7月15日(月)から21日(日)まで,家族でスイス旅行に行ってきた.その様子を記しておく.
7月15日(月):ジュネーヴ~チューリッヒ
チューリッヒまでは,ジュネーヴから3時間弱くらい.ローザンヌあたりまではレマン湖のほとりを走るが,そのうち平原に.また,フランス語圏からドイツ語圏に入ると,駅名もドイツ語風になる.
チューリッヒは,スイスのドイツ語圏にあり,スイス最大の人口を誇る都市である.最大の人口といっても34万人ほど,2位のジュネーヴが18万人ほど.
https://worldpopulationreview.com/countries/cities/switzerland
人口規模からすれば,私が馴染みのある長野県の長野市(36万人)と松本市(24万人)みたいな対比だ.また,山に囲まれた盆地という点でも似ていると言える.しかし,実態は,まあ,比較にならないと言ってよい.比較しても仕方ない.チューリッヒにせよジュネーヴにせよ,その人口規模からは想像できないほどの都市である.
ジュネーヴとチューリッヒの比較では,行った範囲での比較だが,ジュネーヴのジェントリフィケーションの度合いもすごいと思うが,さらに上を行っている気がした.国際金融の中心地の1つであり,街並みもより近代化されている.(それ自体に批判はあるにせよ)各種の世界の大学ランキングでトップ10付近に位置付くチューリッヒ工科大学の存在も大きいと思う.ジュネーヴの方は,ビジネスよりは国際機関の都市という感じなので,せかせかした感じが少ないかなと思われた.ジュネーヴの方が生きやすいかなと思った.
チューリッヒのホテルは高いので,もはやそういう選択肢はなく,それでも高いマンションの一室を借りた.日本の自宅マンションの2倍くらいの面積がありそうな部屋だった.私の見積は3億円,妻は2億円と踏んだ.しかし,
https://realadvisor.ch/en/property-prices/city-zurich
によると,アパートメントについては,「市場に出ているアパートの中央値は1,792,500スイスフランである。 80%の物件の希望価格は854,500スイスフランから2,961,500スイスフランの間である。 チューリヒの平均m²単価は16,161スイスフラン/m²(1平方メートルあたりの価格)である。」つまり,中央値が3億1千7百万円ということになる.泊まったところの新しさと規模感からすれば,ぼくの見積でも安すぎるかもしれない.いずれにしても,普通の日本人には全く手が出ない.
この日は,チョコレートのLindtの博物館を訪問.しかし,予約枠が埋まっていて,喫茶とショッピングのみ.大きな板チョコに文字を書いてもらうことができ,世界で1枚のチョコレートができるのだが,人件費込みとはいえ,23フランした.チョコレートに4千円.いや,もうそういうことを考えていては何も楽しめない.旅行中はあんまり考えないことにしようと思うことにした.
Fritag本店でバックパックを購入.高機能ではないものの(その分割安)デザインの気に入ったものがあった.そのとき,Fritagのショルダーバッグを持っていたので,レジで,「これ日本で買ったんだよ」と言うと,「ああ,10年くらい前のものかな」と.傷み具合とかからちゃんと判別できる店員さんも,なかなか訓練されているようだ.
Fritag本店近くの公園に隣接するレストランで夕食.子どもたちを遊ばせながら,ワインと夕食を楽しんだ.味も確かなものだった.
7月16日(火):チューリッヒ~マイエンフェルト
この旅行を計画するさい,子どもたちを「ハイジの里」に連れて行きたいというのがあり,最初にマイエンフェルトに行くことを決めた.チューリッヒからマイエンフェルトまでは,1時間半ほどの行程で,次第に湖や高い山が見えるようになり,心が浮き立った.
