探しはスムーズにはいかず,2件ほどのエージェントと大学のウェルカム・センターの3方向から探してもらい,ようやく2月下旬に今のアパートとコンタクトを始め,3月上旬に決まるというような感じでした.

アパートが決まると,子どもたちの学校も決めていく必要がありました.これについては,遡って,妻が昨年9月に現地視察に行き,2つのインターナショナルスクールを見学に行ったりしましたが,何せ非常に高額(円安も手伝って,2人で1年間1千万円くらいとのこと)なので,公立の学校に入れることにしました.その旨ウェルカム・センターに伝え,ウェルカム・センターから手続きをお願いしている状態です.ちなみに公立学校だと,学費という点では無料です.もちろん,諸経費はかかりますが.

円安の影響は大きかったです.日銀がなかなかゼロ金利政策を解除しないことや,ウクライナでの戦争のため,スイスフランがおそらく安全通貨と思われていることもあって,対ユーロでもフランが高騰するという事態になりました.そのため,現地に着いてからものを買うのではなく,考えられるだけのものを日本で買って送ってしまおうということになり,妻はいろいろなものを買い集めていました.実際,これは本当にうまく当たって,妻の段取りの良さに脱帽といったところです.持つべきものは,賢い妻ですね.(逆に,妻の私に対する評価は,下がる一方のようではありますが…情けない.)それにしても,今,郵便局から荷物を送るときには,中身について一つ一つ申請書を書かないといけないのです.素材が何かとかも.そのため,説明が難しそうなものについては諦めざるを得ず,洋服など簡単なものにとどめざるを得ませんでした.これもみな,妻が事実上やってくれました.妻に感謝です.

だいたいそんなところですが,いくつか特記事項です.

スイス留学のためには,日本にある領事館は全く関与せず,スイスは連邦制のため,受け入れ大学を通じて,その州政府に滞在許可をもらわないといけないというところに戸惑いました.

滞在許可をもらう過程で,犯罪経歴の証明書が必要ということで,県警本部に書類をもらいに行きました.何か独特の雰囲気のあるところでした.申請してから2週間後くらいに受け取りに行くのですが,受け取ってトイレに入ったら,小便器の前に,「桜吹雪を防ぐためにもう一歩前へ」とイラスト入りのポスターが貼ってありました.なかなかうまいな,と思いました.

というわけで,何とか4月3日に関空を発ち,ドバイ経由でジュネーヴにやってきました.途中,イタリアのガルダ湖上空を通過し,2010年にEricと出会ったことを思い出すとともに,いよいよだなと気持ちを新たにしました.
ジュネーヴに着いた日からしばらくは暖かく,近くの公園は花盛りでした.