14 8月

オーディオ一新プロジェクト:ここまでのまとめ

これまで,Facebookに書いてきたオーディオ一新プロジェクトを,こちらのブログに移すことにしました.1~5までまとめて移し,このまとめ記事を書きました.

2月から続いたオーディオ一新プロジェクトのまとめです.
結局,下記のようなシステムになりました.これまで書いてきたものとは,若干の変更があります.

 

細かいところはいろいろありますが,とりあえず,こんなところかな.

21 7月

オーディオ一新プロジェクト5

オーディオ一新プロジェクト第5弾です.
DACのTEAC UD-505はそれなりによい音を出してくれるのですが,TEACのブランドイメージでもありますが,やや繊細でパンチに欠ける感じがするのも事実です.
そこで,電源ケーブルを,Furutech The Empire に替えてみました.いきなりベルリンフィルがやってきたようなピラミッド・バランスが実現されました.入れ替えた当初は,低音がガッツリ来すぎる感じで,やり過ぎたかなという気もしていましたが,次第に馴染んでくると,ガッツリ感は薄れ,低音がどんなものであれ,余裕で鳴らしきり,豊かな感じになってきました.
そして,一新プロジェクトの最後は,いよいよスピーカーケーブルです.シマムセンに2つのブランドの5本の試聴ケーブルを取り寄せてもらい,1週間借りて取っかえ引っかえ聞いてみました.
候補となっていたブランドは,Nordost と WireWorld です.Nordost は,第2弾で買ったアンプ Pass Int-25 の付属の電源ケーブルがここのもので,特有の音場が期待できるのではないかと考えました.Blue Heaven LS, Red Dawn LS, Heimdall2 が候補です.
WireWorld は,とにかく解像度の高さが売りです.Equinox 8, Eclipse 8 が候補です.
取っかえ引っかえ聞いたのですが,その作業は,困難を極めました.アンプへの刺し方が分からない(端子の形状が特殊)とか,アンプ側もスピーカー側も,WireWorldのケーブルは硬くてはめるだけでも一苦労とかで,かなりたいへんな作業でした.
結果としては,Nordost のケーブルは,ステージを見ているような感じで,音があまり前に出てこないので物足りなく,解像度も思ったほどではありませんでした.
一方,WireWorld は,楽器の細かいニュアンスがわかる程度が抜きん出ていました.
雰囲気か解像度かですが,これは後者に軍配をあげました.
というわけで,借りたケーブルを返しに行くのと引き換えに,WireWorld の Eclipse 8 Biwire を導入しました.
Eclipse 8
これも太い.1時間くらいも悪戦苦闘してアンプにつなぎました.
嗚呼,ええ音.とにかく,ケーブルが太いので,安心して聞けます.
もともとどういうものを目指していたということもありませんが,システム全体として何とかよいものにたどり着きました.
私がたどり着いたいくつかの考え方がありますので,残しておきます.
1.各コンポーネントは重要.当たり前ですが,各機器でどこまで求めるかで音の大部分は決まります.しかし,解像度と雰囲気を天秤にかけるなら,解像度を取るべし.なぜなら,根本的な解像度は,あとからケーブルなどで上げることはできないからです.しかし,
2.音の雰囲気はケーブルで作る(作れる).安物の機器(Node 2iなど)には癖のないケーブル(オーディオケーブルも電源ケーブルも)を使い,よい機器(アンプ,スピーカー,DACなど)の間には,作りたい音を想像して,それに合ったケーブル(オーディオケーブルも電源ケーブルも)をつなぎます.
ケーブルなんかで化けるのかと思われるかもしれませんが,確実に化けます.特に電源ケーブルなんて信じられないと思いますが,本当に化けますよ.雑誌を読んで研究しましょう.
これで,春休みから続いたオーディオ一新計画も無事フィナーレを迎えることができました.
前のシステムは2000年台前半に作り,15年以上使いました.このシステムもそのくらいは持たせるつもりです.オーディオ・マニアのように,あれこれ交換してみるというのは,やらないつもりです.……一応.

追記(8/14):
とはいいつつ,やっぱり,何か好みの音になりきれない感じがしたので,願わくばアンプ用に,ダメでもDACかストリーマー用にと思い,Acca5 という電源ケーブルを導入しました.いろいろと差し替えて試しましたが,結局ストリーマー(Node 2i)に落ち着きました.
これまで,ちょっと音がきついなという感じがしていたのですが,ほぐれていい感じに空間に散らばるようになりました.