この1,2ヶ月前,旧Twitter(X)で,あるイタリア人が,日本のアニメの「ハイジ」のテーマ曲が,リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」にヒントを得ているのではないかといった書き込みを数ヶ月前にしていたのを見つけた.そのとき,果たして,マイエンフェルトの風景を見たときに,「ハイジ」か「アルプス交響曲」のどちらが頭の中で鳴るのだろうかと思い,期待していた.結果は「アルプス交響曲」.「ハイジ」のテーマが鳴ることはなかった.もっとも,「アルプス交響曲」も,スイスアルプスの描写ではないのだが.
この旅行に出る直前に,娘たち2人と,映画「ハイジ アルプスの物語」(2015)と「サウンド・オブ・ミュージック」(1965)を見た.すでに娘たちは,アニメの「ハイジ」は,だいたい見ており,映画は復習というような意味合いだった.
「サウンド・オブ・ミュージック」は,初めて見せた.「ドレミの歌」は,当然知っているが,他の曲は知らないようだった.ともあれ,時代背景を説明しながら,2日に分けて3時間の映画を見通した.最後に,オーストリアから山を越えるシーンで,ここで山を越えてスイスに出たんだよと言うと,長女(7歳)は,なるほどそういうわけでこの映画を見たのか,というような反応だった.また,そのオーストリアからスイスに山を越えた当たりに行くんだよというと,関心もより高まっていたようだった.その後も,映画をまた見たいと言っているが,何せ長いので,次がいつになるかは不明.
ところで,第二次世界大戦中,オーストリアは,ナチス・ドイツの手に落ちてしまったが,スイスが落ちなかったわけというのも面白い.「アンリ・ギザンが軍の最高司令官に任命され、スイスでは戦時にしか与えられない「将軍」の称号が与えられました。外からの侵略を防ぐためにアルプス山中に要塞を建設する計画が進められました。ナチスが侵攻してきた場合に、要衝であったアルプスの山岳地域だけでも守ろうとしたのです。」(https://www.myswitzerland.com/ja/planning/about-switzerland/history-of-switzerland/world-war-ii/)その要塞計画には,主要道路や,国境のトンネル,付近の橋を爆破してしまい,アルプス山脈に立てこもってゲリラ戦を行うというもので,一説では,それがナチス・ドイツのスイス攻略の意気をそいだとか.
マイエンフェルトに着いたのは午後だったが,片道40分ほどという「ハイジの村」(Heididorf)に向かって歩き始めた.途中までは家々の間を行くが,ところどころに泉が湧いており,手をぬらしたり顔を洗ったり,試しに飲んでみたりしながら登っていった.ワイナリーもいくつかあったが,午後遅いためか,開いているところはなさそうだった.家々がなくなると,ブドウ畑やお花畑が広がって,上の方に目標となる「ハイジの村」が見えていた.実際には,7歳児と5歳児の足で,道草を食いながら行くと,ちょっと40分では無理で,1時間ほどはかかったと思う.
「ハイジの村」に到着したのは17時前,1時間ほどで5つほどあるスポットを見学した.ハイジが冬期を過ごしたとされる家,村の学校など.ぼく自身は,村の学校が印象深かった.そこは,牧師の寄宿舎でもあり,ハイジやペーターが座っていただろう長机と長椅子,教壇の奥にある牧師(教師)の住まいとなっていた.アニメの「ハイジ」の学校の場面が蘇った.そろばんのようなものも置いてあり,洋の東西を問わず,こういった道具を使って計算を学んだのかなと思われた.
歴代の「ハイジ」の映画や番組のポスター(一部は映像も)や,世界各国で出版された翻訳本などが一覧展示されているところもあった.やはり,日本の「アルプスの少女ハイジ」(1974)は別格で,登場するキャラクターのグッズなども展示・販売されていた.また,日本ではそれほど知られていないが,日本の番組のキャラクターをもう少し西欧風に変えたヨーロッパ版(amazon prime, disney plus)もあるらしく,そのポスターやキャラクターのグッズもあった.スイス人でも,日本のアニメからハイジを知ったという人も結構いるらしい.ただ,記事によると,日本のハイジに対するスイス人の評価は,必ずしも高くないようだ.
