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    <title>辻 竜平（Ryuhei Tsuji） Ph.D.</title>
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    <updated>2012-04-12T09:22:16Z</updated>
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辻竜平（信州大学・人文学部・社会学研究室・准教授）の「個人サイト」です．
「大学公式サイト」以外の情報「も」掲載する場として，このページを設けました．
部分的には「大学公式サイト」とかぶる内容を載せています．
こちらにはそれ以外の情報（「大学公式サイト」には載せにくい私的なものなど）もあります．

For Visitor #






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    <title>あれ～？</title>
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    <published>2012-04-12T09:19:55Z</published>
    <updated>2012-04-12T09:22:16Z</updated>

    <summary>とりあえず，かの文章については，諸事情から一旦下げました．...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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        とりあえず，かの文章については，諸事情から一旦下げました．
        
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    <title>3人のメンターをお送りして</title>
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    <published>2012-03-31T07:50:00Z</published>
    <updated>2012-03-31T07:51:23Z</updated>

    <summary>この3月は，ぼくがこれまでいろいろな意味でお世話になってきたメンターが3人も退職...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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        <![CDATA[この3月は，ぼくがこれまでいろいろな意味でお世話になってきたメンターが3人も退職され，それぞれの退職記念講演やパーティに行ってきました．<div><br /><div>3月7日（水）は，東大の盛山先生の講演＆パーティ．</div><div>たぶん，ぼくの蔵書（数は少ない方だが）の中で，著者として一番多いのは盛山先生かなと思います．一番最初に買ったのは，ぼくがM1のときに出版された，先生の共編著の『秩序問題と社会的ジレンマ』．この中の盛山先生の論文は，おそらくぼくが他の人の論文を含めて一番何度も読み返したものだと思います．ぼくが，一貫して「協力」という問題に取り組んでいるのも，今から考えれば，この論文の影響が大きかったかなと思います．</div><div>最初に学会でお目にかかったときのエピソードは，忘れがたいものです．さすがにどの大会だったかは忘れましたが，たぶんM1の時だったと思います．懇親会の席で，髙坂先生に盛山先生を紹介していただきました．その頃，髙坂先生のゼミかなんかで，グラノヴェターの「弱い紐帯の強さ」の論文を読んでいたところで，それについて盛山先生にお話しを聞いてみなさいとご紹介を受けたのでした．しかし，...いや，もう赤面する話なので中略とさせてもらうしかありませんが，髙坂先生から，「これから先，2度と言わないけれども...」と注意を受け，自分の足りなさというものを思い知りました．しかし，そのこともあってか，その後は，盛山先生のお話は，絶対に聞き逃してはならないことといった気持ちが，ぼくの中で芽生えたのは確かです．</div><div>留学を終えて帰ってきて，ぼくは最初に東大に助手として勤めることになったわけですが，自分は社会心理学研究室にいたために，盛山先生は近くて遠い（ふだんいる校舎も違う）存在で，たぶん，先生の研究室を訪問したことは，3年のうち1，2回ほどしかなかったし，学内でもあまりご一緒することはなかったと思います．今思うと，何てもったいなかったかと思います．でも，上の方の階の何かもくもくとした感じの研究室は，まだ何となく覚えています．</div><div>それでも，学会のときなどには，コメントをいただいたり，懇親会でお話ししたりと，いつも何かと気にかけてくださいました．</div></div><div><br /></div><div><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="IMG_0083.JPGのサムネール画像" src="http://rtsuji.jp/jp/assets_c/2012/03/IMG_0083-thumb-492x369-130.jpg" width="492" height="369" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></div><div style="text-align: left;">盛山先生の最終講義と祝賀会のご案内をいただいたとき，さびしくもあり，またうれしくもありました（このような会に呼んでいただいたのは初めてのことだったからです）．どれだけの人が，「キングカズ」に「そんなの無意味」と言われたかは定かではありませんが，この日の先生には穏やかで，キングというよりも，よきチングという感じでした．祝賀会が終わってから，会場の外で少しだけお話しをすることができました．盛山先生は，ぼくの母校に移られますが，まだこれから数年，気持ち的にはより近くなった気もしますので，まだまだお世話になりたいと思っています．</div><div><br /></div><div>3月18日（日）は，師匠，髙坂健次先生の退職記念講演と祝賀会でした．ぼく自身は，当日，受付のお仕事をしていたので，講演の方はほとんど伺うことはできませんでしたが，最後の10分，「これから」の部分は伺うことができてよかったです．</div><div>この日のために，2年ほど前から門下生たちで準備をしてきましたが，当日は何とか無事に運び，先生をお送りすることができ，よかったです．出席者の方々からも，よい会だったとお言葉をいただきました．</div><div>もし，ぼくが第1志望だった大学に受かっていたら，数理社会学に足を突っ込むこともなかったかもしれませんし，その後のキャリアも全く違ったものになっていたことでしょう．M1のときに，U先生が主催されていた研究会に行く道中，当時東女にいらしたN先生に，「［第1志望の大学］に行かなくてよかったよ」と言われたことがありました．その当時はまだその意味もよくわかっていませんでしたが，今になって振り返ると，本当にそうであったなと感じられます．</div><div>私にとっての師匠は，学問の上での師匠というだけではなく，私事においても本当にお世話になりました．留学を勧めてくださったこと．単純な事情ではなかったと思いますが，今から思えば，さまざまな至近的な事情を取り除いて考えると，これでよかったのだと思います．私事については，いくつもありますが，いずれもちょっとブログでは書けません．先生の言うことを聞いて，ちゃんと勉強し，まともに生きていれば，ここまでお世話になることもなかったかと思うのですが，それでも，破門にされずにいつも優しく声をかけていただいたことには，感謝以外の言葉がありません．</div><div><br /></div><div><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0397_20120318_175528.JPGのサムネール画像" src="http://rtsuji.jp/jp/assets_c/2012/03/DSC_0397_20120318_175528-thumb-492x325-128.jpg" width="492" height="325" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></div><div>87年に私が関学に入学したとき，「若手のホープ」と紹介を受けられていた髙坂先生が，ご退職というのは，ちょっと信じられない気分です．私自身が，すでにちょうどそのころの髙坂先生くらいの年齢になっています．「若手」の定義も，ここ四半世紀のうちに変わったなと感じます．もはや自分は若手でも何でもないと思いますが，これからの20年はとても短いなと感じています．自分が研究者としてできることは極めて限られていると思いますが，自分も少しずつ研究を進め，後進を育てていければと思っています．</div><div><br /></div><div>3月24日（土）は，父，平治郎の退職記念講演とパーティでした．私は講演だけにこそっと行ってこそっと帰ってきました．その場のことだけで言うと，あと5年早く退職させてあげたかったなと思いました．しゃべりはゆっくりだし，時間はオーバーするし，冷や冷やしました．司会のG先生すみませんでした．しかしまあ，父は大学が大学としてよかった時期の最後の人だったのかもしれないなとも思いました．</div><div>定年が遅い大学ではあったけれども，身体の弱かった父に最後まで勤めさせたというのは，かなりの部分，ぼく自身がしっかりしないままだったということもあります．感謝と申し訳なさとが入り混じった思いでした．</div><div><br /></div><div><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="IMG_0114.JPGのサムネール画像" src="http://rtsuji.jp/jp/assets_c/2012/03/IMG_0114-thumb-492x369-132.jpg" width="492" height="369" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></div><div>ぼくが研究者を目指したのは，やはりまず何よりも父を見てでした．何と言っても，夏休みがある!!　小学校のころだと思いますが，友人たちが，うちのお父ちゃんは盆と正月以外は休みがないというようなことを言っていて，うちでだらだらと本を読んでいる大学の先生というのは，本当に最高の仕事だと小学生ながらに思ったというのが最初のきっかけです．今やそのような時代ではありませんが，学会があったり，気楽な仕事ではあると思います．しかし，高校の時に，大学の先生になるわと言ったら，同じ分野だけはやめときと言われて，心理学はやめたという経緯があります．まあ，実際には，何かつかず離れずみたいなところで研究している気もしますが，ぼく自身はアンチ臨床心理学ですし（笑），父の意思どおりに素直に歩んでいます．</div><div>父からは，何でも疑ってかかれという精神を学んだと思います．さすがに疑い方までは教えてくれませんでしたが．ませガキだった自分が，中高時代に新書なんかを読んでると，「そんなん信じとったらあかんで．疑ってみいや．何がどうあかんかは考えてみ」とか，よく言われた気がします．まあ，ガキですから，「何や，自分はウソを書いた本を何百円も出して買ったんか orz」くらいにしか思いませんでしたが，大学の先生がウソつきばっかりなんだとか，簡単に人を尊敬してはいけないとかいう感覚は，かなり早い時期にたたき込まれました．実際，中2の時に，父のサバティカルで一年間家族でミシガンに行ったときには，時折，同じような境遇の先生方がうちを訪問され，夜な夜な学問話を繰り広げ，あいつは○○だの，こいつは××だの，という話をよく聞きました．素晴らしいクリティカル・シンキング（←誤用ｗ）の場であったと思わざるをえません．見よ！　実際，今，自分も素直に父のようなことをやっているではないかと．素晴らしい．三つ子の魂何とやらです．</div><div>こういうところで父に感謝というのもサブいかもしれませんが，何だかんだ言ってもこれまであらゆる側面から支えてもらったことには感謝したいと思います．それから，私も父も，母には尋常ならざる感謝をしていることは言わずもがなですが，あえてここで触れておくのがフェアでしょう．母は父の講演とパーティには参加しませんでしたが，彼女にとっては，まだこれからがたいへんという思いもあるのだと思います．ぼくにできることは限られていますが，とりあえず早めに関西に帰ってあげることかなとは思っています．</div><div><br /></div><div>ともあれ，いちどきに3人のメンターを送り出すこととなりました．このほか，北大で一年間研究生としてご指導いただいた山岸俊男先生もご退職ですが，日程が重なって最終講義に伺えませんでした．ぼくとしては，いきなりはしごを外されたような気がしています．これまでは，ぼくが何かをやらかしても，いろいろなところで支えていただいたのですが，これからは，はしごはなくなったので，壁をロッククライミングでもしないといけなくなったような気分になっています．たまには（いつもどおり）ずるずる落っこちつつも，少しずつ自力で登っていくしかありません．まだ何か不安ではあります．しかし，これからが本当の意味での自立なんだろうなと，柄にもなくロマンティックなことを考える年度末でした．</div>]]>
        
