妻が留学していた2年間を振り返って

3月18日(水)に,妻が2年間の留学を終えて帰国しました.
その週末は,とある結婚式に夫婦ともどもで参加する要件もありましたが,妻の新居での生活のために,走りまわりました.
月曜日に松本に帰ってきて,いくつか仕事をし,今ゆっくりしたところです.
ここで,2年間を振り返っておきたいと思います.

2013年の3月末,新婚旅行を兼ねて,LA経由で妻の留学先のコーネル大学のあるイサカに行きました.ソーシャル・セキュリティ・カードを取りに行ったり,携帯電話を契約したり,ディーラーに車を見に行ったり,数日の間に,私が必要だと思うことの優先順位が高いものから順番にこなしていきました.もちろん全てを見届けたわけではなく,ペーパードライバーだった妻を残して後ろ髪を引かれる思いで日本に帰ってきました.ひとりぼっちになって帰ってくる新婚旅行というのは,心配と悲しみとがないまぜになった何とも言えないものでした.ホテルの部屋のドアのところで,お互いに不安げに別れたときの妻の表情が忘れられません.
しかし,そのうち,妻が車を買って運転免許を取り,自由に移動できるようになる頃には,向こうの生活にも慣れてきたようだなと感じられました.それでも,向上心の強い妻は,帰国するまで英語に悩まされていました.もちろん,傍目から見ていると,この間に随分と上達したなと感じるのですが.また,最初はついていくのに精一杯だった授業も,次第に理解も早くなり,楽しそうでした.また,多くの友人知人に出会うことができ,彼女自身がホームパーティを主催するなど,適応力が高いなと感心しました.
この2年間,あちこち旅行をしました.13年夏は,再度イサカを訪問した後に,ナイヤガラの滝,トロント,モントリオール,ボストンなどを回りました.13年~14年の年末年始は,カリブ海クルーズへ.大型客船でのんびりとした旅を楽しみました.また,基点となるフロリダで,キー・ウェストやエバーグレーズなどにも行きました.14年の夏は,アメリカ社会学会のためサンフランシスコで落ち合い,学会終了後にスタンフォードを訪問し,ワイオミング州に飛んで,グランドティトンとイエローストーンの大自然を満喫しました.14年~15年の年末年始は,妻が最後の3ヶ月,拠点をイギリスのオックスフォード大学に移したため,パリとロンドンで観光とお買い物を楽しみました.これからは,こんなに頻繁には海外旅行はできないかと思いますが,せっかくの機会でもあるので,大いに楽しみました.年に2回ほどしか会えないのは寂しくもありましたが,会えるときくらいは贅沢をしました.
ふだんは,日々,ツイッター上で(DMも含めて)お互いの様子を伝え合っていました.私は,妻のツイートを見ながら,「ああ,今日はこんなことをしているんだな」などと思いながら過ごしていました.週末には,時間をあわせてスカイプをしました.90年代に自分が留学していた頃,電子メールはあったけれども,リアルタイムで海外での様子が分かったり,顔を見ながら話ができる(しかも無料)なんてのは,想像もつかないことでした.そのおかげで,寂しさも大いに緩和されたと思います.IT技術の発展は,われわれの関係の維持に大いに役だったと思います.
この2年間,私は研究資金にはあまり恵まれませんでしたが,妻が何を研究しているのか,どんな授業を受けているのかを伝え聞いて,ずいぶんと刺激を受けました.研究資金がないと,自前の調査をしたりするのは難しいですが,妻が向こうで学んでいる統計書を取り寄せて,少しずつ自分でかじったり,実証研究の話を聞いて,自分がいた頃のアメリカ社会との違いに想像をめぐらせたり,いろいろとできることもあるものです.また,もうすぐ科研の採択が発表される時期ですが,自分の留学経験などを活かしながらどういった研究を目指すべきかその方向性を考えたりする機会にもなりました.科研が採択されれば,そちらの方向に舵を切れるのですが.