次女が,ハイジの衣装(この地方の民族衣装と思われる)がほしいと言い出して,それを買った.翌日から2日ほど,喜んでそれを着ていた.
特筆すべきは,マイエンフェルトでは,ガイドのパンフレットに日本語表記のものが結構あることだ.やはり,「アルプスの少女ハイジ」の影響は大きいと思う.日本人観光客もそれなりに多いのだろう.
本当は,さらに上にある「ハイジヒュッテ」あたりまで登りたかったが,さらに倍以上の距離がありそうで,ちょっと小さな子連れでは無理かなと思い諦めた.
夕食は,この旅行で唯一のホテルだったハイジホテルのレストランで食べた.その庭先に宿泊者用の公園が広がっており,子どもたちを遊ばせながら食べた.山の風景を見ながらの食事はおいしかった.やや残念だったのは,2泊したが,晴天で山の上まで見えたのは,最終日の朝だけだった.それでも,十分に素晴らしい風景だった.
7月17日(水):マイエンフェルト~リヒテンシュタイン日帰り
この日は曇り.山を登る計画は早々に諦め,隣駅のバート・ラガーツの温泉(ハイジでは,クララのおばあさんが,療養に立ち寄るという設定だったところ)に行くか,もう少し先にあるヨーロッパ第4の小国リヒテンシュタインに行くかということになったが,バート・ラガーツの公共の温泉施設はしばらく改修期間ということで,リヒテンシュタインに行くことにした.
バート・ラガーツからもう1つ先のサルガンスまで行き,そこから30分ほどバス.途中ライン川を越えるとリヒテンシュタインだ.ファドゥーツとも呼ばれる地だが,リヒテンシュタイン公が土地を買い増してある程度の大きさとし,1719年に神聖ローマ帝国から自治権を与えられて誕生した国である.現在もファドゥーツ城には,その末裔が住んでいるので,城の中には入れない.
こぢんまりとした国なので,いわゆる1つある繁華街に全てが集まっているという感じ.しかも,博物館・美術館から,陸上競技場,ホールまで,こんな小国にどうしてこんな立派な物があるのかと思うほどの施設がある.それはどうやら,ここがいわゆる租税回避地として名高いからであって,世界中から集まってくるお金で,こういった立派な物が作れたのだろうと思う.
日本でも,ときどき,小さな町村でも,やたら立派な庁舎が建っているところがある.これまで行ったところでは,千葉県旧小見川町の庁舎が,かなり仰天クラスだった.長野県の栄村もなかなかのものだった.栄村はちょっとよくわからないが,小見川町は,周囲にある鹿島工業地帯の工場からたくさんの税金が入ってきているんだろうなと思われた.原発関係の立地自治体も(私自身は訪問したことはないが)すごい施設が建っている.日本のお金が集まる自治体のことが想起されたが,リヒテンシュタインは,それらとは異質だが,お金が集まるようにうまいことやっている.もっとも最近は批判に晒されて,状況は変わってきているようではあるが.
リヒテンシュタインは,切手の販売が国の主要な収入源だったこともあるようで,切手博物館には,近代以降の切手コレクションが収められていた.今でこそ精細な印刷技術は一般にも得られるものになったが,これだけ精緻なものが印刷できたというのは,単純にすごいことだと思う.実物とデジタル画像を含めた展示だった.
リヒテンシュタイン城まで歩いてみた.ハイジの村への登山よりは楽だったが,それでもなかなかたいへんだった.城の中には入れないが,周囲から街並みとその向こうの平原,ライン川,その向こうの山々を見下ろす風景は,なかなか素晴らしいものだった.ふと,シューマンの交響曲第3番「ライン」でも聴いてみようかと思い,歩きながらかけてみると,気分も浮き立ち,足取りが軽くなるようだった.
このほか,現代美術館を訪問したりした.贅沢な空間に配置されたモダンアートを楽しんだ.立ち寄ったイタリアン・レストランもなかなかの美味であった.
この日も夕食は,ホテルのレストランで.こんな土地柄としては珍しくタイ風のカレーもメニューにあり,それを頼んでみた.まずまずというところだった.