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    <title>数理社会学会第53回大会で発表してきました</title>
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    <published>2012-03-16T08:17:00Z</published>
    <updated>2012-03-16T08:16:45Z</updated>

    <summary>鹿児島大学で行われた数理社会学会第53回大会に参加し，発表してきました．今まで，...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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        <![CDATA[鹿児島大学で行われた数理社会学会第53回大会に参加し，発表してきました．<div>今まで，あまりそういったテーマで発表してこなかったような発表（その手の発表は，社会心理学会でやってきたかと思う）をしました．テーマは「信頼と寛容：概念整理と規定因」でした．</div><div>今回は，数理モデルや実証研究が中心ではなく，信頼と寛容について，それにかかわるさまざまな概念を整理して見取り図を作るといった部分が半分，残りが実証研究でした．</div><div>今回は，発表後の反応が少し違っていた気がしました．今までは，多くの場合，「面白かったです」と社交辞令的に言われておしまいという感じでしたが，今回は，その後，何人かの人と議論をする機会に恵まれました．</div><div>あんまり数理社会学会向けではない発表だった気もしますが，反応があってうれしかったです．まだアイディアとしては完成されていない部分もありますが，刺激を与えたり与えられたりというコミュニケーションがあったのはよかったと思います．</div><div>概念図式の整理としては，こんなものかなと思う一方で，「信頼」もそうですが「寛容」もさまざまな使われ方がありますし，まだこの概念図式からは漏れている用法もあるように思います．（もちろん，漏れているからといって，すべてを入れ込む必要があることにはなりませんが，必要なものは入れ込む必要はあるでしょう．）</div><div>また，集団（社会）の内か外かによって「寛容」の種類が分かれるというのが今回の概念図式のポイントですが，これは，集団研究やネットワーク研究の境界線問題と似ていて，どこに線引きをするかによって，同じ他者も集団（社会）の内側に入ったり外側に出たりするという問題があります．ただ，これは，概念図式そのものの問題ではなくて，人々の実践がさまざまにありうるということを示しているだけだとも言えます．</div><div>ともあれ，自分の中でもう少し整理して考えてみて，これを単著へとつなげていきたいと思っています．</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>現代社会論演習（2011年度）を終えて</title>
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    <published>2012-02-15T13:13:51Z</published>
    <updated>2012-02-15T15:10:20Z</updated>

    <summary>　今年度の現代社会論演習の採点を終えました．　これまで，この演習では，08年度が...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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        <![CDATA[　今年度の現代社会論演習の採点を終えました．<div>　これまで，この演習では，08年度が，新潟県中越地震に関わる資料等をKH-CoderやMandaraを使って分析する，09年度が，前年に行った青木村調査データの再分析，10年度が，artisocを使った人工社会シミュレーションと，数理・計量系の実習を行ってきました．しかし，今年度は，初めて購読を行いました．うちの社会学研究室は，ぼくとボスとの2人体制で，ボスが地域社会学の専門で，ボスは，この同名の演習では，もっぱら購読をされてきていたので，ぼくは購読とは違うことをやってきました．</div><div>　しかし，こちらにきて2年半経った昨年の今頃，「これではいかん」と思うようになりました．それは，社会学の学生たちの視点が，どんどん内向きになってきており，実習先の村々にしか向いていないことに危機感を感じたからです．</div><div>　学生の視点を，外向けにしなければならない．ここはあえてボスに逆らわなければならない，と考えました．そこで選んだテーマが，「グローバリゼーションとコミュニティ」．まず，グローバリゼーションに関わる入門書（<a href="http://amzn.to/zbrYKR">スティーガーの『グローバリゼーション』</a>）を読んで，視点を外側に向けさせ，そのあとで<a href="http://amzn.to/zH8YCX">デランティの『コミュニティ』</a>を読んで，ゲマインシャフト的コミュニティ感をぶっ飛ばし，さらに，自分たちの実習先の村々のことをグローバリゼーションという文脈の中で考えられるようにすることを目標としました．</div><div>　また，2次的な目標としては，購読の授業は楽，という観念をぶっ飛ばすことも試みました．だいたい，やわな購読の授業（おそらく多くの大学で行われていると思うやり方）では，各回の発表担当者を決めて，「他の人もちゃんと読んできておいてね」と言うけれども，学生は，自分の担当回しか本を読まないで，授業中に当てられたらテキトーなことを言ってとりあえずその場を取り繕うということではないかと思います．わかってるってｗ　オレの学生時代，周りにいた奴ら，だいたいそうやったからｗ　わかってるって，お前ら，ボスの購読の授業で，自分の担当回しか論文読んでないことｗ</div><div>　そこで，『グローバリゼーション』は2章ずつ読み進めるが，授業日2日前までに，各章についての「まとめ」，「疑問点」，「特に関心を持ったところや特に調べたこと」を，e-learningから提出させました．もちろん，授業時までに全部目を通して，学生たちの疑問点を整理した上で，何をディスカッションするかを決めました．『コミュニティ』は難解なので1章ずつ読み進めるが，「非常に簡単なまとめ」，「調べた用語や理論など」，「疑問点」，「特に関心を持ったところや特に調べたこと」を，同様に提出させました．もちろん，ぼくの方も，ちゃんと目を通して準備をしました．</div><div>　何でそこまで学生に課したかというと，以前，学生が，「センセー，私，使わないような教科書買いたくないです」って言ったからなんです．まあね，研究者やってると，本を買う感覚とか麻痺してきて，読まなくても買うみたいなところがありますが，学生にとっては教科書って何科目も授業があったら，結構切実かもしれん，と思ったわけです．だから，教科書指定したら，骨の髄までしゃぶってやろうと思ったというわけです．</div><div>　学生にとっては，本当に苦しかったと思います．授業終了2週間前の授業改善アンケートでは，課題が多すぎ，他の授業に支障が出る，それなのになおたいへんな最終課題を出すなんて，などの意見が出ました．そんなことないって．笑わせるなｗ　準備に5日間もあるんだよと．24時間×5日＝120時間もあるやん．そのうち，本を読んでまとめるのって，せいぜい4，5時間くらいだよね．それくらい勉強せー☆自分の専門分野の授業やろと．</div><div>　でも，ちゃんと最終課題のレポートまで出した学生は，本当によいレポートを書いていたし，それぞれが，本当にちゃんと学ぶものがあったことをぼく自身に知らしめてくれました．よかったよかった．</div><div>　ところで，最終課題は，以下のようなものでした．全文掲載しておきます．</div><div><br /></div><div>---ここから---</div><div>最終課題について</div><div><br /></div><div>最終課題は，レポートとする．以下，最終レポートの内容である．</div><div><br /></div><div>問題：</div><div>下記の2つの問題について，両方あわせて1万5千字以内（おおむねワープロ打ちで10枚以内）で述べなさい．ただし，１と２は別々に記述すること．</div><div>１．地域社会学で論じられているような，古典的なコミュニティ概念と，現代のポストモダン・コミュニティ，コスモポリタン・コミュニティ，ヴァーチャル・コミュニティとの違いについて，デランティとスティーガーなどを参考に，あなたの考えをまとめなさい．</div><div>２．また，中川村・大鹿村のコミュニティは，グローバリゼーションという文脈において，どのように位置づけられるだろうか．</div><div>---ここまで---</div><div><br /></div><div>　ここでのポイントは，問題１は，とりあえずここまで学んだことをまとめなさいなので，うちの学生の能力があれば，ある程度ちゃんとしたものが出てくることは予想されました．なので，問題２が重要です．授業全体が終わり，まとめを書いたところで，これまで自分たちが実習に行った2つの村でのインタビュー調査などを受けて，それをグローバリゼーションという中にどう位置づけるかをそれぞれに考えてもらうというわけです．これが成績の良し悪しの分かれ目．</div><div>　と思っていたら，問題２の部分もよく書けていました．それぞれが例を挙げつつ，それぞれが違う側面から論じようとしていました．ちょっとうるっときてしまいました．文句を言いつつも，よく頑張ったなぁって．当然，甘く採点しなくても，みんなそれなりによい点数でした．</div><div>　授業を計画した教員としては，たいへん満足のいく結果でした．これできっと，ボスの地域社会学の授業を聞いても，それにどっぷりと毒されず，相対化して冷ややかな目で聞いてもらえるようになったのではないかと思います．そして，常に視線は外側にもって．...因果関係はよくわかりませんが，今年の2年生で留学を希望している学生が複数いるんですよ．これまでの社会学分野にはないことです．とてもよい！　素晴らしい！　大いに外で風を吸って帰ってきて，1年後に社会学に旋風を吹かせてほしいと思います．</div><div>　しかしそれにしても思うのです．うちの学生の感化されやすいことよｗ　いや，それよりも，教員が何を考えてどういう態度で臨むかで，学生たちは本当に変わります．教員としてちゃんと目標を立てて，きちんと教育しなきゃなと改めて思った次第です．</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>11年度卒論発表会</title>
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    <published>2012-02-10T09:30:00Z</published>
    <updated>2012-02-10T18:44:09Z</updated>

