18 2月

ビジョンを問いただされて

先日,自分が留学したのと全く同時に渡米して,LAの近郊Brentwoodでインプラント専門の歯科医をしている旧友に24年ぶりに再開した.彼は,当時から野心家で,話をしていると,今もなお新たな目標を持っていることがわかった.相変わらずの野心家である.

その彼が,「竜平にとっての(教育の)ビジョンは何?」とぼくに問うた.一瞬ためらったが,ナイーブではあるが,「世界のどこでも生きていける人を作ることかな」と答えた.ややこっぱずかしい感じもするが,たぶんそうだろうと思う.そう答えたことが,妙に心の片隅に残っているので,こうやって書いておくのがよいのかもしれないと思ったりした.

おかしくなっている日本を直そうとするのでもよい,日本を見限って,あるいは野心があって海外に飛び出すのもよい.いずれにしても,日本でしか生きていけないとか,海外で生きていくなんてそもそも考えたこともないとか,外国から日本がどう見えているかに関心がないとか,そういう時代ではなくなってきているとは思う.少なくとも,海外を視野に入れた方が選択肢が広がる.自分のような者が,日本から出たことのない大学教員とは違った役割を果たしていくのがよいかなと思う.

11 6月

「村山研一先生の三回忌を偲ぶ会」が行われました

去る6月7日(日),信州大学人文学部の人文ホールで,「村山研一先生の三回忌を偲ぶ会」が開催されました.当日は,村山先生のもとで社会学研究室を運営してきた歴代の助教授・准教授4名,村山先生の後任の現同僚と,十数年前からの学生・院生のOB/OG,村山先生から2ヶ月だけ指導を受けた現在の4年生のスタッフなど,30名弱の参加がありました.

歴代の助教授・准教授が,昔の写真などをプロジェクターで見せながら,村山先生や社会学研究室の懐かしい思い出を語り,また,OB/OGたちもそれぞれの思い出を語りました.定年を一年後に控えて急逝された村山先生のご人徳を,それぞれが感じているのだなと胸が熱くなりました.

本来であれば,村山先生の定年を記念するパーティを開き,そのときにこうやって思い出を語り,また,村山先生の30有余年の信大でのお話を伺いたかったです.ともあれ,2年前は,フォーマルな「お別れ会」という形で,ほとんど思い出話をすることもできなかったので,このような機会が持ててよかったです.この企画を最初に提案してくれた,前任のWさんにも感謝します.

14 4月

官舎から賃貸マンションに引っ越しました

6年半住んだ官舎を引き払って,このほど民間の賃貸マンションに引っ越しました.

官舎は,とにかく寒い.主たる理由はこれだったといっても過言ではありません.
1階にあった部屋は,底冷えし,いくら暖を取ろうとしてもちっとも暖かくならず,風呂など入るのは苦痛でした.
ともかく,ひどい構造でした.
入居当時,しばらく人が住んでいなかったようではありましたが,天井はカビだらけ,北側の部屋の窓の下は夜露のためか畳が朽ち果てていました.その畳を入れ替えてもらったとき,作業の様子を見ていたら,畳の下の板も朽ちていました.これも取り替えるということになり板をはがしたら,何と下は5メートルくらいの空洞.さらに,壁にも断熱材が入っていないとのこと.これは寒いぞと覚悟を決めました.
台所の湯沸かしを自分で買わないといけないのもどうかと思いましたが,洗面所にはガスを取ることすらできず,水しか出ません.
退去時に,自分で据え付けたものは撤去するように言われるので,ウォッシュレットもありません.苦痛.用はなるべく職場で,と.
風呂場は北側にあり,換気扇がないので,夏も冬も風呂場を使った後は,窓を開け放たないといけません.それでも,しらないうちにカビてきます.
窓も1枚ガラスのみ.9月も終わりになると夜露に濡れるようになります.1年目こそ,結露しないようにいろいろと対策もしてみましたが,毎日のようにやるのは非常に手間.2年目からは,「もうしらん」ということで対応しなくなりました.
なぜ,寒冷地手当が出て,氷点下10度以下になることもある松本で,東京と同じような構造の官舎を建てるのか? 愚かとしか言いようがありません.

いろいろな因果で松本にやってきたので,当初は,こんなぼろ屋でも仕方ないと思っていましたが,そんな境遇にとても情けない思いをしました.
特に,冬場になると,寒い官舎に帰りたくなく,研究室でやれるだけの仕事はしてから深夜(未明)に帰るというような習慣が身についてしまいました.
2年半ほど前に自動車を買ってからは,ときどき温泉に行って,うちでは風呂を使わなくてよいようにするようになりました.
その頃から,妻となる人と付き合い始めましたが,夏も終わりくらいになると風呂に入るのを嫌がるようになりました.2年ほど前に結婚,その後すぐに彼女が留学に出て,大量の荷物を預かったので動けなかったのですが,彼女が帰ってきたのを契機に,自分も引っ越そうと決めました.

この賃貸マンションに決めたのは,2月初旬でした.2,3物件を見せてもらいましたが,ここを夕方に見に来たときに,玄関を入ると,ほんのり暖かかったのです.気密性がいいなと思いました.また,窓も二重窓になっていたりするなど,ちゃんと寒冷地対策がなされていると思いました.もっといろいろと見て回るつもりでしたが,即決.
妻の日本での引越がある程度終わったことから,私も引越をしました.

