7月25日(日),サントリーホールで行われた日本フィルの親子向けのコンサートである「第36回日本フィル夏休みコンサート」(14時開演の部)に行ってきた.
これを演奏そのものについて,また,社会(学)的な観点から述べてみたい.
まず,すごいなと思ったのは,サントリーホールがほぼ満席だったことである.このチケットを押さえたのは妻だったが,昨年は少し遅れたら満席で取れなかったとのことで,発売とともに売れてしまうほどの人気らしい.
確かに,プログラムを見ても,よく練られている.オーケストラ曲,オペラ,みんなで歌う曲といった3部構成一つとっても,飽きやすい子どもたちのことをよく考えた作りである.
曲そのものは子ども向けかというと,そうではない.たとえば,オープニングは,チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」より「ポロネーズ」だったが,賭けてもいい,このオペラの題名すら知らなかった聴衆がほとんどだったと.チャイコフスキーが好きな私も,昔チャイコフスキーの「お勉強」をしていてかろうじて名前は知っているが,曲そのものを聴くのは全く初めてだった(オペラ嫌いだからというのもあるかも).その意味では,大人も「やられた」感があると思う.しかし,曲そのものは明快なもので,子どもたちがすっと入っていけるものだっただろう.
まあしかし,それ以外の曲は,明快で親しみやすいメロディをもった曲,小学生くらいになれば聴いたことのあるような曲で構成されており,よくできてるなぁと感心した.
休憩を挟んで第2部と第3部が続けて行われたが,第2部は「魔笛」.パパゲーノ(←ATOKもこれくらい一発変換してほしい)とパパゲーナが出てきて子どもたちも大喜び.ここでも子どもの心をちゃんと捉えていた.
それにも飽きてきた頃?には,みんなでオーケストラをカラオケに,手振りをつけて歌う曲3曲へと続く.子供心の機微を捉えている.(ただ,大人は半分くらいは乗れていない模様.)しかし,2曲目,近年の卒業式の定番らしい(と,妻に教えてもらった)Believeという曲は初耳.(誰でも知っている曲らしいが,私は,ポピュラー音楽にはほとんど無関心である.相当に偏屈である.)歌詞は社会学者好みではない(笑)し,曲自体はだらだらしていて凡庸である.明らかに小学生低学年以下に理解できる歌詞ではないので彼らが沈黙していたのは,改善の余地ありと思われた.それにしても,Believeに見られる気持ち悪いほどの浪漫主義は,自分にはunbelievableで,完全に沈黙を余儀なくされた.
歌って気分を取り直したところで,プログラム上の最後が「ダッタン人の踊り」であった.しかし...「えっ,最初からじゃないの?」 いきなりティンパニが出てきて3拍子が始まったときには,ずっこけた.いや確かにもう子どもの中には飽きちゃった子がいるかもしれない.でも,オーボエとイングリッシュ・ホルンのソロのないダッタン人なんて...クリープを入れない...,いや,このクリシェはいつぞやも使ったのでそこまでにするが,何とも口惜しい.
で,アンコールは,定番中の定番(書かないけど,子ども向けのコンサートでもあるわけだし,「あれ」しかないじゃないですか)であった.うちの子は,ここになって初めて大ノリ.いやー,あの曲って何で人心を完全につかんでしまえるのか不思議である.
われわれは舞台に向かって左手の舞台脇のあたりで,舞台から指揮者の指揮を見る形になる席だった.指揮者の梅田俊明さんは,終始にこやかで,しかし,堅実な棒さばきを見せていた.子どもの教育という点からすれば,奇をてらわず安心できる演奏内容だったと言えるだろう.
オーケストラのメンバーも,いつもの定番といった感じでリラックスしているようで,安心して聴けるものだった.
さて,この演奏会は,関東一円で10回にもわたって開かれるものだが,どこでもこんなふうに満員御礼状態だとすると,子どもの音楽教育・情操教育といったことに関心を持つ親は,ものすごい数なのだと思われた.コンサートにやってくる人々については,そのうち私も実証データの分析を出すつもりだけど,やっぱりおハイソな人々である.純粋に音楽が好きとかいうだけではないものがある.「これがブルデューのいう再生産の象徴的な現場だ.この国のおハイソ社会とおハイソ文化は,不況などものともせず続いていくのだ」と感じられた.ただ,われわれの実証データによると,おハイソな人々は,社会ネットワークを異なる社会集団に掛けていくという好ましい性質を持ってもいるようだ.これについても,またいずれ.