19 6月

オーディオ一新プロジェクト4

オーディオ一新プロジェクト第4弾.今度は,DAC (Digital – Analog Converter) を導入しました.入れたのは,TEAC UD-505 です.
UD-505
第3弾で,ネットストリーマーの Bluesound Node 2i を入れました.これは,素材はいいけど,いろいろと手を入れる必要があるという評判があり,これまでも細かい小細工をしてきました.しかし,大がかりなことはなかなかできず.ボーナスが出たこともあり,推奨されていたDACを入れることにしました.
そもそもDACとは,デジタル信号とアナログ信号を変換する――たとえば,ストリーミングでやってくるデジタル信号を,アンプに送るためにアナログ変換する――機械です.
しかし,それ自体は,Node 2i にも内蔵されていますし,何で?となりますが,…説明は面倒なので,こちらをご覧ください.
さて,候補としていたのは,Chord Qutest と iFi Neo iDSD と,TEAC UD-505 でした.
シマムセンに事前連絡してなるべく揃えておいてもらえるようにお願いしたのですが,Neo iDSD はデモ機がなく,仕方ないので,Qutest とQutest に専用電源を加えた Qutest Plus と UD-505 で聞き比べを行いました.
Qutest と Neo iDSD が候補になったのは,私が Pass Int-25 というアンプを買うきっかけとなった Steve Huff 氏が推奨していたためです.
さて,まず,Qutest から聞き始めましたが,全然ダメ.Huff氏も,他のレビュアーもだいたいそうですが,クラシックの近現代の大規模オーケストラとかでレビューをしていません.ぼくは,それが気になっていたのです.レビューのQutest の音から,何となくイヤな予感がしていたのですが,まさに予感的中でした.聞いたのは,Tidal でMQA 方式の音源になっているMuti の「ローマの松」の2楽章です.このMuti版にはちょっとした秘密があって,5/4が始まってから12小節目からの強奏時にオルガンのペダル音が入るのです.(私の音楽好きの友人たちも,スコアにペダル音が入っていることを知らなかった人もいるのではないでしょうか?)弱音時はよい.しかし,この強奏部にさしかかると,自慢の分解能が限界に達し,音がバラバラに砕け散るようになってしまいました.これには,さすがに驚きました.
Qutest Plus は,さすがに落ち着いて,聞ける音になりました.弱音時もより精緻になり,強奏時も暴れることはなくなりました.よい音です.しかし,やや作った音という感じがあるのも確かでした.それに,結構価格も高くなる….
というわけで,気を取り直してTEAC UD-505 を聞いてみました.一言で言うと,自然.癖がない.もちろん,暴れることもない.しかし,分解能という点では,Qutest Plus が若干いいかなという感じでした.UD-505 は,癖がなさ過ぎて,こんなものに投資する価値があるのか,というレビューがあるのもうなずけました.たぶん,ロックを中心に聴くような人には,無意味に思えるでしょうね.また,ジャズ・ボーカルのように,ボーカルが前に浮き出してくるようなものがよいと思っているとすると,全くそういう感じはありません.のっぺりとしすぎていると感じられるでしょう.
しかし,クラシックには合っている.その後,小編成の協奏曲や,ジャズ・ボーカル,AOR(死語?)も聴いてみました.協奏曲は,弦のこすれ感がより緻密に表現され,ジャズ・ボーカルやAORも適切な感じで鳴りました.
うちに持ち帰って,Node 2i とUD-505 を同軸ケーブルで接続(ケーブルは,Wireworld Starlight 8)し,昨夜一晩,あれこれ触りながら聴いてみましたが,8倍のアップサンプリングをかけると,これまで前に来ていた音が,横と奥に広がるようになり,オーケストラは素敵になりました.DSDフォーマットのCDを,DSD対応ではないCD機からS/PDIF(光)経由でUD-505に入れて,アップサンプリングやDSDデコードをしてみましたが,それぞれが特有の感じに変わります.どちらがよいかは何とも言えません.ただ,CD機から直接アンプにRCAで接続していたものは,…もう聴かないかな.魅力がなくなってしまいました.ともあれ,基本的に8倍のアップサンプリングにしておいて聴くのが,一番おいしいかなという感じがします.
こうして,またまたオーディオがよいものになりました.コロナ明けには,お披露目パーティをやりたいなと,まだ思っている私です.

追記1:
やや繊細で、もう少しパワーがほしいなという気がしたので、電源ケーブルをFurutech The Empire にしてみました。
いわゆるピラミッドバランスになって輪郭もくっきりして、躍動感のある音になりました。アタックや音の伸びにびっくりするようなことが頻繁に起こるようになりました。若干やり過ぎた感もありますが、とにかく劇的に変わりました。

追記2:
その後,UD-505は,XLR接続(バンドやっている人には,キャノン接続といった方がなじみがあるかな)の方がよいという情報を得たので,XLR端子をRCA端子に変換するプラグを買って接続してみましたが,これは,完全に失敗でした.予想どおりではありましたが,やはりXLRをRCAに変換するのは技術的に無理がありますね.薄っぺらい感じになってしまったので,諦めて元に戻しました.
アンプ側にRCA入力しかないので,これしか方法はなかったのです.まあ,致し方ないところです.

追記3(8/19/21):
6月中旬にデモ機の貸し出しを依頼していたifi Neo iDSD が届きました.
もう,すでにDACは買ってしまったのだけど….でも,当然興味はあるので,接続して聞いてみました.
感想としては,大きく2つです.
1.ストリーマー Node 2i のMQA デコーダーよりも,Neo iDSD のデコーダーの方が優秀だと思いました.Node 2i をスルーして,Neo iDSD でデコードさせた方が,一聴してよいことが分かります.自分が持っているTEAC UD-505 にはMQA のデコーダーは付いていないので,やや残念な気がします.でも,逸品館のYouTube 映像を見る限り,UD-701n を買う気にはならないな.音の差が価格差に見合わないように思うので.
2.Neo iDSD の音自体ですが,Tidal で再生してみると,クラシック音楽には不向きだと思いました.まず,低音があまり出ない.電源ケーブルが小さい丸いタイプのものなので,別のケーブルに差し替えて変化をつけることがほとんどできそうにありません(同社のiPower 2が推奨されているようですが,低音が出るかはわかりません).私の UD-505 にはFurutech のEmpire が挿してあるので,差は歴然としています.低音が出ないので,余裕がない感じの音になります.そして何より,音に癖がありすぎる気がします.癖がないのが売りのようではありますが,UD-505 と比べると,中域が厚めで輪郭が出る感じ.それだけだと,よくある感じの説明に思われるかもしれませんが,結構癖が強いと思いました.イメージ的にいえば,カメラでミニチュアモードで撮ったような感じ.音がデフォルメされすぎていると思いました.グールドの「ブランデンベルク変奏曲」がトイピアノのように聞こえ,アバド指揮ポリーニのベートーベン「皇帝」も同様でした.ピアノの質感に問題があるように思います.弦楽四重奏なんかも,中域が膨らむけど,倍音が抑えられており,低音は弱いので,魅力に乏しい音だと思いました.さらに,上述のMuti の「ローマの松」の2楽章もオルガンのペダル音が入るところから,音場が上下方向に伸びて奇妙な感じになってしまいました.一方,ジャズボーカルとか,ギターのデュオ(Jim Hall & Pat Metheny)とかは,悪くなかったです.
ともあれ,10~20万円くらいのクラシック向けDACという点では,TEAC UD-505 はよい選択だったと再確認できました.

