11 6月

九州大学地球社会統合科学セミナー「寛容社会の姿を求めて」で講演してきました

去る6月5日(金),九州大学の三隅一人先生からお声をかけていただき,地球社会統合科学セミナー「寛容社会の姿を求めて」で3人の講演者の1人として講演させていただきました.

プログラムは,以下のとおりでした.

辻竜平@信州大学人文学部[社会学]
「寛容とその測定、および、寛容と定住外国人に対する意識との関連性」
関口正司@九州大学大学院法学研究院[政治哲学]
「政治哲学の観点から見た寛容論の課題」
高野和良@九州大学大学院人間環境学研究院[社会学]
「地域福祉活動を支えるのは人々の寛容性なのか?〜山口県内の高齢者
見守り活動をもとに〜」

3人の報告の後,大学院生お2人からコメントしてもらい,それにリプライする,という構成で,大学院教育の一環という意味もあるようでした.

ここ10年ほど,私の関心は,信頼から寛容へ移ってきています.しかし,信頼もそうですが,寛容も負けず劣らずさまざまな学問領域で細々と(小さな波はあるものの,少なくともここ20年の信頼ほどには大きな関心を集めることなく)続けられてきたこともあって,定義や分類なども錯綜している状態にあり,ようやくここに来て,何とか整理が付けられそうな気がしてきています.

そのようなわけで,私の講演では,まずは,(信頼研究も含めた)寛容研究の枠組み整理から始めて,この講演の話のスコープを明らかにしてから,特にウォルツァー流の寛容理論に基づいた尺度構成,そしてその尺度と定住外国人に対するいくつかの意識との関連性について,昨年,卒論生とともに松本市で行った調査の分析結果を報告しました.

関口先生は,J.S.ミルの政治哲学の中にある寛容論の課題として,自由や寛容の擁護論が,反自由主義的・非寛容的議論に転ずる逆説的可能性や,無関心の問題について論じられました.(暫定的?)結論としては,知的ゲームや抽象論としてではなく,具体的な場面を念頭に思慮的に考えていくべき課題であるとの考えを示されました.

高野先生は,地域福祉活動と「寛容」について,事例を中心としてお話になりました.地域において孤立死といった問題が生じたときに,それを「地域の恥」と捉えて隠蔽することがあるが,それは問題を認めずに排除するという意味で寛容度が低い.一方,「できれば何とかしたい」と考えて「見守り活動」などの協働的活動がなされることもあるが,これは問題を認めて包摂するという意味で寛容度が高い,と考えられるでしょう.しかし,それは,生活への干渉につながりかねず,対象者と担い手の関係調整が必要,といった課題があげられ,対応の手がかりについて議論されました.

私のものを含めて3つの講演がありましたが,「寛容」をめぐる議論は,やはりバラエティに富んでいるなと,改めて感じました.他にももっと切り口があるのだろうなという予感もあります.まだまだ寛容をめぐる概念整理といった作業を続けていかないといけないし,そういった整理が適切であるかどうか,実証的に検討していく必要があるなと感じました.

大学院生の方々からコメントをもらい,リプライし,その後もその院生の方々や三隅先生,高野先生を交えて懇親会の場でいろいろと議論しました.その中でふと自分の今やっていることに対する気づきがありました.ウォルツァーはコミュニタリアンなので,コミュニティなり社会なりに何某かの守るべき価値や文化があると考えています.だからこそ,自集団と他集団といった対立があるという構図を,意図してか意図せずしてかは別として,結果的に描くことになってしまうことに改めて気づきました.また,リベラリズムと違ってコミュニタリアニズムは,自由を際限なく認めないので,そのことが,コミュニタリアン的寛容性尺度を構成する肝であり,それが,もう少し尺度をブラッシュアップするための手がかりになりそうだなと感じました.

難しい話はさておき,金曜日は,松本空港から福岡空港までの飛行機に乗るつもりでした.松本空港は駐車料金が無料なので,少し早めに出て大学で資料を印刷し,その足で空港に向かう予定でした.ところが,うちを出たら,エンジンがかからない! 一方でJAFを呼び,また一方で同僚に印刷をお願いし,30分後に大学で同僚から印刷物をピックアップし,車中から空港のカウンターに電話し(ハンズフリー機能付きですので,電話機は手に持っていません),ギリギリになるけど行くからねと念押しし,何とか出発時刻10分前に到着.1日3往復しか便のないガラガラの空港なので,手荷物検査などをダーッと通って何とか遅延させることなく搭乗しました.何でこんなマンガみたいなことが起こるのかと. …翌日帰ってくると,やはりエンジンがかかりませんでした.再びJAFを呼んで,そのままディーラーに直行.バッテリー交換となりました.別にライトを付けっぱなしたとかいうことではなかったのですが,お亡くなりになるときには,ある日忽然とお亡くなりになるものだと知りました.エンジン様に寛容になるには,余裕を持って出かけることだなと,全くつまらないことを感じました.

ともあれ,三隅先生をはじめ,九大の皆様,お世話になりました.

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