ところで,このコンサート,子ども向けとはいえプロのコンサートということになると思うが,私としては,昨年の木曽音楽祭以来のコンサートだったと思う.音楽好きではあっても,週末に松本とさいたまを往復する身としては,思いの外コンサートに行く機会はないものである.また,ふつうのコンサートだと,子どもは入場制限があるので,子どもを置いていくことになり,そんなにしょっちゅうおじいちゃん・おばあちゃんや託児所に頼るわけにもいかない.そういった向きには,親子コンサートというフォーマットは,クラシック好きの親の欲求とも絶妙に合致しているということに気づいた.もちろん,親子コンサートにブルックナーの8番全曲をやるわけにはいかないけれども(1楽章でも無理か...笑).
会場で配布されていたコンサートのチラシを見ていると,他にも何種類かの親子向けのものがあるようだ.こういった親子コンサートは,一組で2,3人になるわけで,集客効率としてもよいのかもしれない.すでに飽和状態なのかどうかは知らないが,ビジネスモデルとしてはうまくできているのかもと思った.
終演後,ロビーでは楽団員を囲んだQ&Aや,サイン会などが行われ,ある意味ではふつうのコンサートよりもずっとサービスがよかったとも言える.少子化の中,音楽を志す一定の人員を確保しようという明確な意図があるのだろうか.
ともかく,いろいろな側面で,面白い経験だった.「オレは何でも理解できるんだぜ」と物知り顔で聴くサイトウ・キネン・フェスティバルの「武満徹コンサート」もいいけれど,親子コンサートもアイディアの集合体であり,決して「子供だまし」などとバカにできないものだと感じられた.願わくは,「再生産」が緩和される形にするにはどうしたらよいのかといった点からも取り組みを期待したいが,それには,社会学者が,きちんと実態把握をしないといけないですね.それは,今後自分がやるべき仕事かもしれないと思ったりしているところでもある.
これを演奏そのものについて,また,社会(学)的な観点から述べてみたい.
まず,すごいなと思ったのは,サントリーホールがほぼ満席だったことである.このチケットを押さえたのは妻だったが,昨年は少し遅れたら満席で取れなかったとのことで,発売とともに売れてしまうほどの人気らしい.
確かに,プログラムを見ても,よく練られている.オーケストラ曲,オペラ,みんなで歌う曲といった3部構成一つとっても,飽きやすい子どもたちのことをよく考えた作りである.
曲そのものは子ども向けかというと,そうではない.たとえば,オープニングは,チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」より「ポロネーズ」だったが,賭けてもいい,このオペラの題名すら知らなかった聴衆がほとんどだったと.チャイコフスキーが好きな私も,昔チャイコフスキーの「お勉強」をしていてかろうじて名前は知っているが,曲そのものを聴くのは全く初めてだった(オペラ嫌いだからというのもあるかも).その意味では,大人も「やられた」感があると思う.しかし,曲そのものは明快なもので,子どもたちがすっと入っていけるものだっただろう.
まあしかし,それ以外の曲は,明快で親しみやすいメロディをもった曲,小学生くらいになれば聴いたことのあるような曲で構成されており,よくできてるなぁと感心した.
休憩を挟んで第2部と第3部が続けて行われたが,第2部は「魔笛」.パパゲーノ(←ATOKもこれくらい一発変換してほしい)とパパゲーナが出てきて子どもたちも大喜び.ここでも子どもの心をちゃんと捉えていた.
それにも飽きてきた頃?には,みんなでオーケストラをカラオケに,手振りをつけて歌う曲3曲へと続く.子供心の機微を捉えている.(ただ,大人は半分くらいは乗れていない模様.)しかし,2曲目,近年の卒業式の定番らしい(と,妻に教えてもらった)Believeという曲は初耳.(誰でも知っている曲らしいが,私は,ポピュラー音楽にはほとんど無関心である.相当に偏屈である.)歌詞は社会学者好みではない(笑)し,曲自体はだらだらしていて凡庸である.明らかに小学生低学年以下に理解できる歌詞ではないので彼らが沈黙していたのは,改善の余地ありと思われた.それにしても,Believeに見られる気持ち悪いほどの浪漫主義は,自分にはunbelievableで,完全に沈黙を余儀なくされた.
