現在,社会調査実習に向けて,学生たちの下地を作るべく,キムリッカの『新版 現代政治理論』を読んでいます.
これだけの大著の翻訳は,たいへんなご苦労だったことだろうと思います.
翻訳をミスなく行うのは,自分の経験からもたいへん難しいことですが,重要な箇所における翻訳のミスと思えるところを,見つけ次第,書き留めておきたいと思います.
もちろん,私の方が間違っている可能性もありますので,ご指摘くだされば,修正・削除などいたします.
4月20日記:
翻訳p.81, ll.10-11, すべての社会的な基本材―自由や機会,所得や富,自尊心の基盤―は,その一部ないしは全部を不平等に分配することが最も恵まれない人々の利益にならない限り,平等に分配されなければならない.
英文p.55, ll.11-14, [A]ll social primary goods – liberty and opportunity, income and wealth, and the bases of self-respect – are to be distributed equally unless an unequal distribution of any or all of these goods is to the advantage of the least favored.
私訳,すべての社会的基本財―自由や機会,所得や富,自尊心の基盤―は,それらの財の一部ないし全部が不平等に分配されることが,最も恵まれない人々の利益になるのでなければ,平等に分配されねばならない.
下線を付けたところが主なポイントです.unlessの訳し方ですが,読みようによっては誤訳ではないのかもしれませんが,誤解を招きやすい表現だと思います.
この部分,『正義論』からの引用なので,もしかすると,日本語訳からそのまま持ってきたのかも? 日本語訳を持ってないので確認していませんが,とりあえず.
もう1箇所,変だと思うところがあるのですが,もともとの文章自体がよく理解できていないので,私訳はせず,指摘だけしておきます.
翻訳p.82, ll.12-13, 第一原理―各人は,すべての人々にとっての同様な自由の体系と両立しうる最大限の基本的自由への平等な権利を持たなければならない.
英文p.56, ll.1-2, First Principle – Each person is to have an equal right to the most extensive total system of equal basic liberties compatible with a similar system of liberty for all.
下線を付けたところがポイントです.A compatible with Bという表現から,比較されているのは,system同士ということになろうかと思います.訳文としても,「両立しうる」というよりは,Bと「比肩しうる」Aというような訳の方が適切かと思われます.そうすると,an equal rightとは,平等な権利ではなく,同等の権利とすべきではないでしょうか?
ひとまず以上です.
私の方で誤りがあれば,ご指摘ください.
また,気づいたことがあれば,追記するかもしれません.
4月23日追記:
第一原理(翻訳p.82)について,ツイッター上で @takemita さんにコメントをいただきました.いろいろと説明をいただいき,もとの訳で,おおむねよいのではないかと考えるようになりました.
原文を読むと,構文上では,確かにsystem同士が対比されているのですが,私自身は,このsystemということの意味内容がきちんと理解できていませんでした.
このsystemについて,set(集合)というような意味で捉えたらよいのではないかと教えてもらいました.教えてもらったことをそのまま引用しておきますと,
Aさんが{他人を殺す自由,他人に殺されない自由}という自由の集合(への権利)をもつとすると、これはBさんも同じ自由の集合(への権利)をもつという想定と両立不可能です。
ゆえに、「他人を殺す自由」は第一原理による保障の対象からは外れることになるわけです。
次に,翻訳文では翻訳されていないように見える the most extensive total system については,
両立可能性の条件を満たす諸自由を全部拾ってきて集合を作るというニュアンス、”total”はその集合の全体、という感じかと思いますので、「最大限」でカバーできているように思います。
とのことでした.
その説明にある「諸自由を全部拾ってきて」というところで,extensiveが,上の例のように集合の「外延」という意味であると理解すれば,それで了解可能ではあると思われました.
しかし,この点については,訳文として,こんなに端折ってしまってよいものだろうか,という感じもします.「最大限」という言葉を見たときに,「最も外延的で全体的な体系(集合)」という,上で説明してもらったことが,誰にでもすっと思いうかぶというようなものではないようにも思われます.ロールズの理論をきちんと理解できてさえいれば,「最大限」という訳で了解可能としても,訳文として端折りすぎではないかという気がしないでもありません.
そのほか,”equal basic liberty”の”equal”が訳されていないように思えるが,それは,”similar”でカバーできているようにも思えるといったご意見もいただきました.
また, @takemita さんは,そもそもロールズの英語の文章自体が下手くそなのではないか,とご指摘.うーん,確かにそう言われてみると,確かにクセのある用語法(たとえば,system)だし,(構文の複雑さは,まあこんなもんかなという感じもしますが,読みやすくはないし,)その意味では下手くそなのかもしれません.そういった場合に,直訳してやっぱり意味が分からないということでよいのか,訳者の方で意味が分かるように訳出する方がよいのかは,難しい判断だと思います.訳者は,後者のような判断をしたということなのかもしれません.
ともあれ,systemの意味,訳文のあり方など,いろいろと勉強になりました.
それにしても,やっぱり翻訳は,奥が深いですね.餅は餅屋と言いますが,当該理論について十分に理解しておかないと,ちゃんとした翻訳はできないのだなと思いました.