山岸俊男先生を偲んで

先日,以前大変お世話になった山岸俊男先生がお亡くなりになったと,北大の関係者から連絡を受けた.翌日には,海外のウェブサイトで追悼文が出されたので,公開になったものと考えて,山岸先生とのことを書き残しておきたい.

私が山岸先生と出会ったのは,1991年,私がM1のとき,東北大学(当時)の海野道郎先生が代表の社会的ジレンマの科研費プロジェクトにおいてであった.山岸先生は毎回参加されていたわけではなかったように思うが,当時から押しの強い,いかにもアメリカ帰りという独特の雰囲気を持った方であった.

時は過ぎ,私はアメリカに留学していた.3年ほどでコースワークは終えたが,dissertationの研究計画がとおらず,はや1年になろうとしていた.プライドが妙に高すぎる学生だったが,何度計画を持っていっても,これじゃダメだと言われ続けたので,さすがにすさんだ気持ちになっていた.見かねた当時の指導教員が,基礎力はあることは認めるので,候補生candidateにしてやるけど,その代わり,今後は,指導教員を変更することと,実証研究をやることが学位取得の条件だと言われた.

これは,困ったことだった.当時まで,数理モデルやシミュレーションに関心があったのだが,実証研究をやったことがなかったのだ.いきなり実証研究をやれと言われても,どうすればよいのか皆目見当が付かず,また,アメリカ人を対象に何か調査をするということは,言語運用能力という点でも問題があると思われた.

そこでふと思い出したのが,北大の山岸先生だった.どうやって連絡を取ったのか忘れてしまったが,とにかく,かくかくしかじかの理由で実証研究がしたいので,研究生として受け入れてもらえないか打診した.すると,大量の論文やらドラフトが送られてきて,今北大でやっているプロジェクトに関心があるならどうぞと,また,決める前に,本当にそれでいいか確かめにおいでと言われて,一旦帰国し,1週間ほど山岸先生宅に泊めてもらいながら研究室の様子などを見学させてもらったりした.それで,お願いしますということになり,97年の後期から1年間ということで受け入れてもらうことになった.

1年間という短い期間ではあったが,実験研究の手ほどきを受け,dissertationのために必要なデータを何とか取ることができた.また,それまでの自分と比較して,いろんなことに気づかせてもらった.アメリカでは自分ではそれなりにやってきたと思っていたが,北大の院生の人たちを見ていると,はるかに勉強や研究をやっていること(もちろん,1人で黙々とやるのも悪くないが),プロジェクト型で研究を進めると効率がよさそうなこと(これは,後進の養成という点では,よい面も悪い面もあるが)など.dissertationのために必要なデータを取らせてもらったこと以外に,本当にたくさんのことを学ばせてもらった.また,当時の院生・学生や,時折やって来る(年齢的にはむしろ近い)OB/OGと知り合えたことも大きかった.

この期間で忘れがたいのは,山岸先生の「男らしい運転」と,それで連れて行ってもらった(今ではすっかり有名になった)ラーメン屋,すごい構造のご自宅(兼事務所),北大での院生の育て方(他大学とどう違うか),口癖,靴下,などである.そして,ちょうどそのときに,先生の50歳の誕生日をみんなでお祝いしたことが,最も楽しい思い出である.

その後も,山岸先生やそのつながりから,いろいろなことがあった.

学位を取得して帰国し(1999年初夏)就職活動を始めたが,苦戦していた.もう2000年度からは無理かと思いかけていたとき,北大OGのHさんから,東大の社会心理学研究室で助手を募集しているのに出さないかと声を掛けていただいた.どういうわけかうまくいき,思いもかけず,自分なんかには無縁と思っていた東大に勤めることができた.

その後,2003年春からは,明治学院大学で専任講師として就職したが,そこで,東大よりは,北大の研究室のような指導法で学生・院生を指導した.5年しかいなかったが,そこで学部から育てた院生たちが修論をもとにして投稿した論文が,学会賞や奨励賞を受賞するなど,山岸先生の研究室運営の仕方についての教えが大いに役だった.

しかし,その後,信州大学では社会学に転じたために,社会心理学会に行くことも少なくなり,山岸先生とはやや疎遠になってしまった.年賀状のやり取りも次第になくなり,近年はすっかりご無沙汰していた.

学会では,数理社会学会とアメリカ社会学会の数理社会学セクションとの合同会議を最初に日本で開いたとき(2005年),山岸先生にホストをお願いし,私はオーガナイザーとしてサポートした.山岸先生の手慣れた運営に大いに感心し勉強させてもらった.その後しばらく,日米会議や数理社会学会大会を引き受けることになったが,そのときの経験を活かすことができた.

私はその後,山岸先生の「信頼の解き放ち理論」に対してはかなり懐疑的な立場を取るようになったが,それでも,学会発表の際には聞いていただいてコメントをくださったり,明治学院時代の私の院生にも励ましをいただいたり,懐の広い先生であった.一方で,アメリカには論敵がいて,かなりいろいろあると伺っていたが,全体としてみれば,多少批判的な相手に対しても,面白いと思う論点があれば,素直に面白いと言ってくださるなど,いろんなものを取り込んで,信頼を中核とした理論を鍛えていくことに熱心に取り組まれていた.

ともあれ,97~98年の密度の濃い1年間には本当にお世話になった.それからちょうど10年後の社会心理学会の懇親会で,あれから10年経ちましたとお話しすると,もうそんなになるのかと,私がこの世界で腰を落ち着けて歩み始めたことを喜んでくださった.しかし,20年後というわけにはいかなかった.それを目前に先生は亡くなってしまった.あれから20年経ちましたとお話しすることができなくなったこと,このところご無沙汰してしまっていたことが残念でならない.70歳の死は,あまりにも若すぎる.先生のご冥福をお祈りします.