歌って気分を取り直したところで,プログラム上の最後が「ダッタン人の踊り」であった.しかし...「えっ,最初からじゃないの?」 いきなりティンパニが出てきて3拍子が始まったときには,ずっこけた.いや確かにもう子どもの中には飽きちゃった子がいるかもしれない.でも,オーボエとイングリッシュ・ホルンのソロのないダッタン人なんて...クリープを入れない...,いや,このクリシェはいつぞやも使ったのでそこまでにするが,何とも口惜しい.
で,アンコールは,定番中の定番(書かないけど,子ども向けのコンサートでもあるわけだし,「あれ」しかないじゃないですか)であった.うちの子は,ここになって初めて大ノリ.いやー,あの曲って何で人心を完全につかんでしまえるのか不思議である.
われわれは舞台に向かって左手の舞台脇のあたりで,舞台から指揮者の指揮を見る形になる席だった.指揮者の梅田俊明さんは,終始にこやかで,しかし,堅実な棒さばきを見せていた.子どもの教育という点からすれば,奇をてらわず安心できる演奏内容だったと言えるだろう.
オーケストラのメンバーも,いつもの定番といった感じでリラックスしているようで,安心して聴けるものだった.
さて,この演奏会は,関東一円で10回にもわたって開かれるものだが,どこでもこんなふうに満員御礼状態だとすると,子どもの音楽教育・情操教育といったことに関心を持つ親は,ものすごい数なのだと思われた.コンサートにやってくる人々については,そのうち私も実証データの分析を出すつもりだけど,やっぱりおハイソな人々である.純粋に音楽が好きとかいうだけではないものがある.「これがブルデューのいう再生産の象徴的な現場だ.この国のおハイソ社会とおハイソ文化は,不況などものともせず続いていくのだ」と感じられた.ただ,われわれの実証データによると,おハイソな人々は,社会ネットワークを異なる社会集団に掛けていくという好ましい性質を持ってもいるようだ.これについても,またいずれ.
ところで,このコンサート,子ども向けとはいえプロのコンサートということになると思うが,私としては,昨年の木曽音楽祭以来のコンサートだったと思う.音楽好きではあっても,週末に松本とさいたまを往復する身としては,思いの外コンサートに行く機会はないものである.また,ふつうのコンサートだと,子どもは入場制限があるので,子どもを置いていくことになり,そんなにしょっちゅうおじいちゃん・おばあちゃんや託児所に頼るわけにもいかない.そういった向きには,親子コンサートというフォーマットは,クラシック好きの親の欲求とも絶妙に合致しているということに気づいた.もちろん,親子コンサートにブルックナーの8番全曲をやるわけにはいかないけれども(1楽章でも無理か...笑).
会場で配布されていたコンサートのチラシを見ていると,他にも何種類かの親子向けのものがあるようだ.こういった親子コンサートは,一組で2,3人になるわけで,集客効率としてもよいのかもしれない.すでに飽和状態なのかどうかは知らないが,ビジネスモデルとしてはうまくできているのかもと思った.
終演後,ロビーでは楽団員を囲んだQ&Aや,サイン会などが行われ,ある意味ではふつうのコンサートよりもずっとサービスがよかったとも言える.少子化の中,音楽を志す一定の人員を確保しようという明確な意図があるのだろうか.
ともかく,いろいろな側面で,面白い経験だった.「オレは何でも理解できるんだぜ」と物知り顔で聴くサイトウ・キネン・フェスティバルの「武満徹コンサート」もいいけれど,親子コンサートもアイディアの集合体であり,決して「子供だまし」などとバカにできないものだと感じられた.願わくは,「再生産」が緩和される形にするにはどうしたらよいのかといった点からも取り組みを期待したいが,それには,社会学者が,きちんと実態把握をしないといけないですね.それは,今後自分がやるべき仕事かもしれないと思ったりしているところでもある.

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