24 4月

オーディオ一新プロジェクト3

オーディオ一新プロジェクト第3弾.もはやストリーミングの時代,というわけで,ネットワーク・プレーヤーの Bluesound の Node 2i を入れました.
Node 2i
ネットワーク・プレーヤーとは,Amazon Music や Spotify をはじめとする各種ストリーミング音源のコントローラーというようなものです.Amazon Music や Spotify は,曲数は多いです.一方,曲数は少なめですが,MQA方式という最新の音楽ファイルシステムを扱っていて,抜群に音がよいというTidal も聴いてみたい.そうになると,あれこれとサービスに加入したくなったりします.しかし,それらをスマホのアプリからその都度別のサービスを呼び出すとか面倒ですね.それを一元的に管理でき,曲目リストも,さまざまなサービスの音源を織り交ぜて作ることができる.まあ,そんなものです.
その1つ,Node 2i は7万円ほどですが,私が,アンプ Int-25 を買うきっかけの1つとなった Steve Huff さんの Int-25 のレビューでも,彼自身が Node 2i を使っていて,外部DACとつなげば,はるかに高価なものと同等くらいの音になると述べていたり,オーディオファンのコミュニティでも,ノイズ対策などをやると,marantz SA10 という実売で50万円以上のCDプレーヤー兼ネットワークプレーヤーよりもよい音が鳴ると述べていたりするので,俄然,やる気が起こったわけです.
Node 2iを買ってきて,付属のケーブルでつないでみましたが,いや,これで十分でしょうと思うくらい癖のない音でした.また, Node 2i は,MQA方式にも対応していて,Tidal を契約してMasterレベルの音源を聴くと,明らかにレベルの違う音を聴かせてくれました.
さて,上のコミュニティの意見を参考に,電源ケーブル,USBのパワーコンディショナー,各種ケーブル類,どこからイジるか,と考えました.
まず何よりもはじめに,Kindle Unlimited に入って,『電源&アクセサリー大全2020』と『ケーブル大全2021-2022』をじっくり検討しました.
そして,電源ケーブルから始めました.他にもいろんな音そのものの経路になるケーブルがあるので,電源ケーブルで色を付けると,相乗作用でどんな音になるかわかりにくくなるだろうと思ったので,極めてニュートラルな感じの Luxman JPA-15000 としました.
Node 2i付属の電源ケーブルと入れ替えると,いや,確かに変わります.
電源ケーブルで音が変わるとか,オーディオ沼にはまった痛いやつが言いそうなことですが,本当に変わるんですよ.とにかく全体的に音の分解能が上がったのと,全体的に音が太く安定して鳴るようになりました.高・中・低域のどこかが特に鳴るとか鳴らないとかいうこともなく,だいたい思った感じになりました.
続けて,空いているUSBポートに刺してUSBポートから入ってくるノイズを制御するというノイズフィルター.何社かから出ていますが,ノイズキャンセリングの理屈で制御するという理論的に最も納得できた iFi Audio の iSilencer + AA を入れてみました.
Node 2i の使っていないUSBポートに指してみると,変わった.いやもう,完全にマニアの領域ですが,特に高音部の音がスッキリしました.正直言うと,ノイズだけじゃなくて,高音部の実音まで消しているのではないかと思うくらいスッキリして,何かむしろ音痩せしてしまった感じもありました.そこで,一旦外してみたのですが,そうすると,こんなにノイズを拾っていたのかということがわかったので,やはり,これを付けておくことにしました.そのうちこの音が耳に馴染んでくると,こういう音なのだと納得できるようになりました.
ここまでで,音質に悪影響を与えそうなことについて対策できたことになります.そうですね,比較していないのでわかりませんが,これだけで,ずいぶん音はよくなったので,50万円も出すよりは,はるかにお買い得だと思いました.また,ネットワーク・プレーヤーって,これから先も,ずっと新しいサービスや新しいファイルのフォーマットが出れば,すぐにアウトデートなものになるので,気軽に買い換えられるものにしておくのが無難でしょう.その意味でも,これで正解だったと思います.
ここでいよいよ,Node 2i を介したケーブルです.まず,Node 2i は,ネットワークプレーヤーで,Node 2i のRCA out端子から,RCAケーブルでアンプにつなぎます.また,手持ちのCDプレーヤーの光デジタルout端子から,光デジタルケーブルで Node 2i に入れて,そこから,上述のRCAでアンプに行く経路(経路1)を作ります.また,そのCDプレーヤーのRCA out端子から,直接RCAケーブルでアンプに行く経路(経路2)がもともとありました.ただし,経路2のRCAケーブルは,20年前にオーディオを買ったときに,そこの店員さんに勧められたもので,安いものよりは良さそうですが,どのくらいよいものなのかは,分かりませんでした.
最初に経路1を作りました.CDプレーヤーから Node 2i に入れる光デジタルケーブルは,それほど種類もないので,あまり選択の余地なく,Supra ZAC TosLink を入れました.
これによって,分解能が上がり,弦の音が鮮明になりました.他の Supra 製品もおよそ似たような音の傾向を持つように評価をされていたので,予想どおりの変化でした.
続いて,最も大事で最も悩んだのが,Node 2i からアンプ Int-25に入れるRCAケーブルです.ロシアの Tchernov Cable のものを入れると,スピーカーが英国,アンプが米国,ケーブルがロシアとなって,世界平和の音が聞けるかなとかも思ったのですが,いろいろと悩み抜いて,英国 Chode Company の Shawline というグレードのものにしてみました.
すると,素敵な音場ができたのです.それまで,Int-25 アンプについて,いい音で惚れ惚れするんだけど,ちょっと音場が近すぎるので,オーケストラが目の前で鳴るような感じになり,もうちょっと奥に行ってほしいなと思っていました.そしてコードを換えた瞬間,いやもう素敵としか言いようがない音場が現れました.横方向にも縦方向にも広い音場が出現し,大ホールの1階席,S席とA席の境目あたりで聴いている感じになったのです.これで至福の時間が過ごせることとなりました.
ところが,この経路1があまりによくなってしまったので,CDプレーヤーからアンプに直接つながる経路2は,相対的に分解能が低く,いかにも凡庸な感じになってしまいました.しかし,20年前のSACDに突入する直前の Denon のCDプレーヤー DCD-1650SR は,中古でも人気のある機種らしく,当時のCDプレーヤーの中では,分解能も高く,昔のDenonらしい暖かみとパワーのある音が気に入っていて,手放す気にはなれなかったのです.また,ストリーム時代に,今さらCDプレーヤーを買うというのも,いかがなものかという気もしますしね.
そこで,どうせやるなら,逆にとことん癖を付けてやろうと思い,どんな味付けにするかといろいろ考えました.そして,ドイツの DH Labs の Silver Pulse にすることにしました.
すると,経路2の分解能は経路1とほぼ同等となりましたが,音場は横方向はそこそこ広がるけど,縦方向にはあまり広がらない感じになりました.ああ,これが低重心と呼ばれる感じなのかと思いました.音は経路1に比べて狭い範囲からまとめて出てくる感じですが,分解能が高いので,濁ったりすることはなく,これはこれで面白いなと思いました.また,中音の楽器が強さと艶があってよい音です.経路2は室内楽や小編成のジャズとかが得意そうです.小ホールでこういった小編成のものを聴いている感じです.オーケストラを聴くのは経路1が圧倒的によいので,使い分けながら聴くと面白そうです.
というわけで,私の満たされた4月がほぼ終わりました.ゴールデンウィークはステイホームとなりそうですが,ゆっくり音楽を浴びながら過ごせればいいなと思います.