2年が経ち,妻が帰国しました.妻の留学は,結婚式の後間もなくでした.自分が留学をして学位を取ったこともあって,留学することの素晴らしさは身をもって知っています.付き合いを始めた頃には妻の留学はすでに決まっていたこともあって,二人の愛を育みつつも,私が妨害したりすることなく妻には有意義な留学生活を送ってほしいと思い,サポートしようとしてきました.
妻が帰国し,これから結婚生活は第2ステージに移行するのだろうと思います.まだ松本と西宮という距離はありますが,これからの新しい生活をどのように作っていくかが,これからしばらくの二人の課題になります.

数理社会学会第59回大会

3月14日(土)~15日(日),久留米大学で行われた数理社会学会第59回大会に参加してきました.
久しぶりのポスター発表でした.
タイトルは「寛容性尺度の構成と妥当性の検討」で,ずっとやってきている「寛容性」尺度のさらなる改変といったもの.なので,口頭発表にはそぐわないなと判断し,ポスターにしました.
いくつかのポイントがありました.

  • これまで作ってきた寛容性尺度を,対個人ではなく,対集団の形にしてみた.これは,ウォルツァーの寛容理論を参考にしたため.具体的には,ワーディングを,「人」→「人々」,「意見」→「価値観」とした.
  • 「不愉快な意見への耐性」にかかわる項目作りを工夫した.以前は2項目で聞いていたものを1項目で聞くようにしてみた.質問文が長くなったが,対象者の反応を見る限り,無理解という感じはなかったので,まずまずのものになったように思う.
  • 外国人にかかわるさまざまな変数を従属変数としたときに,一般的信頼は一貫して全く効かず,寛容性3因子のどれかが効くことが多いという結果となった.これは,ウォルツァー理論を支持する結果と言えるのではないか.
  • 全体として,改変した寛容性尺度の構成概念妥当性は,まずまずということになるだろう.

というところでしょうか.発表に来ていただいた方,それぞれに応じて,力点を変えながら説明できるというのは,ポスターの利点ではありますね.

自分以外の発表やシンポジウムは,なかなか刺激的だった.
数理モデルと実証とを常に結びつけようとしているF山さんの報告には,いつもながら説得性が感じられるし,経済学領域でのネットワークのモデルのレビューもしてもらえるので,いつも収穫が多い.
潜在クラス分析を用いた研究が増えてきているという印象だった.社会学はカテゴリカル変数を扱うことが多いし,クラスター分析よりは潜在クラスの方がいろいろな点ではるかに優れているので,こういった傾向は,これからも続いていくのだろうと予見させるものだった.しかし,そもそも数段階のスケールで聞いていたものを,わざわざカテゴリカル変数に落とすというのは,しばしば恣意的になるので,注意すべきだろうと思った.しかしそれでも,欠損値や「わからない」といった反応が多い場合には,それらをカテゴリとすることで,そういった反応をある程度きちんと取り込める点で,利用価値はあるものである.
シンポジウムは,これから自分が踏み出していこうと考えている方向のものだったので,特に理論的側面で,自分に欠けていると思われる点がいくつか発見できた点で,有意義だった.

さて,裏話的なことをいくつか.
今回,編集委員会と理事会との間の時間帯に,久留米大学の目の前を走っている久大本線で,日田まで行ってきました.ローカル線についつい乗りたくなるのです.全くの衝動的行動でした.しかし実は,日田まで行けず,1つ手前で降りました.というのも,日田での折り返しで2分しかなく,行きの列車が遅れていたので,日田に着くやいなや帰りの列車が発車という予感がしたからです.日田まで行きたかったw
懇親会の後,『ソーシャル・キャピタルと格差社会』が日本NPO学会で優秀賞を受賞したことを祝って,共編者の佐藤先生と,同書の執筆者のFさんと祝杯をあげました.後から数名も合流し,楽しいひとときを過ごしました.普段はやけ酒が多くても,たまには,歓喜の酒が飲めるというのは,人生にとってよいことです.
そう,そして,私の数理社会学会における理事職3期間を全うしました.まあ,ぼくは会長になることはないでしょうから,これで事実上気楽な立場になりました.これからは,テキトーなことも言えるなと思います.理事会の後の懇親会では,本当に解放された気分を味わいました.
編集委員会・理事会の前日(木曜日),編集委員会に間に合わないからということで,福岡市に前泊することにしました.松本から飛んでいる2路線の1つが福岡行きで,初めて乗りました.伊那谷と木曽谷の広さ(狭さ)が分かるとか,その向こうに富士山が見えるとか,なかなか楽しいフライトでした.
また,福岡では,中学時代の吹奏楽部の同期で,糸島市でお店をやっている何十年ぶりに会って飲みました.まさに時空を越えた出会いでした.こういった再会にしては不思議なことに,思い出話というよりも,現在までのそれぞれの遍歴とか,現代社会での渡り方といった話になりました.とにかく,まっすぐ一本な道なんてものが,絵空事に過ぎないと再認識するひとときでした.
というわけで,裏話の方が多くなりました.また,その都度飲んで,飲み過ぎたかも.
その後も,月曜日は,来年度の実習先への挨拶,火曜日は,卒論生の聞き取り先へのお礼など,バタバタしています.3月って,師走じゃなかったよな,と思わざるをえない感じです.