    <summary>　2月8日（木），例年どおり社会学研究室の卒論発表会が行われた．私が2008年秋...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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    </author>
    
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        <![CDATA[　2月8日（木），例年どおり社会学研究室の卒論発表会が行われた．私が2008年秋に着任してから4回目の卒論発表会であり，2年次から各研究室に配属になる本学部のシステムにおいては，私自身が学生の選考に最初に携わった学生たちの卒論発表会ということになる．その意味でなかなか感慨深い卒論発表会だった．この学生たちとは，彼らが2年生として入ってきた当初から共に過ごしてきたことになる．彼らがどれだけの卒論を書いてくれるのか，楽しみでもあり，自分自身が試される恐ろしい機会でもあった．<div>　端的に言えば，最初に経験した<a href="http://rtsuji.jp/jp/2009/02/08.html">2009年2月の発表会</a>と比べると，全体のレベルは格段に上がっている．10月着任で3ヶ月ほどしか直接指導しなかった学生たちと比較するのがフェアでないなら，翌2010年の卒論と比較してもよい．やはり，その頃より全体のレベルは上がっている．全体としては，ほとんどが文句なしにA評価（優）を与えてよいレベルに達するようになった．一方で，少数ながら，諸事情があったり，いくら指導しても自分の思ったことしかしない頑なさがあったりする場合は，明らかに出来の悪いものになった．そういうわけで，B評価（良）という中途半端なものがなくなり，A以上にボリュームのある両極端な分布となった．</div><div>　その理由は，今年度当初から，ぼくの担当する学生たちを2週間に1度集めて始めた授業時間外のリサーチミーティング（RM）にあったことは確かだ．今年度から，指導教員を教員側が決めるのではなく，学生に決めてもらう方法に変えたのだが，その一方で，指導教員は自分の指導方針を先に示し，それに賛同する人を受け入れて指導することとなった．そういわけで，ぼくはRMをやることを宣言し，4月から就活よりも優先（特に自分の発表の時は絶対参加）ということにして指導を行った．昨年度までは，大学院に進学を決めているような学生以外は前期は実質卒論については何もしない状態だったが，4月から卒論の準備を始めたことは大きかった．これはまた，ボスの担当の学生たちにも大いに刺激になったようで，両方にとってよい効果をもたらしたと言えよう．</div><div>　ともあれ，卒論でも何論でもそうだが，<u>よい問題設定</u>をすることが，まず何よりも重要である．そこでこけると，あとはどうあがいてもよいものになる可能性は低くなる．うちでは，4月末に卒論の題目届（それは一旦提出すると変更できない）があるために，とにかく4月いっぱいできちんと問題を設定し，調査対象を決め，調査対象にコンタクトして卒論への協力を取り付けるところまでやっておかないといけない．そのため，最初の2週間で全員が一度テーマについて発表，それについてかなり徹底的に議論して筋道が通るようにした．内容としては，テーマのおもしろさ，説明変数と目的変数の設定，どのような調査をするか，対象をどう設定するか，その対象は調査を受けてくれるかどうか，受けてくれない場合は代替案はあるか－それともテーマを変更するか，など．後半の2週間はもう一度全員が発表で，調査対象者が確保できたか，最終的な題目をどうするか，などを検討した．</div><div>　題目届を出したあとは，前期のうちは，各自の進捗状況などを聞きながら，適宜指導した．8月には卒論中間発表会があるが，例年だと，そのころからようやく計画発表といった形になるのだが，今年度は，すでにいくらか結果の発表もあるなど，かなりよい感じだった．</div><div>　しかし，今年度は後期がややまずかった．というのも，多くの学生たちが，例年とは違って余裕を持っていたために，インタビューをふまえて調査票調査とか，調査票調査を行った後にさらにインタビューとかいうことを始めたために，結局のところ，執筆時期が12月中旬以降くらいになってしまったのだ．執筆時期は例年どおりといえばそうだが，1つではなく2つの調査をまとめる必要があったために，2つの調査をうまくつながりをつけて書くための構成をきちんと考えている時間が取れないままに詰め込むといった事態になってしまった．なので，素材は優れたものがあるのに，最終的に1つの料理にするときに，いろんなところで不備があって，何か惜しい感じのものになってしまった．</div><div>　また，RMをやっていく過程で，学生たちが私に依存的になりすぎるというところもあったのかもしれない．よい卒論を書きたいという気持ちが，辻の指示どおりやっていればなんとかなる，というふうにすりかわってしまった可能性もあるように思われた．もちろん，自ら考えさせることは十分にさせたつもりだけども...．</div><div>　それでも，例年と比べれば，2つの調査があったり，1つでも十分に説得的な調査をしていたりと，内容的には卒論として申し分なく，A評価を連発することに何の躊躇も必要ないものが数多く提出されることとなった．</div><div>　来年度への反省点としては，後期になると，授業として卒論指導の時間があるのだが，それと閉講してRMをきちんとやるべきだったということと，12月頃にぼくの科研調査（かなり大規模なもの）の計画や個人的な事情で，指導がやや手薄になってしまったことが挙げられる．まあしかし，どの年でも，どこかで何かがあるものであって，一年を通して一貫して密度が高い教育ができないと思っていた方がよい．決して指導をサボったわけではないし，できる限りのサポートを続けていければよいのではないかと思っている．</div><div>　ともあれ，特別な事情などがない限り，文句なくAをあげてよいと思えるものだけになったというのは，素晴らしいことである．ただし，Aの人の中からS（秀）を付けるのが難しかった．Aの論文の中では，小数点以下の争いといった感じで，明らかに一線を画していると言えるほどのものがなかった．</div><div>　今後は，コンスタントにSレベル，願わくは，昨年度のように学部最優秀に相当するものが毎年出てくるようにしたいなとは思う．まあしかし，最優秀に相当するレベルのものがコンスタントに出るためには，やっぱり大学院志望とかいう学生がコンスタントに出てきてくれないと難しいのかもしれないとも感じる．もう少し進学をめざす学生が出てくるようになればなと思うが，そればかりは何ともしがたい．ともあれ，ほぼ全員がひいき目無しにAレベルのものが書けるようになったということを，今年の到達点として喜びたい．来年度もよいものがたくさん出てくるように頑張って指導していこうと思う．</div><div><br /></div><div>追記（2/11未明）：</div><div>　これまで，ぼくが担当した卒論と，ボスが担当した卒論では，出来にかなり差があったのは確かだと思うが，今年はそれがなくなったと思う．どっぷりと地域社会学ならばボスに，それ以外ならぼくに，という形に分化して，無理のない指導ができるようになったのと，一人あたりの指導に割ける時間がちょうどよいくらいの状態になったからということもあるのだろう．</div><div>　おそらく，今年の3年生も，差があるとは感じなかっただろう．そんなわけで，おそらく，来年度は希望者は半々くらいに分かれるかなと思う．とてもよいことだと思う．来年度はちょっと楽ができそうな気がしている．</div>]]>
        