追記:
2系統作ったCDからの音ですが、ピリオド楽器の協奏曲を聴くと、系統2の音がよいです。 系統1は、いわゆる生音に近い音で、ピリオド楽器は、かなりアタックの刺々しい感じがありますが、系統2は丸みが加味されて聴ける音になります。(ピリオド楽器のよさは、系統1に近いのだという意見は、当然あるでしょうけど。)

27 3月

オーディオ一新プロジェクト2

オーディオ一新プロジェクトの第二弾として,アンプを入れ替えました.導入したのは,Pass Int-25です.

は? 何それ? とほとんどの人は思うと思います.Passなんてオーディオメーカーは,ぼくも知りませんでした,この動画を見るまでは…
いやしかし,圧倒的じゃないですか? McIntosh? 本気でその方がいいと思う?
そもそも,第一弾でスピーカーをB&W 702 Signatureに入れ替えたのですが,20年前のアンプでは,解像度の低さは如何せん無理があるというもの.これでは納得できん.というわけで,とにかくいろいろとアンプについて情報を集めた結果,これに行き着いたわけです.
この動画を撮影した逸品館に連絡して日時を予約し(3月16日),同価格帯のLuxmanの2機種(A級のL-590AX2とAB級のL-509X)ともう1つを揃えてもらい,直に比べてみることにしました.最初にもう1つのやつがすぐに消えました.LuxmanのAB級は,よく鳴る.色んな面でA-からB+の成績です.LuxmanのA級は,音の奥行き感がなかなかよいのですが,A級の割に解像度は思ったほどではなくイマイチかなという感じです.そして,Int-25.これはもう,やはり音は圧倒的で,解像度が何といっても抜群,A++です.一方拡張性はイマイチで,入力はRCAの3系統のみです.CD,テレビとビデオ,ストリーミング受信機で埋まってしまいます.もっといろいろと機材が増えたらどうするのか? …今度は,今の簡易的なストリーミング受信機に替えてネットワークプレーヤー(とDAT)を導入だなと.
そして,3月18日の午後,いよいよInt-25がやってきました.わくわくしながらセッティング….しかーし!
すーーーーーーっ.え゛ーーーーーーっ!!!!!! ガラガラガラ.アフター・ザ・フェスティバル.
テレビ台の下にアンプを入れようとして,台の入り口付近にアンプを置いた瞬間,テレビ台が何と手前に転倒!!!!!! テレビがすーーーーーーっとスローモーションのように落下しました.
…3月18日から25日まで,我が家では,テレビの有機ELパネル破損によりテレビが見られない日々となりました.
ジョーシンの5年補償に入ってたよな,と思いましたが,これは基本的に自然の故障のみなので保証対象外.妻が,マンション購入時に損害保険に入っていたことを思い出し,とりあえず,それで何とかすることに.まだ100%確実ではないものの,審査書類などを書いて出しました.たぶん修理代は降りるとは思います.書類を書くためにSONYに見積に来てもらったら,修理費35万強(税込)とのこと.パネルとフレームも傷んでいるので,ほぼほぼ買い値に近い額になりました.嗚呼.
アンプを買った喜びも一瞬にしてぶっ飛び,いったい自分は何をしているのかと.茫然自失です.
オーディオは一新され,よく鳴るけれども,何かため息ばかり.
25日,テレビの修理が終わって,何とか平常に戻りました.
どさくさに紛れて,電源タップをオーディオ用のものにしました.音質は明らかに明瞭になりました.それには雷ガードが付いてないので,急ぎ対応したり,USBで電源を取るちょっとした機器が多いので,高出力のUSBポートにまとめたりしました.
そして,ついに,素敵なAVライフを手に入れました.
B&W 702 SignatureとPass Int-25.家庭用としては,もはや最強でしょう.とにかく,音はもう,惚れます.
欲を言えば,もう少し奥行き感がほしいので,ケーブルで何とかしたいところです.
最後に,Pass社についてです.ほとんど誰も知らないと思いますが,カリフォルニアの小さなオーディオメーカーだそうです.
私の買ったのは,ラインアップの中では下の方ですが,単純な構造にして,音質の良さに特化した機種のようです.
日本の大手の中庸なおしなべて平均以上という,いいんだけど,うまいことできてるんだけど,これといった掴みがないものに比べると,圧倒的な掴みがあるものの方に惹かれました.
コロナが終息したら,自慢のオーディオのお披露目会を兼ねたパーティがやりたいです.