辻竜平・佐藤嘉倫編著,2014,『ソーシャル・キャピタルと格差社会:幸福の計量社会学』(東京大学出版会)が,第13回「日本NPO学会優秀賞」を受賞しました

辻竜平・佐藤嘉倫編著,2014,『ソーシャル・キャピタルと格差社会:幸福の計量社会学』,東京大学出版会 が,第13回「日本NPO学会優秀賞」を受賞しました.
選考していただいた委員の方々,共同編者の佐藤先生,執筆者の皆様にお礼申し上げます.

佐藤先生を通じて,内々のお知らせが入ったのが3月2日(月)の夜でした.その夜,編集者・執筆者にメールを回し,みんなで健闘をたたえ合いました.
いつもの勝手知ったるメンバーで科研費(基盤研究(B))「地域間格差と個人間格差の調査研究:ソーシャルキャピタル論的アプローチ」(2010~12年度)をいただき,かなり精力的に調査を進めました.その3年間に他のファンドでの調査も含めて3つ(本書での数え方としては4つ)の調査をやりました.本書はその成果です.科研代表者としては,かなり無理なスケジュールながらきちんと調査を遂行でき,また,その後も各人が分析と執筆を進めてもらうことができ,何とか本書を上梓できた2014年6月には,それなりに大きな達成感を得ていました.
今回,こうしてさらに賞をいただくことができ,たいへんうれしく思っています.東京大学出版会の編集者の方々を含め,本書に携わっていただいた方々に改めてお礼を申し上げたいと思います.

若干の恨み言を言えば,アマゾンでは,まったく言いかがりとしか思えないようなひどいレビューを付けられ,私も黙っておれずにコメントを付け返すなど,かなり憤慨し落ち込んでもいました.しかし,こうやって過分とも思えるほどの評価もしていただき,真面目にやっていれば,拾い上げてくださる人もいると認識を新たにしました.
また,某所に書いたことでもありますが,本書は,クラシック音楽で言えば,ショパンのソナタ第2番のようなものかなと思っています.この曲に対して,シューマンは,「ショパンは乱暴な4人の子供をソナタの名で無理やりくくりつけた」と評したと言われています(文は,ウィキペから).この本は,まさにそういう類のものだったと思います.全体の構成はある程度考えていたものの,各人に自由に書いてもらった各章は,かなりバラバラ(言いようによっては,多様)で,12個のベクトルは,あっちを向いたりこっちを向いたり,一見とりとめがないように見えます.それを編者2人の力業で一まとめにしたという感じがしています.それでもなお,お行儀がとても悪いように思われます.そんなお行儀の悪いものを高く評価していていただけて,本当にありがたく思っています.

それにしても,間抜けではあります.実は,本書の授賞式は3月14日.日本NPO学会の大会にてというご案内をいただきました.しかし,当日は,本書の執筆メンバーのほとんどが出席する数理社会学会ともろかぶり.やむなくというか無理を申し上げて,東京大学出版会で本書の編集を担当していただいた編集者の方に,授賞式に出ていただきました.ああ,受賞なんて,この先もうないんじゃないか.そう思うと,卒業証書とかではない賞の授賞式で授与されるという体験をしたかったなとも思います.
そんなわけで,同日夜,学会が行われている久留米では,共同編者の佐藤先生と,おしゃれなバーで夜遅くまで祝杯を酌み交わしました.おいしいお酒が飲めて幸せでした.