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    <title>信州大学講座裏話</title>
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    <published>2012-01-28T16:09:00Z</published>
    <updated>2012-01-29T03:21:12Z</updated>

    <summary>　1月29日の午後に，今年度の「信州大学放送公開講座」の2回目として，ぼくが登場...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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        <category term="1.5.社会活動など" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="2.4.1.2.一般市民向け" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://rtsuji.jp/jp/">
        <![CDATA[　1月29日の午後に，今年度の「信州大学放送公開講座」の2回目として，ぼくが登場することになりました．今年度は，東日本大震災，長野県北部地震に伴う栄村付近の震災，6月の松本市南部を中心とした地震などがあり，長野県内もあちこちで災害に見舞われました．例年は多様な内容らしいこの講座でも，震災一色になったようです．今年のテーマは「地域と共に考え，学ぶ防災：知って備える防災への提言」となりました．ぼくも「災害時における地域ネットワークの重要性について」というタイトルで話をします．<div>　実はテレビを忌避していました．顔がいいので人気で過ぎたら困るなとかいうこともないわけではないのですが（笑），いろいろな人から，こちらが伝えようとしているようにはならず，編集の都合のいいところだけ切り取られてストーリー作られるよとか聞かされていたからです．政治家だって，話を断片的に引用されてスキャンダラスに放送されるといったことを常日頃見て知っているわけで，同じようにやられるとイヤだなと．</div><div>　しかし，今回は副学長直々に頼まれてしまったので，お引き受けせざるをえない状況に追い込まれてしまったわけです．なので，こちらも少し防衛策を講じました．こちらから積極的にはストーリーを語らないということです．結果的にかなりの程度はディレクターさんに話を作ってもらい，それに合わせた形になったかと思います．しかし，放送に先だって少し内容をいただきましたが，まあそれなりにできているのではないでしょうか．少なくとも，当初思っていたよりは編集はずっと穏当かなと思いました．ただ，何となくパンチがないようにも思いましたが．まあ，これは，ぼくのうだうだ話す悪いくせが祟ったのかもしれません．</div><div>　だけど，言っておくと，忌避していたとはいうものの，この30分の番組を撮るために，ほとんど丸二日くらいかかっています．一日は十日町に取材に行きましたし，もう一日は時間は短かったけれども大学で何時間か撮りました．ミーハーなぼくとしては，いつもテレビで見るアナウンサーの方を至近距離で見られて，ちょっとうれしかったということくらいは告白しておいてよいでしょう．別にぼくは心底から堅物ではありません（笑）．</div><div>　というわけで，ローカル放送ではありますが，まあこのあたりで修行して，そのうち全国区でデビューします．顔がいいからもてるやろうな．（ウソ）　でも，わざわざテレビに出て訴えなければならないことってそんなに多くありません．とりあえず，これが終わったら，色気づいてないで頑張って研究します．むしろそっちの方が本業です．頑張って，売れない本書こう（苦笑）</div><div><br /></div><div>追記：</div><div>　しかし，思ったほど悪くなかったと思ったのは，ディレクターさんはじめ，すごくちゃんと働いておられたのを目にしたということと，実際，全体では数時間におよぶ取材を，うまく30分に収めるディレクターさんてやっぱり相当な能力をお持ちであるとわかったことです．</div><div>　もちろん，縮小の段階で，枝葉末節とかが切り落とされて，すきっとした感じになりすぎてしまうということはあるかと思います．だから，その部分が伝わらないとイヤだと思う研究者がいるのもわかります．今回は，とりあえずテレビ取材がどうなっているのかということが実体験としてわかったので，これからのことは，また考えようと思います．</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>終わりゆく秋2011</title>
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    <published>2011-10-29T19:15:49Z</published>
    <updated>2011-10-29T20:17:30Z</updated>

    <summary>昨年・一昨年と「終わりゆく秋」を書いたが，この時期は，次第に寒い冬へと変わってい...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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    </author>
    
    
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        <![CDATA[<a href="http://rtsuji.jp/jp/2010/11/2010-3.html">昨年</a>・<a href="http://rtsuji.jp/jp/2009/10/post-51.html">一昨年</a>と「終わりゆく秋」を書いたが，この時期は，次第に寒い冬へと変わっていく前に，少しでも葉っぱのある木々を楽しんでおきたいという気持ちにさせられ，ついついシャッターを押してしまう．他の季節よりよいというよりも，葉っぱのある季節が名残惜しいという感じなのかもしれない．<div>今年の10月は，昨年と比べるとずっと楽だった．昨年は，県内10市町村の調査のために，県内あちこちをサンプリングにまわっていたが，今年は2回ほどの講演があった程度で，基本的にキャンパスにいた．今年はゆったりとこの季節を楽しむことができてよかった．</div><div><br /></div><div><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://rtsuji.jp/jp/DSC_0343_20111012_141518.JPG"><img alt="DSC_0343_20111012_141518.JPG" src="http://rtsuji.jp/jp/assets_c/2011/10/DSC_0343_20111012_141518-thumb-261x394-112.jpg" width="187" height="283" class="mt-image-none" /></a>　</span><a href="http://rtsuji.jp/jp/DSC_0488_20111028_133340.JPG"><img alt="DSC_0488_20111028_133340.JPG" src="http://rtsuji.jp/jp/assets_c/2011/10/DSC_0488_20111028_133340-thumb-261x394-115.jpg" width="187" height="283" class="mt-image-none" /></a></div><div>上，左側が10月12日，右側が10月28日．</div><div><br /></div><div><span class="Apple-style-span">2週間ほどの間に，あっという間に違った感じになるのがわかる．今年は，</span><a href="http://rtsuji.jp/jp/2010/11/2010-3.html">昨年</a>・<a href="http://rtsuji.jp/jp/2009/10/post-51.html">一昨年</a><span class="Apple-style-span">以上に紅葉・落葉が早く進んでいるのがわかる．</span></div><div>それにしても，今年はなぜこんなに名残惜しいという気がするのだろうか．</div><div><br /></div><div>ところで先日10月28日の筋雲は本当に美しかった．記念に少しだけアップ．</div><div><br /></div><div><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://rtsuji.jp/jp/DSC_0483_20111028_133106.JPG"><img alt="DSC_0483_20111028_133106.JPG" src="http://rtsuji.jp/jp/assets_c/2011/10/DSC_0483_20111028_133106-thumb-209x315-117.jpg" width="187" height="283" class="mt-image-none" /></a>　</span><a href="http://rtsuji.jp/jp/DSC_0492_20111028_133448.JPG"><img alt="DSC_0492_20111028_133448.JPG" src="http://rtsuji.jp/jp/assets_c/2011/10/DSC_0492_20111028_133448-thumb-283x187-119.jpg" width="283" height="187" class="mt-image-none" /></a></div>]]>
        
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    <title>3年次編入試験を終えて</title>
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    <published>2011-10-22T15:42:46Z</published>
    <updated>2011-10-26T07:21:05Z</updated>

