3月14日(土)~15日(日),久留米大学で行われた数理社会学会第59回大会に参加してきました.
久しぶりのポスター発表でした.
タイトルは「寛容性尺度の構成と妥当性の検討」で,ずっとやってきている「寛容性」尺度のさらなる改変といったもの.なので,口頭発表にはそぐわないなと判断し,ポスターにしました.
いくつかのポイントがありました.
- これまで作ってきた寛容性尺度を,対個人ではなく,対集団の形にしてみた.これは,ウォルツァーの寛容理論を参考にしたため.具体的には,ワーディングを,「人」→「人々」,「意見」→「価値観」とした.
- 「不愉快な意見への耐性」にかかわる項目作りを工夫した.以前は2項目で聞いていたものを1項目で聞くようにしてみた.質問文が長くなったが,対象者の反応を見る限り,無理解という感じはなかったので,まずまずのものになったように思う.
- 外国人にかかわるさまざまな変数を従属変数としたときに,一般的信頼は一貫して全く効かず,寛容性3因子のどれかが効くことが多いという結果となった.これは,ウォルツァー理論を支持する結果と言えるのではないか.
- 全体として,改変した寛容性尺度の構成概念妥当性は,まずまずということになるだろう.
というところでしょうか.発表に来ていただいた方,それぞれに応じて,力点を変えながら説明できるというのは,ポスターの利点ではありますね.
自分以外の発表やシンポジウムは,なかなか刺激的だった.
数理モデルと実証とを常に結びつけようとしているF山さんの報告には,いつもながら説得性が感じられるし,経済学領域でのネットワークのモデルのレビューもしてもらえるので,いつも収穫が多い.
潜在クラス分析を用いた研究が増えてきているという印象だった.社会学はカテゴリカル変数を扱うことが多いし,クラスター分析よりは潜在クラスの方がいろいろな点ではるかに優れているので,こういった傾向は,これからも続いていくのだろうと予見させるものだった.しかし,そもそも数段階のスケールで聞いていたものを,わざわざカテゴリカル変数に落とすというのは,しばしば恣意的になるので,注意すべきだろうと思った.しかしそれでも,欠損値や「わからない」といった反応が多い場合には,それらをカテゴリとすることで,そういった反応をある程度きちんと取り込める点で,利用価値はあるものである.
シンポジウムは,これから自分が踏み出していこうと考えている方向のものだったので,特に理論的側面で,自分に欠けていると思われる点がいくつか発見できた点で,有意義だった.
さて,裏話的なことをいくつか.
今回,編集委員会と理事会との間の時間帯に,久留米大学の目の前を走っている久大本線で,日田まで行ってきました.ローカル線についつい乗りたくなるのです.全くの衝動的行動でした.しかし実は,日田まで行けず,1つ手前で降りました.というのも,日田での折り返しで2分しかなく,行きの列車が遅れていたので,日田に着くやいなや帰りの列車が発車という予感がしたからです.日田まで行きたかったw
懇親会の後,『ソーシャル・キャピタルと格差社会』が日本NPO学会で優秀賞を受賞したことを祝って,共編者の佐藤先生と,同書の執筆者のFさんと祝杯をあげました.後から数名も合流し,楽しいひとときを過ごしました.普段はやけ酒が多くても,たまには,歓喜の酒が飲めるというのは,人生にとってよいことです.
そう,そして,私の数理社会学会における理事職3期間を全うしました.まあ,ぼくは会長になることはないでしょうから,これで事実上気楽な立場になりました.これからは,テキトーなことも言えるなと思います.理事会の後の懇親会では,本当に解放された気分を味わいました.
編集委員会・理事会の前日(木曜日),編集委員会に間に合わないからということで,福岡市に前泊することにしました.松本から飛んでいる2路線の1つが福岡行きで,初めて乗りました.伊那谷と木曽谷の広さ(狭さ)が分かるとか,その向こうに富士山が見えるとか,なかなか楽しいフライトでした.
また,福岡では,中学時代の吹奏楽部の同期で,糸島市でお店をやっている何十年ぶりに会って飲みました.まさに時空を越えた出会いでした.こういった再会にしては不思議なことに,思い出話というよりも,現在までのそれぞれの遍歴とか,現代社会での渡り方といった話になりました.とにかく,まっすぐ一本な道なんてものが,絵空事に過ぎないと再認識するひとときでした.
というわけで,裏話の方が多くなりました.また,その都度飲んで,飲み過ぎたかも.
その後も,月曜日は,来年度の実習先への挨拶,火曜日は,卒論生の聞き取り先へのお礼など,バタバタしています.3月って,師走じゃなかったよな,と思わざるをえない感じです.