7月18日(木):マイエンフェルト~ベリンツォーナ
ホテルをチェックアウトしても,予定の電車まではしばらくあるので,旅行案内所でハイジ関係のお土産を買った.
この日は全部で3時間くらいの行程の予定だったが,途中クール(Chur)まで行くと,その先がバスだということに気がついた.バスにはトイレなどがないようなので,飛び乗らず1本遅らせて,軽食を駆け込みトイレを済ませてから乗り込んだ.途中はほぼ高速道路で,時折バス停に立ち寄るために高速を外れる程度で,快適だった.また,クールからベリンツォーナ(Bellinzona)までの山間部は,非常に風光明媚で,大きな山々と,そこから流れ出す数々の滝,遠くに開けた盆地など,車窓を楽しんだ.マイエンフェルト付近の景色よりも素晴らしいと思う絶景もいくつもあった.自分でドライブをしていたならば,立ち止まってきちんと写真に収めておきたいと思った.
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ベリンツォーナに到着し,その日宿泊予定のアパートまで.しかし,そこで問題が….本当は前日までに,IDの登録などをしておかなければならなかったようなのだが,アプリやウェブサイトでないとその情報が見られなかったため,メールで何か指示があるだろうと思っていたら何もなく,何もしなくてよいものと思って行ったら,着いてから慌てふためいた.小一時間もかかって情報の登録などをし,ようやく情報が更新されて,その朝,アパートの持ち主から送られたメッセージが見られるようになり,屋内に入ることができた.妻は,もうぼくには予約を任せないと思っているらしい.ぼくは,ホテルのときだけにしよう(しょぼん).
その日は,もう観光はなしで,近くのスーパーに買い物に行って,妻の手料理をいただき,屋内でゆっくりした.しかしこの日は暑かった.スイスでは個人宅にエアコンを付けるのが制度上難しく,ここでもなかったため,寝苦しくて夜半まで汗が止まらなかった.
と思ったら,男性同士が行為に及んでいる叫びのような声が聞こえてきて起こされてしまった.時計を見ると3時半くらい.まあ,これだけ暑いと,涼しい時間を選んで窓を開けて行為に及ぶとすれば,こういう時間帯になるのかななどと思ったりした.何をオレは分析しているのかと笑えてしまった.それにしても,未明に声を上げるといえば,カッコウだが,カッコウのほの暗い声のリピートは何とも思わないが,こちらの方のリピートは,もう何でもいいから,早く終わってくれと思わずにいられなかった.
7月19日(金):ベリンツォーナ
ベリンツォーナは,UNESCOの世界遺産に登録されている3つの古城,カステルグランデ城,モンテベッロ城,サッソ・コルバロ城がある.古代から交通の要衝として栄えていたようで,これらの城は,セットで要塞として機能していたらしい.
3つとも訪れるかどうかは,様子を見て考えようということにしていたが,最初に訪れた,最も大きな城であるカステルグランデで午前から午後にかけて,ランチを挟んで滞在した.城の本体は2つの塔が中心で,城郭というようなものはないが,張りめぐらされた城壁,その城壁も部分的に2階建てになっていたり,要衝を守ろうとする意気込みが伝わってきた.一部の建物は博物館になっており,古代の地殻変動の時代の様子,古くから交易に使われたコインの展示など,世界遺産に指定されているだけあって,力のこもった展示だった.
痛かったのは,ここで長年愛用してきたサングラスの柄が突然折れてしまった.2016年のサバティカルに出かけるさい,経由したホノルルで買ったOakley.残念.
昼食は,博物館のテラスのレストランで.日差しはきつかったが,日陰の席で食事を楽しんだ.そして,ここは,スイスの数少ないイタリア語圏なのだが,パスタの味がひと味違っていて,ペンネとニョッキを楽しんだ.妻は,旅行の中で最も気に入ったレストランだったようである.