    <summary>　先日，3年時編入試験がありました．最終的な合否が確定したタイミングに合わせて，...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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        <![CDATA[　先日，3年時編入試験がありました．最終的な合否が確定したタイミングに合わせて，学生を取る側からの意見を若干書ける範囲で書いておきたいと思います．来年度以降の受験生の目安となればと思います．（なお，これは公式見解ではありません．）<div><br /></div><div>　まず，信州大学人文学部では，TOEICあるいはTOEFLの点数を願書提出時に提出してもらいます．これは，ただ出してもらっているだけではないということです．あまりに悪いのは問題です．社会学だから（英文学や英語学じゃないから）関係ないと思うのは間違いです．</div><div>　学科試験について．信州大学人文学部では，2年次より専門分野に振り分けられて専門的な教育が始まっています．うちの社会学分野では，社会学の概論的な授業に加えて，社会調査や，統計学といった専門科目を2年生が終わるまでに受講します．3年時編入試験は，3年次に編入するわけですから，2年次に社会学分野の人たちが勉強するのと同程度のことは，最低限勉強しておかねばならないのは当然です．</div><div>　論述部分については，ただたくさん書けばよいというのは端的に間違っています．きちんと問題の意図を読み解き，それに応じた解答をしないといけません．核心部分を外したことをいくらたくさん書いても，点数にはなりません．無関係ではないが，核心に迫っていない解答ではいけないのです．</div><div>　面接試験について．他県の大学に行ったので3年次から地元に帰ってきたいとか，社会調査士の資格が取りたいとか，そういう理由はあまり印象がよくありません．地元に帰ってきたいことと，社会学が学びたいということとは関係ありませんよね．そんな個人的な理由，オレたちは知らないよとしか言いようがありません．また，社会調査士が取れる大学なんていくらでもありますよね．別にうちである必要なんてないですよね．うちの社会学分野の特徴を調べてみましたか．そして，あなたの関心があることが，信州大学の社会学分野では十分にできそうでしょうか．別に教員と同じ関心を持つ必要はありませんが，教員の書いた論文などを見てみて，自分のしたいことができそうかどうか，判断してみてください．</div><div>　厳しいことを書きましたが，決して3年次編入生を受け入れたくないわけではありません．というか，社会学分野には，コンスタントに3年次編入生が入ってきます．われわれの提供できるものと，学生のやりたいことが一致すれば，こちらは受け入れる準備があります．ひるまず，しかし，きちんと準備して受験してください．</div><div>　皆さんの健闘を祈ります．</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>教え子の受賞．だけど，次のステップへ</title>
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    <published>2011-09-21T13:42:00Z</published>
    <updated>2011-09-21T16:06:09Z</updated>

    <summary>　昨年の9月に，前任校の教え子で，現在東北大学の行動科学研究室にいる稲垣佑典君が...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://rtsuji.jp/jp/">
        <![CDATA[　昨年の9月に，前任校の教え子で，現在東北大学の行動科学研究室にいる稲垣佑典君が，彼の修論をもとにして書いた論文が，日本社会心理学会の学会賞を受賞しました（受賞論文は，稲垣佑典，2009，「都市部と村落部における信頼生成過程の検討」『社会心理学研究』25(2): 92-102.&nbsp;）．そのときの喜びは，昨年の<a href="http://rtsuji.jp/jp/2010/09/post-71.html">ブログ記事</a>にも書きました．今年もまた，彼の1学年下で，現在東京大学の社会心理学研究室にいる高木大資君が，彼の修論をもとにして書いた論文が，同学会の奨励論文賞を受賞しました．受賞論文は，以下のとおりです．<div><br /></div><div>高木大資・辻竜平・池田謙一，2010，「地域コミュニティによる犯罪抑制：地域内の社会関係資本および協力行動に焦点を当てて」『社会心理学研究』26(1): 36-45.</div><div><br /></div><div>　昨年の9月，稲垣君が受賞し，その後，高木君に向かって冗談半分で，「来年は，高木君な」と言った覚えがあります．それが，見事に実現してしまって，狂喜乱舞しました（やや大げさ）．</div><div>　実は，私は，昨年の稲垣君の受賞以来，「<a href="http://rtsuji.jp/jp/2010/09/post-71.html">ブログ</a>を書いていい気になってるけど，どうせ「フロック」じゃないの？」と思われているのではないかという強迫観念にさいなまれていました．また，自分も選考委員の1人だったので，やましいことは何もしていないけど，なんか冷めた目で見られているのではないかという妄想もあったりして，落ち着かない感じもしていました．その意味で，私が全くノータッチの今年，2年連続で教え子たちが受賞してくれたというのは，私にとっても胸をなで下ろす結果でした．</div><div><br /></div><div>　そろそろ<a href="http://rtsuji.jp/jp/2011/09/post-84.html">下條村への視察</a>じゃないけど，自称「再生工場」のぼくの研究室に視察に来る人が出てきてもいいんじゃないかとか冗談で思ったりしています．</div><div>　去年も同じことを書きましたが，ぼくはFDとかを信じていません．護送船団的に底上げするようなことばかりで非常につまらないと思っています．でも，抜きんでた成果を上げる人材を育てるためにどうすればよいかを語れる人なんてほとんどいないでしょう．それは，そういった実績なしには言えないことですから．まあ，自分自身に受賞歴がないとかいう恥ずかしい側面はありますがｗ，①自分自身が何かの間違いで何かうまいことアカデミアに入り込めたとかいうレベルだと無理でしょうし，②単純なクリティカル・シンキングを教えればよいとかいうものでもない（それは護送船団向け），とは言えると思います．たぶん，同じオーケストラで同じ曲をやるのでも，指揮者が違えば，できるものが違うといったことに近いのかなと思います．</div><div><br /></div><div>　しかし，前任校の教え子たちは，高木君の世代でおしまい．後続はありません．現任校は，まだまだ芽を出すために水をやっている段階です．でも，もう受賞とかいうようなことに気を取られることは卒業しようかなと思っています．もちろん，ちゃんとした教育は続けていきますが，いつまでも同じことをしていても仕方ない．ちょうど，母校の中学校の吹奏楽部の<a href="http://bit.ly/qvR1nu">渡辺秀之</a>先生が，全国大会で5金を達成してから，金を取るためではなく，重要な作品に取り組んだように，自分にとって重要だと思える問題に取り組んでいきたいなという心境です．たぶんそれが，30代と40代との違いかなという気がしています．</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>日本社会心理学会：震災シンポジウムを終えて</title>
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    <published>2011-09-21T09:47:00Z</published>
    <updated>2011-09-21T09:49:46Z</updated>