06 3月

オーディオ一新プロジェクト1

20年来の友であったオーディオ一新プロジェクトの第一弾として,いや,ちがうやろ,スピーカーを台の上に載せていると子どもたちが当たって危ないので何とかせーと妻に言われたので,スピーカーを変えることにしました.初職に就いて,そのころのボーナスが入るたびに,今度はスピーカー,今度はアンプと買い足していった相棒たちで,手放すのはいささか寂しい気もします.
これまでは,Onkyo D-77WRXという1本10万円くらいのでした.20年くらい連れ添ったので,もう次になると70代.もう定年後なので,次はないなということで,思い切り,B&W 702S2 Signature を入れました.

まだ馴らし中ですが,解像度は全然違っているし,低音はタイトです.全体として団子みたいな音が細かくなりました.いや,これでも2000年頃では,それなりに細かかったんですけどね.これで墓場まで連れ添えそうです.
こうなると,アンプがほしいな,ネットワークプレーヤーにアンプが付いたやつかな,などと物色しています.できれば国産じゃないものがほしいなと.
どっかで,Linnとか聴けるところないかな.(3/6/21)

追記
購入までのいきさつを少々.
私の場合,とにかくクラシックとジャズという人なので,そういうCDを持ってお店に行きました.ヨドバシでも聴けますが,うん十万円の投資をするので,ちゃんとしたオーディオ専門店に駆け込むのが吉です.
自分の好きなCDを持って行くのがよいとされていますが,テストできないと意味がないので,私はクラシック音楽は,次の2点としました.
1.レスピーギの「ローマの松」.店で聴くのは第2楽章.
2.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」.これは,好きなのを聞けばよい.
1は大編成オーケストラで,しかも,冒頭の弦の低音のピアノで,低音の様子がよくわかります.ここで団子になるか,それなりに分離して聞こえるかがチェックポイントです.
次にトランペットソロ(じゃないけど,みたいになるところ)では,ペットと,上でなっているヴァイオリンの分離度をきちんと聞くことがポイントです.
メインの5/4拍子に入ってからは,ピアノからフォルテに向かっていくので,どれだけよく鳴っているか,好きな響きかどうか,各楽器が分離しているか,定位がしっかりしているか,というあたりがポイントです.
2は,別にこれである必要もないですが,1本ないしカルテットくらいの小編成の演奏を聴いて,弦の最初の入りとか,弓と弦のこすれが出ているかとかを聞くといったところがポイントです.
最初,予算40万と思っていましたが,結局オーバーしました.だいたいそういうふうになると思っているのがよいです.上を聞くと,必ず上はよいです.
ただし,ジャズの趣味の人は,本当にJBLとマッキントッシュがいいのかは,考えた方がよいと思います.個人的には,JBLの音は嫌いです.あの組み合わせは,おっさんのステータス・シンボルみたいなものでしかないのではないでしょうか.
ところで,そもそもの話というのがもう1つあって,1年半ほど前に車を某M社GLCにしたのですが,M社の付属のスピーカーがすごくいいんですよ.Burmester社のものですが,それが11本だか入っている.車用はそれ用に開発されたものだと思いますが,Burmesterの車用じゃないオーディオって,1つのコンポーネントがうん百万円とかいうのもありますし,とにかく車用もいい音です.何か最近,家で聞くより車で聞く方が気持ちいいなとか思うことがあって,少なくとも,車で聞くレベルを超えないと意味がないというのは,ありました.予算40万では,納得できなかったんですよね.それでつい.これからは,しばらくうちで聴きます.
でも,やっぱりアンプは買い換えたい.

17 4月

行動制限と接触制限との関係

最終更新日時:4/17/20 1:10ごろ

西浦博氏は,7都府県の緊急事態宣言の後に出されたこのツイートで,「なぜ8割の行動制限が必要なのか」という説明を行っています.この説明で,行動制限の割合を表す変数がpです.そして,これに続くこのツイートでは,「接触が8割減った社会のイメージ」について説明しています.この後のマスメディアの報道では,新宿や澁谷,梅田などの人出が,緊急事態宣言の前後でどのくらい減ったかをとりあげ,それがなかなか8割に達しないことを嘆くような論調です.
ところが,次のような疑問があります.「行動制限」と「接触制限」とは同じことでしょうか? また,pは,どちらに解するのが適切でしょうか?
ここに添付したPDFファイルで,簡単なモデルを用いて考察しました.
その結果,行動を8割ではなく5割6分削減すると,接触率はもとの2割程度となることがわかりました.
なお,計算には,Mathematica 12.0を使用しました.

