24 3月

妻が留学していた2年間を振り返って

3月18日(水)に,妻が2年間の留学を終えて帰国しました.
その週末は,とある結婚式に夫婦ともどもで参加する要件もありましたが,妻の新居での生活のために,走りまわりました.
月曜日に松本に帰ってきて,いくつか仕事をし,今ゆっくりしたところです.
ここで,2年間を振り返っておきたいと思います.

2013年の3月末,新婚旅行を兼ねて,LA経由で妻の留学先のコーネル大学のあるイサカに行きました.ソーシャル・セキュリティ・カードを取りに行ったり,携帯電話を契約したり,ディーラーに車を見に行ったり,数日の間に,私が必要だと思うことの優先順位が高いものから順番にこなしていきました.もちろん全てを見届けたわけではなく,ペーパードライバーだった妻を残して後ろ髪を引かれる思いで日本に帰ってきました.ひとりぼっちになって帰ってくる新婚旅行というのは,心配と悲しみとがないまぜになった何とも言えないものでした.ホテルの部屋のドアのところで,お互いに不安げに別れたときの妻の表情が忘れられません.
しかし,そのうち,妻が車を買って運転免許を取り,自由に移動できるようになる頃には,向こうの生活にも慣れてきたようだなと感じられました.それでも,向上心の強い妻は,帰国するまで英語に悩まされていました.もちろん,傍目から見ていると,この間に随分と上達したなと感じるのですが.また,最初はついていくのに精一杯だった授業も,次第に理解も早くなり,楽しそうでした.また,多くの友人知人に出会うことができ,彼女自身がホームパーティを主催するなど,適応力が高いなと感心しました.
この2年間,あちこち旅行をしました.13年夏は,再度イサカを訪問した後に,ナイヤガラの滝,トロント,モントリオール,ボストンなどを回りました.13年~14年の年末年始は,カリブ海クルーズへ.大型客船でのんびりとした旅を楽しみました.また,基点となるフロリダで,キー・ウェストやエバーグレーズなどにも行きました.14年の夏は,アメリカ社会学会のためサンフランシスコで落ち合い,学会終了後にスタンフォードを訪問し,ワイオミング州に飛んで,グランドティトンとイエローストーンの大自然を満喫しました.14年~15年の年末年始は,妻が最後の3ヶ月,拠点をイギリスのオックスフォード大学に移したため,パリとロンドンで観光とお買い物を楽しみました.これからは,こんなに頻繁には海外旅行はできないかと思いますが,せっかくの機会でもあるので,大いに楽しみました.年に2回ほどしか会えないのは寂しくもありましたが,会えるときくらいは贅沢をしました.
ふだんは,日々,ツイッター上で(DMも含めて)お互いの様子を伝え合っていました.私は,妻のツイートを見ながら,「ああ,今日はこんなことをしているんだな」などと思いながら過ごしていました.週末には,時間をあわせてスカイプをしました.90年代に自分が留学していた頃,電子メールはあったけれども,リアルタイムで海外での様子が分かったり,顔を見ながら話ができる(しかも無料)なんてのは,想像もつかないことでした.そのおかげで,寂しさも大いに緩和されたと思います.IT技術の発展は,われわれの関係の維持に大いに役だったと思います.
この2年間,私は研究資金にはあまり恵まれませんでしたが,妻が何を研究しているのか,どんな授業を受けているのかを伝え聞いて,ずいぶんと刺激を受けました.研究資金がないと,自前の調査をしたりするのは難しいですが,妻が向こうで学んでいる統計書を取り寄せて,少しずつ自分でかじったり,実証研究の話を聞いて,自分がいた頃のアメリカ社会との違いに想像をめぐらせたり,いろいろとできることもあるものです.また,もうすぐ科研の採択が発表される時期ですが,自分の留学経験などを活かしながらどういった研究を目指すべきかその方向性を考えたりする機会にもなりました.科研が採択されれば,そちらの方向に舵を切れるのですが.

2年が経ち,妻が帰国しました.妻の留学は,結婚式の後間もなくでした.自分が留学をして学位を取ったこともあって,留学することの素晴らしさは身をもって知っています.付き合いを始めた頃には妻の留学はすでに決まっていたこともあって,二人の愛を育みつつも,私が妨害したりすることなく妻には有意義な留学生活を送ってほしいと思い,サポートしようとしてきました.
妻が帰国し,これから結婚生活は第2ステージに移行するのだろうと思います.まだ松本と西宮という距離はありますが,これからの新しい生活をどのように作っていくかが,これからしばらくの二人の課題になります.

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