    <summary>　先日行われた日本社会心理学会の「東日本大震災を乗り越えるために：社会心理学から...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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        <category term="1.2.10.学会発表（単独・シンポジウム）" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="2.4.1.震災関係" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="2.6.学問関係" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://rtsuji.jp/jp/">
        <![CDATA[　先日行われた日本社会心理学会の「東日本大震災を乗り越えるために：社会心理学からの提言」で3人の話題提供者の1人として報告してきました．<div><br /><div>　最初の話題提供者の飛田先生は，福島でまさに被災した当事者として，現在進行中のさまざまな問題に対して，現実的にどのように対応し，またそのような渦中にあって研究者としてどうあるべきかという内省的なお話でした．私も大いに共感しました．しかしこれは，阪神・淡路のときも，やはり多くの在住の研究者が思ったことなのではないかと思います．その意味では，阪神・淡路から，生活者でもあり研究者でもある自分がどのように振る舞うべきかという問題は，何ら進展せず，そのまま残っているのだということを痛感しました．被災地在住の研究者が，どのように感じ，行動したのかをアーカイブ化しておくことは重要なことではないかと思いました．</div><div><br /></div><div>　3番目の中谷内先生は，特にリスク認知という点から，今後の人々のリスクを感じる閾値が高くなってしまうことが危険だといったお話をされました．従来の調整と係留のヒューリスティックという認知社会心理学の知見の応用ということになりますが，このような形で社会心理学が実際に役に立っているのだということを実感しました．</div><div>　私は今，社会心理学というより社会学の方に身を置いている立場ですが，社会学の理論が比較的直接的な形で政策提言や人々の実践に結びつくことは，可能なのだろうと思いますが，意外に明示的なものは少ないように思います．そういった仕事ももっとあってよいのではないかと思いました．</div><div>　この点，飛田先生が，最後の方で「ミドルマン」の存在について触れられていました．これはおそらく，社会学者ラザーズフェルドの提案に沿ったものだと思われます．社会学や社会心理学の理論と実践をつなぐ専門家がもっと育ってもよいように思いますが，どのようにしてミドルマンを育てるのかといったノウハウはあまり蓄積されていないように思われます．これは1つの課題でしょう．また，そういった人たちの需要があるならば，オーバードクターやポスドクがたまりにたまっている問題についても解決の糸口になるかもしれません．</div></div><div><br /></div><div>　私は2番目の報告でした．私が新潟県中越地震の前後で行ったパネル調査の結果と，そこから考えられる対策についてお話ししました．拙著<a href="http://amzn.to/ol7duA">『中越地震被災地研究からの提言：未来の被災地のために』</a>は，このパネル調査やインタビューの結果をベースとして，何とか実践に活かしたいという思いから出させていただいたものです．今回は，対策の部分よりも実証部分の方にウェイトを置きました．</div><div>　それはそれとして，私がこのシンポジウムに呼んでいただいたきっかけは，3.11の地震以降，私はすぐに現地への提言を自分のブログ（このブログ）を通して始めたことでした．これを関西学院大学の三浦麻子先生が日本社会心理学会の<a href="https://sites.google.com/site/jsspjishin/">「東日本大震災を乗り越えるために：社会心理学からの提言と情報」</a>で取り上げてくださり，そのような縁から今回の登壇へのお話につながっていったのだと思います．当初，すでに震災研究から身を引いている身として，場違いなことにならないかと心配もしたのですが，今後の復旧・復興につなげていくために，提言部分だけでなく，その背景となる実証研究の部分も含めてお伝えしたいと思ってお引き受けしました．やっぱり，フロアからは「過去の話？」とか「淡々としすぎ」という白い目も気にならないわけではなかったですが，過去との対比は必要だと思いお話ししました．あとでじわっと効いてくる話であったならばと思います．</div><div><br /></div><div>　さまざまな学会で，今，東日本大震災に関わるシンポジウムなどが開催されています．それぞれの学会が何とか貢献しようとされていることがわかります．しかし，それらを全体的にまとめることは課題だと思われますし，また，全体像をバランスよく考慮してうまく政策につなげていくことも必要なのではないかと思いました．</div><div>　雑駁な話になってしまいましたが，シンポジウムをめぐる感想の記録として書きとどめておきます．</div>]]>
        
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    <title>日本社会学会の発表を終えて</title>
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    <published>2011-09-21T05:45:00Z</published>
    <updated>2011-09-21T05:46:48Z</updated>

    <summary>　先日の第84回大会で発表してきました．タイトルは，「長野県下條村の特異性：長野...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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        <category term="1.2.08.学会発表（単独・フルペーパー審査付き）" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="1.3.1.科学研究費補助金（文部科学省・日本学術振興会）" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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        <![CDATA[　先日の第84回大会で発表してきました．タイトルは，「長野県下條村の特異性：長野県内10市町村調査結果から」でした．昨年からいただいている基盤研究(B)「地域間格差と個人間格差の調査研究：ソーシャルキャピタル論的アプローチ」（研究代表者：辻）の予備調査として行われた，昨年の長野県10市町村調査をもとに，下條村の特異性について計量分析を試みたものでした．<div>　なぜ下條村か，ですが，現村長が子育て支援政策を重点的に行い，それが好転して，合計特殊出生率が2を越える自治体となり，全国の300以上の町村などから視察が来るようになった，非常に特異な自治体であるからです．</div><div>　具体的には，子どもの医療費無償化を早期に実現したり，若者定住促進住宅を建築し安価で提供するなど政策を行ってきました．これらを視察しに来た自治体では，このような政策をまねて実行に移すところも現れています．しかしながら，そういった自治体で，出生率が大いに上昇したというわけではないようです．それは，なぜだろうか，というのが出発点です．</div><div><br /></div><div>　サンプリングなどについての詳細は，パスします（詳細は要旨集を参照）．</div><div>　やった分析といえば，とにかく，市町村を水準として，1要因分散分析をやって，全体が有意なものについて，多重比較をやり，下條村が「イケてる」ところと「イケてないところ」を抽出し，そこから妥当と思われるストーリーを考えました．</div><div>　結局，下條村は，図書館と公共ホールを除くと特に利便性が高いわけではありませんが，村役場は，住民の意見を取り入れたり要望を聞いたりする姿勢が評価されています．また，市民へのサービスは，子育て支援だけでなく，他の側面での評価も高いです．住民は，地域のイベントには参加する方であり，結束型の閉鎖的な社会関係資本が充実しています．特に住民については，若者定住促進住宅に入居するための要件として，男性が消防団に加入することなど，家族間の交際も促進することで，子どもの世話をし合うような住環境を作り出すことに成功していることがポイントであると思われます．他にもさまざまな交流の仕掛け作りをしており，それが全体として子育てしやすい環境を作り出しているのだということです．</div><div>　つまり，ただ単に医療費を無償化したり，若者定住促進住宅を作ったりという政策を打つだけでなく，住民間のネットワークづくりに村が関与することによって，高い出生率を生み出しているのではないかというわけです．</div><div><br /></div><div>　発表では言わなかったことですが，私は，青木村にも大きな可能性を感じています．青木村も教育について重点的な政策を行っており（詳細は，信州大学人文学部の社会・情報学講座で2008年度と2009年度に行った調査の報告書を参照），住民も教育については評価が高いです．また，ともに地域の中心都市のベッドタウンという位置や，若者定住促進住宅の建設にも類似性が見られます．あとは，住民間のネットワークづくりをどうするかという点にあるのではないかと思われます．</div><div>　ともあれ，全体として，箱物や制度を整えるだけでなく，そこに住む人々のネットワークを作っていくことにあるのだろうということです．</div><div><br /></div><div>　それから，地域社会学について．これまで地域社会学では，あまり大々的な地域間比較をやってこなかったのではないでしょうか．1つの自治体についての研究は多々ありますが，比較を通してこそ見えてくる自治体の特徴というものもあります．今回の報告はそういったやり方が特に有効であることを示せたのではないかと考えています．</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>JAMS52，JWEIN11 合同大会：運営の顛末</title>
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    <published>2011-09-21T02:20:00Z</published>
    <updated>2011-09-21T02:18:25Z</updated>