⾏動制限と接触制限との関係

03 9月

Linton C. Freeman 先生を偲んで

8月17日の朝(現地時間),Lin Freemanが亡くなったとの知らせが届いた.日本では,日が変わって8月18日の午前3時頃,私は,寝る直前だったが,あまりの驚きと溢れ来るさまざまな思いのために,しばし呆然としてしまった.

1992年,修士課程2年(M2)のゴールデンウィーク明け,突如として留学することになった.自分からしたいと言いだしたというよりは,指導教員の髙坂先生から説得されたという方が近い.しかし,決めたからには準備をしなければならず,修論(これはめどはたっていた)と並行して,TOEFLとGREの準備をすることになった.夏休み中は南方のイフ外語学院に通って英語漬けだった.
大学院の受験申請期間を考えれば,TOEFLを受けられるのは2回か3回,GREは1回だけだった.
結局,TOEFL(当時は,ペーパー)は550点を超えたが600点に満たず,GREは,vervalとmathで1100点ちょうどだったので,申請先も限られていた.
実際に,年末頃から何校かにアプリケーションを送ったが,次々とリジェクトの手紙が届いた.
残るは1校,University of California, IrvineのGraduate Programme in Social Network Analysisだけになった.
思い切って電話をして,何とかしてもらえないかと言ってみることにした.
そこで私は,初めてプログラムのチェアだったLinton Freeman先生と話したのである.「奨学金が用意できないんだ.それでもよかったらアクセプトするけど.」「はい,お金のことは何とかしますので.」
1993年4月6日付けで,Letter of Accceptanceが送られてきた.
家族とともに,飛び上がって喜んだ.

1993年6月,大学院の授業自体は9月からだが,語学に不安もあったので語学学校に入るために渡米した.
すぐにUCIの彼のオフィスを訪れて挨拶をした.
彼は,ポライトに,明るく迎え入れてくれた.「これからは,Linでいいよ.」
そしてすぐに,彼は飾ってあった大伸ばしにした写真を壁からはがし,”I surf.”と言った.そこには,誰かが撮った彼のサーフィンする姿が映っていた.
この頃は,アメリカでもe-mailやWWWが使われ始めた頃で,その後彼が作った最初のホームページには,”I surf.”として,彼のサーフィンする写真が載っけられていた.

9月,彼の「相互作用モデル(interaction models)」というセミナー形式の授業が始まった.それは,彼の最後の授業であった.それは引退の前年度だったのだった.
彼のセミナーでのスタイルは,まさ自由人であり,彼のファミリーネームのとおりであった.テーブルの上に脚を上げ,何かを飲みながら,くつろいだ格好で話をするのだ.服装も,いつでもサーフィンに行けそうな格好で,Tシャツに半パンだった.「えっ,センセー,金○,丸見えでっせ.」
それはそうと,リンは,私を今年の新入生だと紹介し,言葉が難しいと思うので,誰か見てやってくれということで,Jeff Sternという上級生を紹介された.また,セミナーを録音して後で書き出せばいいよと言われたので,テープに録音することにし,聞きそびれたことなどを後で聞き直してノートに補足し,それをジェフに見せて直してもらうということをやった.(あのテープは,帰国のさい,荷物の容量オーバーのため,JeffかFitzに預けた気がする.)
最初の授業では,文献リストが配付され,次週以降,その中の論文を院生が1人1つずつ割り振られて紹介するという形式だった.
私は,たまたまリンの書いた論文を担当することになった.単に紹介するだけではなく,コメントや疑問点を差し挟みながら紹介することが慣例のようだったので,私は,「バカな学生を取ってしまった」と思われないように,頑張った.しかし,頑張りすぎたようで,若干コメントが辛辣な感じになってしまったようで,リンはやや憮然とした感じの表情をしていたような気がする.しかし,そんなにバカじゃないとは思ってもらえたように思う.
その授業をはじめ,最初の学期の成績は,全てA(Sはないので,それがGPA換算で4.00)だったので,安心した.

1994年度から,リンは名誉教授となったが,彼自身は授業は持たないものの,オフィスは維持しており,院生の指導などもしていた.
私のプログラムは,コースワークが2年だったので,2年目になると,ぼちぼちdissertation(博士論文)のことも考えるようになり,構想を相談するようになっていった.
私の指導体制としては,リンとJohn Boydがco-chairということになった.
そこに,1995年1月の阪神・淡路大震災が起こったのである.
実家は被災して半壊であった.
私はすぐに今後のことについて相談した.1つは仕送りが危ういかもしれないこと,もう1つは,博論をどうにか早くあげる方法はないかということだった.
前者については,秘書のKathy Albertiさんに相談し,年度内の授業料分の無償奨学金を整えてもらえることになった.(結果的に,辻家では,日本政府からよりもアメリカからの方が多くの支援金をもらったのではないだろうか.)
しかし,問題は後者であった.
修士論文を書く頃までは,合理的選択理論など個人主義的な理論に馴染みすぎていたせいで,構造主義的なネットワーク分析の思考法に転換できなかった.震災を機に,何とか早く出してもらえないかと相談した.気持ちは理解してもらえたが,研究の方はなかなかうまくいかなかった.博論のアイディアを持っていっても,これは,個人主義的な考えを脱せていないとか,構造主義的な考え方になっていないとかで,これではだめと何度も言われ続けた.2年間のコースワークが終了するタイミングでも,何も決まらず,3年目に突入した.たぶんしびれを切らされたのだろう.ある日,手始めにUCIの学生寮に入り込み,そこで観察したりしながら,みんなと顔なじみになり,それからソシオメトリック・テストをやってみるようにと言われた.そして,そのデータを分析し,何とかPh.D. candidate(博士候補生)となるところまでは認めてもらった.既に1997年の春になっていた.私としては,この続きでデータ分析を完了すれば,学位が取れるかなと思っていた.
しかし,リンとジョンからは,次のように申し渡された.リンとジョンはチェアから降り,代わりに,Douglas Whiteがチェアとなる.ジョンは,博論審査の委員会のメンバーとしては入るが,基本的にダグのそのもとで何か実証研究をやること,と.リンは,完全に外れてしまった.その後,博論を書き上げるまで,リンとは,何か気まずい雰囲気が流れていた.
ともあれ,その後に起こったことは,先日,山岸俊男先生の追悼文に書いたような次第であった(山岸俊男先生を偲んで).1997年秋から1年間,北大の山岸先生にお世話になり,98年の秋にUCIに戻り,それから半年強で博論を書き上げて帰国した.99年の5月だった.