ここに来て3日ほどになります.まだ引越荷物が散乱していますが,快適です.
シャワーを浴びるのも,最初の一時を少し我慢すれば,すぐに温まります.
トイレもウォッシュレットだし.

確かに家賃は上がりましたが,QOLもあがりました.
妻も,ここなら冬場にも来てくれそうです.
これからは,夕方はなるべく早く帰ってきて,うちで仕事をする時間を作りたいと思います.

24 3月

妻が留学していた2年間を振り返って

3月18日(水)に,妻が2年間の留学を終えて帰国しました.
その週末は,とある結婚式に夫婦ともどもで参加する要件もありましたが,妻の新居での生活のために,走りまわりました.
月曜日に松本に帰ってきて,いくつか仕事をし,今ゆっくりしたところです.
ここで,2年間を振り返っておきたいと思います.

2013年の3月末,新婚旅行を兼ねて,LA経由で妻の留学先のコーネル大学のあるイサカに行きました.ソーシャル・セキュリティ・カードを取りに行ったり,携帯電話を契約したり,ディーラーに車を見に行ったり,数日の間に,私が必要だと思うことの優先順位が高いものから順番にこなしていきました.もちろん全てを見届けたわけではなく,ペーパードライバーだった妻を残して後ろ髪を引かれる思いで日本に帰ってきました.ひとりぼっちになって帰ってくる新婚旅行というのは,心配と悲しみとがないまぜになった何とも言えないものでした.ホテルの部屋のドアのところで,お互いに不安げに別れたときの妻の表情が忘れられません.
しかし,そのうち,妻が車を買って運転免許を取り,自由に移動できるようになる頃には,向こうの生活にも慣れてきたようだなと感じられました.それでも,向上心の強い妻は,帰国するまで英語に悩まされていました.もちろん,傍目から見ていると,この間に随分と上達したなと感じるのですが.また,最初はついていくのに精一杯だった授業も,次第に理解も早くなり,楽しそうでした.また,多くの友人知人に出会うことができ,彼女自身がホームパーティを主催するなど,適応力が高いなと感心しました.
この2年間,あちこち旅行をしました.13年夏は,再度イサカを訪問した後に,ナイヤガラの滝,トロント,モントリオール,ボストンなどを回りました.13年~14年の年末年始は,カリブ海クルーズへ.大型客船でのんびりとした旅を楽しみました.また,基点となるフロリダで,キー・ウェストやエバーグレーズなどにも行きました.14年の夏は,アメリカ社会学会のためサンフランシスコで落ち合い,学会終了後にスタンフォードを訪問し,ワイオミング州に飛んで,グランドティトンとイエローストーンの大自然を満喫しました.14年~15年の年末年始は,妻が最後の3ヶ月,拠点をイギリスのオックスフォード大学に移したため,パリとロンドンで観光とお買い物を楽しみました.これからは,こんなに頻繁には海外旅行はできないかと思いますが,せっかくの機会でもあるので,大いに楽しみました.年に2回ほどしか会えないのは寂しくもありましたが,会えるときくらいは贅沢をしました.
ふだんは,日々,ツイッター上で(DMも含めて)お互いの様子を伝え合っていました.私は,妻のツイートを見ながら,「ああ,今日はこんなことをしているんだな」などと思いながら過ごしていました.週末には,時間をあわせてスカイプをしました.90年代に自分が留学していた頃,電子メールはあったけれども,リアルタイムで海外での様子が分かったり,顔を見ながら話ができる(しかも無料)なんてのは,想像もつかないことでした.そのおかげで,寂しさも大いに緩和されたと思います.IT技術の発展は,われわれの関係の維持に大いに役だったと思います.
この2年間,私は研究資金にはあまり恵まれませんでしたが,妻が何を研究しているのか,どんな授業を受けているのかを伝え聞いて,ずいぶんと刺激を受けました.研究資金がないと,自前の調査をしたりするのは難しいですが,妻が向こうで学んでいる統計書を取り寄せて,少しずつ自分でかじったり,実証研究の話を聞いて,自分がいた頃のアメリカ社会との違いに想像をめぐらせたり,いろいろとできることもあるものです.また,もうすぐ科研の採択が発表される時期ですが,自分の留学経験などを活かしながらどういった研究を目指すべきかその方向性を考えたりする機会にもなりました.科研が採択されれば,そちらの方向に舵を切れるのですが.

2年が経ち,妻が帰国しました.妻の留学は,結婚式の後間もなくでした.自分が留学をして学位を取ったこともあって,留学することの素晴らしさは身をもって知っています.付き合いを始めた頃には妻の留学はすでに決まっていたこともあって,二人の愛を育みつつも,私が妨害したりすることなく妻には有意義な留学生活を送ってほしいと思い,サポートしようとしてきました.
妻が帰国し,これから結婚生活は第2ステージに移行するのだろうと思います.まだ松本と西宮という距離はありますが,これからの新しい生活をどのように作っていくかが,これからしばらくの二人の課題になります.