    <summary>　去る9月5日（月）～7日（水）まで，数理社会学会（JAMS）52回大会と日本ソ...</summary>
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        <![CDATA[　去る9月5日（月）～7日（水）まで，数理社会学会（JAMS）52回大会と日本ソフトウェア科学会・ネットワークが創発する知能研究会（JWEIN11）との合同大会が信州大学で行われ，私が大会委員長を務めさせていただきました．<div>　何とか無事に終了することができ，ほっと胸をなで下ろしたところです．JAMSの大会を引き受けたのは2度目で，前回は前任校のときでした．それからちょうど5年．理事の任期を終えたところで即座にお鉢が再び回ってきました．</div><div>　JAMSでは，2回以上大会委員長を引き受けられた会員の方もおられますが，私自身はJAMSとASAのMath socセクションとの合同会議2度の運営にも関わっていますし，とりあえず，小規模学会大会の運営という観点から，あれこれと振り返って，文章を残しておくことは何か参考になることもあるかもしれないと思い，ちょっと書くことにしました．</div><div><br /></div><div>　数理社会学会は，会員数が300人程度の小規模学会です．学会の財務状況については書きませんが，基本的に各大会の運営は別会計で，学会本体とは基本的に切り離されています．もし決算で赤字が出てしまったら，5万円を上限に学会から補填が受けられることにはなっています．しかし，大会参加費はほぼ固定で，懇親会費はそれなりに幅がとれるといった感じです．大会参加費がほぼ固定なので，最低限のことをしっかりやるという感じの運営になります．</div><div>　大会への参加者数は，およそ70名～90名くらいです．私が前回引き受けたのは，学会25周年記念大会@東大の次の回，今回は，諸人こぞりて馳せ参じた沖縄大会の次の回ということで，当初の見積もりは少なめにしておくのが適当と思われました．ただ，今回は，JWEINとの合同大会ということで，相乗効果が若干見込めるのではないかという感じもあり，非常に読みにくかったです．実際失敗したと言わざるをえません．まあ，色をつけずに，これまでの最低線と思っているのが安全だったようです．</div><div><br /></div><div>　JAMSの場合，大会委員長に求められていることは，大会会場の確保，報告要旨集の印刷，当日の受付や会場係などのアルバイトの統制，懇親会の会場の確保とメニューの決定です．（必要な場合は，弁当の手配もあります．）</div><div>　前任校で引き受けたときには，これらの仕事に対して，院生を一人ずつ割り当てました．これだと，適宜指示を出すだけで，こちらはおおかた左うちわでしたが，さすがに，今回は院生なしの状態で，全てを一手に引き受けるのはたいへんでした．それでも，学部生から一人事前準備と当日の統括をしてくれる学生を募り，懇親会のメニューと弁当のメニューの決定を任せました．こちらからは，どちらについても，「信州らしいもの，脂っこくないもの」の2つを徹底するということでした．結果的に，多くの方に地のものを楽しんでいただけ，味もまずまずということで喜んでもらえたと思います．細かいことで言えば，大会前々日くらいに，大学の門の向かいのコンビニの店長に，学会期間を知らせてちょっとだけ人がふえるかもしれないよと伝えました．当日午後に聞いてみると，少しだけ高めの弁当を仕入れたとのことで，実際そういうものが売れたとのことでした．</div><div>　大会会場の確保については，近年，多くの大学で会場の貸出にお金を取るところが増えています．実際，今回もそのケースでした．実は，今回借りた教室は，経済学部の所有の教室があり，そこでは，場代を支払うことになりました．また，支払は事前の支払だったので，その分は一時立て替えることになりました．</div><div>　報告要旨集の印刷については，今回は，やや特殊な状況がありました．それは，JWEINは，ネットワーク関係の研究会なので，カラーの図があった方がよいということでした．そこで，当初，報告要旨集のカラー刷りを検討しましたが，モノクロ印刷と比べてカラー印刷は相当に割高になることから，それは諦めました．次善の策として，要旨集はモノクロ印刷とし，さらに，CD-ROMで同じ要旨集を配布することにしました．実際，この方がずっと安くなることがわかりましたので，そのような方法を採りました．CD-ROMの中身は，報告要旨集の内容を1つにまとめたPDF（コピペができないようにパスワード保護したもの）を業者に頼んで大量に焼いてもらいました．</div><div>　報告要旨集について言えば，今回から，報告要旨集の原稿をプログラム順にまとめる作業を，研究理事にお任せすることができるようになり，それはたいへん助かりました．ページ番号を入れる作業はJWEINの方でやってもらいました．したがって，大会委員長としては，それを印刷とCD-ROM焼き付けに出すだけとなり，楽になりました．これは，大会を引き受けやすくする，よい方策であったと思います．</div><div>　さらに，報告要旨集の印刷は，学生の準備を手伝ってくれる学生に安いところをウェブで探ってもらいました．そのとき，形式としては，中身は上質紙でモノクロ印刷，表紙・裏表紙は「レザック」という紙を指定，サイズはA4，綴じ方は無線綴じ（くるみ製本），必要部数とページ数がいくらということを指示しました．20件ほど見積もりを取ってくれ，その中で信頼が置けそうで安いところを見つけました．実際，見本を送ってくれて，質的にも十分であると判断し，そこに発注をかけました．ウェブ上での取引でしたが，満足のゆく結果だったと思います．</div><div>　CD-ROMの焼き付けについては，私の方でウェブサイトを検索して数件，安くてよさそうなところを見つけました．実際には，タイトルの印字の時に，向こうにはデザイナーがいないことがまるばれで，ちょっと手間がかかりましたが，まあまあふつうな感じのものができました．悔やまれるとすれば，ファイル名をもうちょっとちゃんとしておけばよかったかなということでしょうか．まあ，しゃーない．</div><div>　当日の学生アルバイトについては，大会の1ヶ月くらい前に研究室のMLで募集しました．なので，学生はみんな社会学の学生でした．もし足りなければ社会心理学研究室にお願いしようかと思っていましたが，何とか人数は揃いました．</div><div>　募集以前には，研究理事から平行セッションが2つになることを確認し，受付・会場・休憩室・案内の担当に必要な人数をあげて人員配置表を作りました．そして，それをもとに必要数だけアルバイトを募集しました．なので，かなりかつかつの状態で，当日来ない人が出てきたら，即アウトという状態でした．まあ，無事で何よりだったと言うほかありません．裕福な学会だと，支度金がふんだんにあったりするので，アルバイトを特定の場所に貼り付けたり，ある程度余裕を持って遊ばせておける人員配置ができるのだと思いますが，小規模学会ゆえの難しさを感じました．</div><div>　アルバイトが当日きちんと動いてくれるかどうかは，心配でした．何せ，院生がいないので，学会とはどういうものかを知っている人がいないということです．なので，6ページにもわたる「アルバイトの手引き」を丸一日がかりで書いて，それをMLに流し，事前に必ず読んでくるようにと言いました．それでも，書き落としているところや，指示がきちんと伝わらないところがありました．まあ，それでも，JAMS初日の朝の受付あたりで多少の混乱があったものの，まあ，まずまずの感じで仕事を進めてくれました．なお，手引きを書くに当たっては，どの人がどこに配置され，どういうふうに移動していくのかを考えながら，そのときどきでどんなふうに動けばよいのかを想像し，各人が流れを感じながらやっていけるように心がけました．たとえば，弁当がいつ頃届けられるので，支払をどうするとか，ポスター用のパネルがいつ届くので，いつ設置するとか．なので，内容としては，受付・会場・休憩室・案内の仕事の説明と，時間の流れに沿った移動の仕方の2部構成となりました．結果的に，これで学生たちは，私がいなくてもてきぱき動いてくれたので，一日がかりで手引きを書いてよかったと思いました．</div><div><br /></div><div>　今回は，松本市観光コンベンションセンターにたいへんお世話になりました．松本駅に掲げられていた学会大会の横断幕に気づかれた方も多かったでしょう．あれはコンベンションセンターに作っていただいたものでした．他にも，弁当の業者の紹介をしてもらったり，（結局使わなかったけど）懇親会の場所やケイタリングの候補をあげてもらったりしました．また，100人以上の集客が見込めるので，その人数に応じた資金的な援助（赤字になったときの補填）もいただきました．</div><div>　コンベンションセンターの存在に気づいたのは，駅に横断幕が時折かかるので，そのもとをたどっていったらそこであったというわけです．すでに動き出していた応用心理学会の準備をしていた同僚のH先生もコンベンションセンターにコンタクトをされていたので，情報をいただきながら進めていきました．各地にコンベンションセンターないし類する団体はあると思います．学会開催を引き受けられた方は，一度学会開催に際してコンベンションセンターにコンタクトを取ってみられてはいかがでしょうか．</div><div><br /></div><div>　この文章を書き始めてはや10日ほど．まだまだ書きたいことはありますが，思いついたら追記していきます．ひとまずここで公開したいと思います．少しでもJAMSや小規模学会開催のお役に立てればと思います．</div>]]>
        
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    <title>サイトウ・キネン・フェスティバル：武満徹メモリアルコンサートXVIを聴いて</title>
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    <published>2011-08-29T08:59:11Z</published>
    <updated>2011-08-29T09:42:22Z</updated>

    <summary>　先日（8月24日（水）），サイトウ・キネン・フェスティバル松本のプログラムの1...</summary>
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        <category term="2.1.音楽関係" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://rtsuji.jp/jp/">
        <![CDATA[　先日（8月24日（水）），サイトウ・キネン・フェスティバル松本のプログラムの1つである「武満徹メモリアルコンサート XVI - ピーター・ゼルキン ピアノ リサイタル -」を聴きに行った．武満徹のメモリアルコンサートは，一昨年に次いで2回目だった．<div>　顔写真からそうじゃないかなと思っていたのだけど，やっぱりピーター・ゼルキンは，ルドルフ・ゼルキンの息子だった（プログラムにて確認）．ピアノの音色は，クリアながらも厚みがあり，曲によって音色の使い分けをうまくやっているなという印象だった．</div><div><br /></div><div>　1階席のやや前方，ステージに向かって中央からやや右手という辺りで聴いた．武光特有の間の取り方があるが，ピアノからの直接音の余韻と，ホールの残響とがブレンドされて，とても面白い音楽体験ができる何とも不思議な感じの位置だった．</div><div><br /></div><div>　正直告白すると，この日の武光の曲については事前の予備知識はなしだった．素人同然で聴いたことになる．しかし，一音一音，一間一間が心まで染みわたってくるような感覚を覚え，深く感銘を受けた．強いて言えば，選曲の関係からか，曲種が類似していて，やや単調な印象もあったが，全体として非常に深みのある演奏を味わえた．ほとんど目をつむったまま聴いていた（寝てはないです）．時折時空を切り裂く強打でハッとしながら．</div><div>　後半のベートーベンの「ディアベッリの主題による33の変奏曲」は，1時間にわたる演奏だが，各変奏（というより変容ですね）の表情の切り替えがはっきりしており，意図の伝わる好演だった．</div><div><br /></div><div>　終わってみると，心浮き立つような華々しい感動ではなく，心にジーンと来る感動で，しばらく言葉を失ってしまった．</div><div><br /></div><div>　最後に聴衆に一言文句を言うとすれば，武光の曲は，間が重要．そこで咳き込んだりされると興ざめもいいところだ．今回は，そういうことが非常に多くて鬱陶しかった．曲間はともかく，曲中の間で咳をするのは勘弁してほしい．気にしすぎると余計に咳き込んでしまうのだろうけど，咳を抑える練習でもしてから来てほしかった．なかなか難しい注文ではあるだろうが．</div><div><br /></div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>『中越地震被災地研究からの提言』出版にあたって</title>
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    <published>2011-06-14T14:25:00Z</published>
    <updated>2011-06-15T04:07:56Z</updated>