時は流れて2004年12月,私は,日本学術振興会とアメリカのNSFが共催する,「日米先端科学シンポジウム(JAFoS)」に参加することになり,開催地がUCIの施設であったことから,合間を縫って指導を受けた先生方のオフィスを回った.ちょうどリンはオフィスにいたので,前年にワッツの『スモールワールド・ネットワーク』(原題:Six Degrees)の翻訳をやったのでそれを手渡した.すると,リンは,自分も最近本を出したんだけどと,その本を手渡され,それを翻訳してくれないかと頼まれた.
思い返せば,これがリンとの最後の対面での出会いだった.
想定外なことで面食らったが,内容的にはやれそうに思われたので,その場でお引き受けした.何よりも,他の人が翻訳するよりも,自分がやるのが日本中探しても一番よいと思ったからだ.単に翻訳をするだけでなく,リンの授業などで聞いていた話なども盛り込めると考えたからだった.
その後,出版社を見つけたり,日本語版へのまえがきを書いてもらったりと,何度かメールのやり取りをした.
しばらく時間がかかってしまったが,翻訳は2007年5月に『社会ネットワーク分析の発展』としてNTT出版から出すことができた.
それから間もなく,リンから「ありがとう」とメールがあった.
そのときの何度かのやり取りが,リンとの本当に最後のやり取りになってしまった.
その後,何度かSunbelt会議にも参加したが,リンと会うことはなかった.また,2016年秋からの半年のUCIでのサバティカルの間にも会えなかった.あの時,無理をしてでも,サーフィンをしているであろうフロリダに会いにいっておくべきだった.

私の授業では,リンの中心性指標の話をしたり,また,『社会ネットワーク分析の発展』に従って,これまでの発展史を語ったりすることがある.その都度,リンは今どうしているだろうか?と思ったりしていた.
2017年9月,ハリケーンIrmaのため,リンと妻のスーは一時友人宅に避難した.自宅に戻った後,スーは,その夜ベッドに入ったまま目を覚まさなかったという.
それから1年も経たないうちに,2018年8月17日,リンは,その後を追うように亡くなった.
リンが,自分の学生であったスーに統計学を教えるために書いた教科書 “Elementary Applied Statistics: For Students in Behavioral Science” (1965) は,スーに何度も読んでもらい,彼女がわからないと言ったら書き直すという作業を何度も重ねて書かれたものだった.結果として,非常に分かりやすい内容となっている.
時折二人がケンカをするところも見られたが,それでも見ていて深い愛情の感じられる夫婦だった.リンのスーを見る優しいまなざしが印象に残っている.

「お前が,日本で一番有名な社会ネットワーク分析の研究者になったら,日本に呼んでくれ」と言われたのは,いつだっただろうか? 候補生になるときの告知を受けたときだったような気がする.
それだけは,実現しなかったことを残念に思う.本当に.
しかし,あの日の電話で,快く私をUCIに受け入れてくれたことには,深い恩義を感じる.それがなければ,自分が今のような姿であったことは,絶対になかったからである.
リンのご冥福を心よりお祈りします.

23 6月

Stataで連番の変数同士の処理を繰り返し行って行列にスカラー値を格納し,その行列の要素の値を条件に従って変換する方法

Stataで,うまいやり方がわからず四苦八苦したので,また後にも役つはずと思うし,参考にすることも多いと思うので,載せておく.

連番となっている変数 x1, x2, …, x10 をループを使って総当たりにして,
たとえば,Wilcoxonの符号検定(signrank)を行って,そのz値を10×10の行列 Z に格納する.

matrix Z = J(10, 10, .)

forvalues i=1/10 {

forvalues j=1/130 {
quietly signrank x`i’ = x`j’
matrix Z[`i’,`j’]= r(z)
}

}

ここでのポイントは,signrankによってz値がスカラー r(z) として吐き出されるので,それを行列 Z の適切な場所に格納することである.

さらに,行列Zの各要素 Zij において,値が1.96より大きい場合に,その要素を1に,1.96以下の場合に,その要素を0に変換する.
(細かいことだが,以下の例では,欠損値は欠損値のままとし,対角要素は0とすることにする.)

matrix Z2 = Z

forvalues i=1/10 {

forvalues j=1/10 {

if Z2[`i’,`j’] <= 1.959963984540054 {
matrix Z[`i’,`j’] = 0 }
if Z2[`i’,`j’] > 1.959963984540054 {
matrix Z[`i’,`j’] = 1 }
if Z2[`i’,`j’] == . {
matrix Z[`i’,`j’] = . }
if `i’ == `j’ {
matrix Z[`i’,`j’] = 0 }

}

}

ここでのポイントは,matrixを変換するときには,変数の値を変換するreplaceのような関数は使えない.
行列の要素を変換するには,上述ようなやり方が有効である.