ところで,この城の博物館だが,世界遺産に登録されていて,さぞかしインターナショナルな展示があるかというと,説明書きの表記はイタリア語のみだった.観光客数がそれほど多くないためか,A4用紙に,英語・ドイツ語・フランス語などを言語別に印刷した説明書をラミネート加工したものを訪問者に応じて配布していた(見終わったら返却する).スイスのイタリア語圏は全体の中で狭いし人口も多くない.そんな中で,アイデンティティを守るために,あえてイタリア語表記のみなのかなと考えた.街中の人々も,チューリッヒやマイエンフェルトとは違ってラテン系の顔立ちの人が多かった.さらには,借りていたアパートには,普通の便器の他にビデの容器があった.イタリアに行くと,ビデを備えたところが多いが,スイス国内でもあるベリンツォーナで,ビデを見ることになるとは思わなかった.ここでも,イタリア文化圏であることを主張しているように思われた.
子どもたちは,もう他の2つの城に行くのは関心がないようなので,城の近くのカトリック教会Chiesa Collegiata dei SS. Pietro e Stefanoに行ってみたり(ここは,スイスでもイタリア文化圏ということもあり,カトリックが信仰されているようだった.この教会の柱に施された装飾がゴージャスだった.壁や天井の絵画もカトリック風だった),Museo Villa dei Cedriという美術館でモダンアートを楽しんだ.また,途中で立ち寄ったおもちゃ屋さんには,日本語のできる店員さんがいて驚いた.
この日の夜も,妻の手料理をいただいた.
7月20日(土):ベリンツォーナ~チューリッヒ
この日は,午前10時にチェックアウトして,ぼくは荷物番,他の3人で近くのカトリック教会を見に行った.それからチューリッヒへ.乗り換え前まではのんびりと座れたが,乗り換え後はかなり満員で一駅分は立っていた.チューリッヒでは,最初に借りたマンションに再び.今回は,前回いなかったホストがいて,ご挨拶.Airbnbの感じが少し分かった気がした.
荷物を置いて,国立博物館へ.1時間ほどしか時間はなかったが,ざっと見た.子ども連れだったのでじっくりとは見られなかったが,スイスの鉄道網がかなり細かく張りめぐらされていることがわかった.また,鉄道の敷設が,4つの公用言語を持つスイスの各州・各地方をまとめる役割を果たしていることもわかった.
第二次世界大戦中は,中立国という立場を利用して,武器をナチス・ドイツに輸出したりもしていたようだ.戦後,それが,批判の対象となったりもした.しかし,中立を盾に立ち回ってきたスイス外交のしたたかさを見た.
この日は,しばらくずっと西洋風のものばかりだったので,中華に行こうということになり,何軒かある中から中国系の人だけが従業員とみられる店(Long Wai)に入った.現地に適応しない感じの本場の味で,おいしかった.
その後,次女が最初に行った公園に行きたいというので,そちらに移動.われわれも,最初に入ったレストランに入り,ワインとサラダだけ頼んだ.注文したロゼワインは,なかなかガツンとくる味で,飲み応えがあった.かなり遅くまで飲んだ(子どもたちは遊んだ).
7月21日(日):チューリッヒ~ジュネーヴ
チューリッヒは,中央駅だけでなく,Oerlikon駅付近もそれなりに賑わっているようで,先日来目を付けていた駅前の中華(Peking Garden)に入った.味は,おしなべて中かやや上で,値段もこなれていた.だいたい大きな駅前の飲食店というと,まずいのにぼったくりの値段というところも多いが,ここはまずまずだった.前日の店と比べると,万人向けにアレンジしたような味だった.日本人には受けそうな味かと思う.
そして,インターシティの電車に.行きとは違う最も北側のルートでジュネーヴに.途中から,久しぶりにフランス語表記を見ると,意味が分からないなりにも安心する.
無事,ジュネーヴのコルナヴァン駅に到着.そして,トラムに乗ってわがぼろ屋に到着.1週間,充実していたが,やはり長かった.ちょっと休みたい.