    <summary>　拙著『中越地震被災地研究からの提言』を，ようやく出すことができました．　　　若...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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        <category term="1.2.15.一般書・一般雑誌（研究業績にならないもの）" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="2.4.1.1.被災者向け" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="2.4.1.2.一般市民向け" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="2.4.1.5.研究者向け" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="2.4.1.震災関係" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://rtsuji.jp/jp/">
        <![CDATA[　拙著『中越地震被災地研究からの提言』を，ようやく出すことができました．<br /><br /><div>　　<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="shinsai_front-s.jpg" src="http://rtsuji.jp/jp/shinsai_front-s.jpg" width="176" height="248" class="mt-image-none" style="" /></span><br /><div><br />　若干の裏話をば．</div><div><br /></div><div>　私はこれを出せて，今までインタビューをさせていただいた方に，ようやく恩返しが（多少とも）できたという思いでいっぱいです．</div><div>　私がやろうとしていたことは，中越地震の復旧・復興の記述研究ではありませんでした．むしろ，「一般的に」震災の復旧・復興においてネットワークはどう変化するのかということに関心がありました．ですので，私はインタビューにいく先々で，「みなさんにお返しできることはありません」が「今度何か大きな地震が起きたら，役立たせたいただきます」とお断りを入れつつ，お話を聞かせてもらっていました．一度だけという方もいましたが，数年にわたり，何度もという方もいました．</div><div>　昨年くらいから，ひとまず中越での研究は一段落し，私は次の研究へと舵を切り始めていました．私は自己認識としては，社会ネットワークの研究者であり，災害社会学の研究者ではないと思っていましたから，ネットワークの観点から，別の研究課題に取り組もうとすること自体は自然な流れのように思っていました．</div><div>　しかし，その矢先に東日本大震災が起こったのです．今，やりかけた研究があるのだけど...．とりあえずそれは一時中断．インタビューに答えていただいた人たちとの約束をきちんと守るためにも，自分の知りうる範囲でいいから，一般的に，しかし具体的に，速やかに研究成果を還元すべきときが来たなと思いました．</div><div>　とても，これで十分という内容ではないと思います．何人もの共同研究ではなく，あくまでも私一人でやっていた仕事ですから，包括性という意味ではきわめて限定的であると言わざるをえないと思います．しかしそれでも，あえてこれだけは出そうと思いました．</div><div>　東日本大震災から数日後，社会学者たちは次々に考えを述べ始めていました．主として政府に対して．しかし，意外にも，社会学者が被災した人々一人一人に呼びかけることは，ほとんどなかったのです．せいぜい，（直接にはあまり関係ありませんが）「買い占めはやめましょう」といったようなことばかり．被災者一人一人に対して何でこんなに社会学者は無力なのかと．そして，私ははたと気づいたのです．社会学的な研究をもとにして，被災した一人一人，そしてコミュニティを対象とした本はほとんどないのだと．そういった本を書くことが自分に課せられた使命ではないかと思い始めました．被災者は，以前の被災者からサバイブするためのノウハウを何も伝えられておらず，いつも一から被災者であることを繰り返し，そしていつも同じ落とし穴で繰り返し失敗するのだと．東日本大震災の規模は大きく，中越地震の経験が直接役立たないこともあるかもしれません．しかし，中越地震でのノウハウの記録を残しておきさえすれば，それをベースにして考えてもらうことはできるのではないかと思いました．それが，直接的な中越でお世話になった人々への感謝の表し方ではないかと．社会学者には，こんなものは社会学ではないという批判は浴びるだろうと想像しています．しかし，今回はそれでもよいと思っています．社会学者としてのリベンジはまた別の機会にでもしたいと思います．</div><div>　ところで，書き始めてすぐに思いました．これは，私の師である髙坂健次先生が「ミドルマンのすすめ」（髙坂，2000）で素描されたミドルマンの仕事そのものではないかと．ミドルマンとは，社会学者とクライアント（一般の人々）との橋渡しをする存在とされています．その仕事の一部は，社会学の知見を一般の人々の実践に使える形に翻訳することです．今回の場合には，中越地震研究で得られた知見を一般の人々にわかりやすい提言という形にすることです．「ミドルマン」という言葉を作ったのはラザーズフェルドのようですが，彼はミドルマンを1つの独立した職業であると考えていたようです．社会学者とクライアント，クライアントと社会学者との間を行ったり来たりして架橋することは，1つの職業として成り立つほど難しいということのようです．逆に言えば，そんなに難しいことだから，特定の領域においてはそのような存在がいなかったということもあるでしょう．それが今回十分にできたかどうかについては，正直なところあまり自信はありません．何せミドルマンとしては習作ですから．しかし，ここは謙虚に東日本大震災の被災地での評価を伺ってみたいと思っています．社会学者としては具体的にしたつもりでも，現場では抽象的すぎて使い物にならないという評価もありうると思うからです．ここはまな板の上に乗って，いつ切られてもというつもりで臨みたいと思っています．</div><div>　ともあれ，私としては，これで中越地震の被災地でインタビューを受けて下さった方々に何とか恩返しすることができたのではないと思っています．最後に栃尾の人々に重ね重ねお礼を申し上げます．</div></div>]]>
        
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    <title>ブナ林による架橋</title>
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    <published>2011-06-08T06:30:00Z</published>
    <updated>2011-06-08T06:26:12Z</updated>

    <summary>　ようやく，拙著『中越地震被災地研究からの提言』が刷り上がってきました．その表紙...</summary>
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        <name>Ryuhei Tsuji</name>
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        <category term="2.4.1.1.被災者向け" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://rtsuji.jp/jp/">
        <![CDATA[<div>　ようやく，拙著『中越地震被災地研究からの提言』が刷り上がってきました．その表紙は，ブナの大木の写真です．ブナの写真を使うという提案は，ハーベスト社の小林さんからのアイディアでした．私は即座にこの提案を受け入れました．ブナは，東北を代表する木の1つです．ブナの木の写真を使うことで，中越地震の研究で得られた知見を，東日本大震災の被災地にも届けたいという思いが伝わるのではないかと思ったからです．</div><div>　　<img alt="shinsai_front-s.jpg" src="http://rtsuji.jp/jp/shinsai_front-s.jpg" width="176" height="248" class="mt-image-none" style="" /></div><div>　しかし，中越とブナとはつながらないと思われた方もいるかもしれません．しかし，私にはそれに対する答えもあります．私が取材に入っていた，旧栃尾市の被災地の1つである繁窪地区．ここでは，中越地震以前から，「<a href="http://www.midori100.com/news/92.html">にいがた緑の百年物語</a>」という緑化のための県民運動に初期から参加していました．ここでは，休耕地を利用して，ブナの木の植樹が行われていました．まだ植樹されたブナの木は小さく，この表紙にあるような巨大な気になるには，何十年もかかります．しかし，ブナの木を植えることで，次第に山の保水力が高まり，それが，当地のもろい地質を補い，田畑を潤す水を供給することになるようにとの住民の思いが込められているのです．</div><div>　このような意味で，ブナの木は，中越地震の被災地と東日本大震災の被災地をつないでいるのです．</div><div>　いつか，太いブナの木のような復興が成りますように．</div><div><br /></div>]]>
        
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