20 5月

山岸俊男先生を偲んで

先日,以前大変お世話になった山岸俊男先生がお亡くなりになったと,北大の関係者から連絡を受けた.翌日には,海外のウェブサイトで追悼文が出されたので,公開になったものと考えて,山岸先生とのことを書き残しておきたい.

私が山岸先生と出会ったのは,1991年,私がM1のとき,東北大学(当時)の海野道郎先生が代表の社会的ジレンマの科研費プロジェクトにおいてであった.山岸先生は毎回参加されていたわけではなかったように思うが,当時から押しの強い,いかにもアメリカ帰りという独特の雰囲気を持った方であった.

時は過ぎ,私はアメリカに留学していた.3年ほどでコースワークは終えたが,dissertationの研究計画がとおらず,はや1年になろうとしていた.プライドが妙に高すぎる学生だったが,何度計画を持っていっても,これじゃダメだと言われ続けたので,さすがにすさんだ気持ちになっていた.見かねた当時の指導教員が,基礎力はあることは認めるので,候補生candidateにしてやるけど,その代わり,今後は,指導教員を変更することと,実証研究をやることが学位取得の条件だと言われた.

これは,困ったことだった.当時まで,数理モデルやシミュレーションに関心があったのだが,実証研究をやったことがなかったのだ.いきなり実証研究をやれと言われても,どうすればよいのか皆目見当が付かず,また,アメリカ人を対象に何か調査をするということは,言語運用能力という点でも問題があると思われた.

そこでふと思い出したのが,北大の山岸先生だった.どうやって連絡を取ったのか忘れてしまったが,とにかく,かくかくしかじかの理由で実証研究がしたいので,研究生として受け入れてもらえないか打診した.すると,大量の論文やらドラフトが送られてきて,今北大でやっているプロジェクトに関心があるならどうぞと,また,決める前に,本当にそれでいいか確かめにおいでと言われて,一旦帰国し,1週間ほど山岸先生宅に泊めてもらいながら研究室の様子などを見学させてもらったりした.それで,お願いしますということになり,97年の後期から1年間ということで受け入れてもらうことになった.

1年間という短い期間ではあったが,実験研究の手ほどきを受け,dissertationのために必要なデータを何とか取ることができた.また,それまでの自分と比較して,いろんなことに気づかせてもらった.アメリカでは自分ではそれなりにやってきたと思っていたが,北大の院生の人たちを見ていると,はるかに勉強や研究をやっていること(もちろん,1人で黙々とやるのも悪くないが),プロジェクト型で研究を進めると効率がよさそうなこと(これは,後進の養成という点では,よい面も悪い面もあるが)など.dissertationのために必要なデータを取らせてもらったこと以外に,本当にたくさんのことを学ばせてもらった.また,当時の院生・学生や,時折やって来る(年齢的にはむしろ近い)OB/OGと知り合えたことも大きかった.

この期間で忘れがたいのは,山岸先生の「男らしい運転」と,それで連れて行ってもらった(今ではすっかり有名になった)ラーメン屋,すごい構造のご自宅(兼事務所),北大での院生の育て方(他大学とどう違うか),口癖,靴下,などである.そして,ちょうどそのときに,先生の50歳の誕生日をみんなでお祝いしたことが,最も楽しい思い出である.

その後も,山岸先生やそのつながりから,いろいろなことがあった.

学位を取得して帰国し(1999年初夏)就職活動を始めたが,苦戦していた.もう2000年度からは無理かと思いかけていたとき,北大OGのHさんから,東大の社会心理学研究室で助手を募集しているのに出さないかと声を掛けていただいた.どういうわけかうまくいき,思いもかけず,自分なんかには無縁と思っていた東大に勤めることができた.

その後,2003年春からは,明治学院大学で専任講師として就職したが,そこで,東大よりは,北大の研究室のような指導法で学生・院生を指導した.5年しかいなかったが,そこで学部から育てた院生たちが修論をもとにして投稿した論文が,学会賞や奨励賞を受賞するなど,山岸先生の研究室運営の仕方についての教えが大いに役だった.

しかし,その後,信州大学では社会学に転じたために,社会心理学会に行くことも少なくなり,山岸先生とはやや疎遠になってしまった.年賀状のやり取りも次第になくなり,近年はすっかりご無沙汰していた.

学会では,数理社会学会とアメリカ社会学会の数理社会学セクションとの合同会議を最初に日本で開いたとき(2005年),山岸先生にホストをお願いし,私はオーガナイザーとしてサポートした.山岸先生の手慣れた運営に大いに感心し勉強させてもらった.その後しばらく,日米会議や数理社会学会大会を引き受けることになったが,そのときの経験を活かすことができた.

私はその後,山岸先生の「信頼の解き放ち理論」に対してはかなり懐疑的な立場を取るようになったが,それでも,学会発表の際には聞いていただいてコメントをくださったり,明治学院時代の私の院生にも励ましをいただいたり,懐の広い先生であった.一方で,アメリカには論敵がいて,かなりいろいろあると伺っていたが,全体としてみれば,多少批判的な相手に対しても,面白いと思う論点があれば,素直に面白いと言ってくださるなど,いろんなものを取り込んで,信頼を中核とした理論を鍛えていくことに熱心に取り組まれていた.

ともあれ,97~98年の密度の濃い1年間には本当にお世話になった.それからちょうど10年後の社会心理学会の懇親会で,あれから10年経ちましたとお話しすると,もうそんなになるのかと,私がこの世界で腰を落ち着けて歩み始めたことを喜んでくださった.しかし,20年後というわけにはいかなかった.それを目前に先生は亡くなってしまった.あれから20年経ちましたとお話しすることができなくなったこと,このところご無沙汰してしまっていたことが残念でならない.70歳の死は,あまりにも若すぎる.先生のご冥福をお祈りします.